国民の義務と権利

いちおう大学は出ている。
ちょっとまえ会社に提出する書類の関係上、大学の卒業証書を見直した。
2000年の3月15日に、わたしはあの運がよければだれでも入れ、
だれでも出られる大学をたまたますいすい卒業した。
そこを嘘ではないかと疑われる人がいらしたら、卒業証書の画像をアップしてもいい。
いま視聴している山田太一ドラマ「沿線地図」はわたしの生まれたころのテレビ番組。
「いい大学、いい会社、いい人生(いい結婚、いい子ども)」
という「幸福方程式」に逆らいたいと思った成績のいい男女高校生の人間革命ドラマだ。
どちらの親も「大学くらい出ておけ」という。
(娘は短大卒くらいのほうが結婚条件のいい時代だった)
ファースト・ペンギン(開拓者)になるべく革命カップルは、
成績がいいのに高校を中退してしまう。
このまま「いい大学」に入ったら、「いい会社」にそのまま入ってしまいそうで、
そうしたらつまらない人生になってしまいそうで、それはありきたりで心底いやだ。
大学教授のように安定した高身分から社会の理想を説くのではなく、
青年たちは自分から行動を起こした。空理空論を説くのでなく実践してみた。
東大も確実とされる(父親はエリート銀行員の)ガリ勉のイケメンが
人生をわざと踏み外したのだ。高校中退。
青果市場で怒鳴られながらの肉体労働を始めた(ただし美少女の同棲相手あり)。

こんなドラマを放送してそこそこ視聴率が取れるなんていまでは信じられない。
この山田太一ドラマを真に受けた視聴者はどのくらいいたのだろう。
いつだったか派遣先の仲間におなじ高校(都立名門校)の大先輩がいらした。
東大をねらえるほど成績がよかったのにどうしてか高卒で家業に就いたという。
わたしはいわゆるいい高校を出て、いい大学を出ている。
エリートコースを踏み外したのは、自分からというよりもなんとなくだ。
恩師の影響や家族の不幸があり、なんとなくレールを外れてしまった。
わたしは自分からわざわざ正規のレールからはみ出す必要はないと思う。
どうせどのみち人生は思うようにならず、外的偶然でかなりすべてが決まるから。
当方の人生体験からいえば、入れる知力と経済力があれば、
大学くらいは入っておいたほうがいいと思う(中退でもいい)。
わたしなんか出身大学のおかげでいままでどれだけ色眼鏡をかけられたことだろう。
いい思いもいっぱいしているのだろうが、
「あいつは早稲田なのに使えねえよ」と嘲笑の対象にもなっただろう。
それでも人様のお役に立っているのだから悪い気分はしない。

本人が言うのだからかなり真実性が高いだろうが、早稲田はバカが多いよ。
わたしなんか今日たったいまネット検索して国民の三大義務と三大権利とやらを知った。
義務と権利の意味がわからず、これまた辞書を引かずにネット検索した。
どうして日本国憲法って「正しい」のかわからなかった。
まあ、早稲田なんてこのレベルよ。
学歴にこだわりがゼロかといえばそうではなく、二文と一文は違う。
いまは文化構想部(?)となり村上春樹も卒業した早稲田文学部は消えてしまった。
文学部だという名前だとよほどいいコネでもないと就職できないからかなあ。
むかし派遣仲間に聞いたけれど、高校でわたしの一学年うえに有名作家がいるらしい。
イケメンで山田太一の大ファンで売れっ子ミステリー作家。
一度、山田太一講演会でご尊顔を拝見したことがある。
イケメン作家が質問挙手すると編集者も書店員もみなさん一斉にあたまを下げたものだ。
世間知らずな当方はそのときはじめて直木賞作家の彼を知った(直木賞は圏外ゆえ)。
あはっ、彼とわたしはいったいどこで差がついたのだろう。
けれど、この齢になると正直、うらやましいとかあこがれとかほとんどない。
彼は彼の人生を送り、わたしはどうしようもなくわたしなんだろうなあ。
まあ、国民の義務と権利をいまごろ知り、
しかしどうしてそれが「正しい」のかわからないバカが
人生に多くを望んではいけないのだろう。
負け惜しみかもしれないが、あんがいこちらのほうが幸福かもしれなくて。

COMMENT

. URL @
02/20 12:15
. 道尾秀介こと多田秀介が小石川高校出身という話は聞いたことがないが、玉川大学農学部ということは土屋君より学業成績は劣っていたのであろう。しかし経済面では土屋家より裕福だったのかもしれない。多少ハ"力でも育ちや見てくれのいい人間が出世するのは世間ではよくあることだ。

「エリートコースを踏み外したのは、自分からというよりもなんとなくだ」というのは明らかにウソ。本当は大学を出てから出版社に入りたかったのに何百社も落とされた、と自分で書いている。

「この齢になると正直、うらやましいとかあこがれとかほとんどない」というのもウソっぽい。その手の感情は、としをとって人生の選択肢が狭まってくるにつれて強くなるものである。もっとも「ほとんど」と、土屋君は書いている。嫉妬と悔しさが少しでもあるならそれを題材に小説を書けばいいのに、変な見栄があるからそれはできない。それが君の限界。








 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/4443-58430cad