契約と人情

契約の反意語は人情ではないかと思う。
ならば契約が正義なら、人情は不正となろう。
わたしは契約というものがあまり好きになれず人情のほうがおもしろいと思っている。
正義がどうのこうの言うよりも、
さっさと和解して人情レベルで解決したほうがいいわけでしょう?
裁判とか好む人はなにかに洗脳されているのではないかと怖くなる。
裁判で白黒つけようじゃないかという人がいる。
え? どうして裁判官の判決が「正しい」ことになるの?
裁判官が高学歴だから? 高収入だから? 最高権力者だから?
「正しい」ことはだれか偉い人に決めてもらうのではなく、
あなたが「正しい」と思ったことが「正しい」とも言えるのではないか?
下世話なことをいえば、裁判は実利的に意味がない。
たとえば民事裁判で勝訴したところで、
相手から金銭を強制的に徴収できるかといえばそうではない。
相手が裁判にも出廷せず、負けても無視して金を払わなければそれで終わり。
だったら裁判なんかで時間と金銭を無駄遣いして、わざわざ精神的ストレスをかかえ、
どちらが「正しい」かお上(かみ)に決めてもらうよりも臨機応変に対処したほうがいい。

交通事故をふくめ事故というものは確率的にかならず起こる。
そのときどっちが「正しい」「悪い」かもたしかに重要だが、
しかしもっともたいせつなのは現実問題でしょう?
なにが悪い、かにが悪いとお互い主張するよりも、現実を見るしかない。
一度生じてしまった事故(ミス/エラー)は元に戻せないのだから。
わざわざ弁護士(正義)に稼がせてやるよりも、
実質レベルの損得(人情)で手打ちにしたほうがいい。
いくら「あいつのほうが悪い」と言い張ったところで、
どうせ相手もおなじように思っていることだろう。
責任や善悪を決定するよりも、現実的な対処を双方で講じたほうがいい。
「正しい」と「正しい」が喧嘩になると高学歴エリートの裁判官が「正しい」ほうを決める。
しかし、負けたほうだって絶対に自分が間違っているとは思わないものなのだ。
なんで裁判官の決定が「正しい」のかわからない。
これは法律がなぜ「正しい」のかわからないということだ。
「正しい」ことをいう職業がしんどいのもわかる。
末端の教員や警官、区役所職員はときおりやりきれなくなるのではないかと思う。

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