目標と満足あるいは勝利

勝利と敗北っていったいなんだろう?
わたしは負け続けてきたとも勝ち続けてきたともいえる。
非常に生意気な発言であることは知っているが、
当方にとって学歴の早稲田一文は敗北である。
しかし、それは浪人時代に東大文三を目標としていたからだ。
もし東大医学部を目標としていた人がいたら、文三でも敗北だろう。
わたしは高校受験の経験があり、そのときの目標は早稲田学院だった。
けれど、落ちてしまい都立高しか入れなかった。
小学生時代は成績も最悪で児童相談所に行かされるような情緒不安定児童であった。
当時の担任はわたしを知的障害児あつかいしていたのをよく覚えている。
どうして成績が急激に上がったかというと中学に入り好きな女の子ができたからだ。
成績が上がったらあの子に認められるのではと思ってはじめて勉強する意欲が出た。
東大レベルならいざ知らず、それ以外の勉強は基本的に覚えるだけなのねえ。
わたしは中学時代、記憶力は神仏レベルだったから(いまはぜんぜん)。
プリントとか一文一句完全に記憶することができた(それってアスペルガー?)。
公立中学に入ったときの成績は平均以下というか、
小学校の担任(こいつはいまでも大嫌い!)から知的障害を疑われるほどあれだったが、
中学3年生のときには内申点(通知表の合計)で学校トップになっていた。
都立高校なんてもんは内申点だから、落ちるわけがない。
しかし、早稲田学院高校には落ちたので高校生のわたしは敗北者意識を持っていた。

結局、勝利も敗北も目標設定の問題のような気がする。
東大を目指していたら早稲田は敗北。
早稲田を目指していたら二文でも人間科学部でも大勝利。
早稲田を目指していて明治なら敗北。
明治を目指していて明治に入れたら、それは大勝利。
娘が立教に入ったことでも高卒の母親からしたら大勝利なわけでしょう。
いまの話をしましょう。
最近のわたしは本当に目標というものを喪失してしまった。
死んでもいいけれど、とりあえず生きていようかなという感覚まで落ちた。
そうしたら、どうしてか当方のこれまでの感覚からしたら信じられないほど
好待遇の職場に行き着いてしまった。
人によってはバカにするレベルかもしれないが、
わたしにとってはありがたすぎる。
いまのわたしの環境は人によっては大敗北で人によっては大勝利である。
わたしとしては、ただもうありがたくて、ありがたくて。
これはきっとかつて時給850円で、
にもかかわらず4時間程度で強制帰宅もある会社でバイトをしていた経験ゆえだろう。
いまの会社は大好きだが、
かといってむかしの会社は嫌いかといったらとんでもなく、大恩があるといえよう。
目標を「生きていたらいい(死んでもいい)←無目標じゃん」にしたら、
なんでも大勝利になる。べつに大勝利したいわけではない。
世の中には起業成功者が大勝利の人もいれば、公務員就職が大勝利の人もいる。
大臣になっても大敗北の人生もあれば、病弱で若死にしても大勝利の人生もあろう。

COMMENT

. URL @
02/20 11:29
. 目標設定の問題という論点に即していえば、シナリオライターになれなかった土屋君の人生は(今の職場が「相対的に」少しばかり好待遇でも)けっきょく大敗北だろう。長年の教育投資を、何ら回収できていない。

その悲惨な現実を直視したくないから「わたしは負け続けてきたとも勝ち続けてきたともいえる」などという安直な相対論に逃げ込んでいるだけ。自己欺瞞ほど容易なものはない。
- URL @
02/21 15:05
上の人へ. ナルシズムと自己評価の高さは似て非なるものですが、ブログ主さんは何度注意されても理解できないみたいですからね。
自分自身にダメ出しすることもなく、ダメを出してくれる人間には持てる知識を総動員して噛みつく。
そして結果的に孤独になる。同じ孤独でも腹くくっている仙人ではないので、逃げの理屈が必要になると。
私は山田太一氏のドラマには詳しくないのですが、弱者に寄り添うことはあっても、自分の人生から逃げることを推奨してるような作風ではなかったと思うのですけどねw
ま、ずっとこのままなんでしょう。








 

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