矛盾こそ正義

多くの人は勘違いしているけれど、矛盾しているほうが人間の「正しい」姿だと思う。
思想や信条が一貫している人間がすばらしいとみなされることが多いようだ。
でもさ、それは言い方を変えたらまったく成長や成熟をしていない人間ってことじゃん。
人間って年単位どころか月単位、
小さなことでは週単位、1日ごとに考えが変わるものだし、
むしろそれが人間味というか、そんなものというか、それが豊かであるというか。
どういうことかと言うと、
意見がころころ変わるのは嘘つきではなく、反対にそちらのほうが正直ってこと。
家族関係にはよくあるけれど、ある人を好きで嫌いというのはよくあること。
日によって好きになったり嫌いになったりする。
そういうふうにして関係性が深まっていくということもありうるだろう。

わたしだってむかしは親鸞をあがめていたけれど、
いまは親鸞は唯円あってのもので、あれは黒い子孫がつくった虚像だと思っている。
最初読んだとき法華経は大嫌いだったけれど、いまはおもしろいお経だと思っている。
法華経は嘘だらけの教えで嘘をついてもいいが主内容だが、
ああ、ここにはたしかに真理めいたものが書かれているというような気がする。
「真理なんてないこと」が真理という真理を法華経はうまく描いているとも言えよう。
この先、法華経を嫌いになるかもしれないし、それはだれにもわからない。
宗教がらみで言えば、創価学会は矛盾だらけだが、だから正義なのではないか。
世の中は無常でつねに変化するのだから、
教えも臨機応変に変わるのが「正しい」と言えなくもない。
「正しいことなんてない」という「正しい」真理を
いちばんわかっているのが学会かもしれない。
結果がよければそれは「正しい」。勝てば官軍。
「正しい」ことは行為をするまえにはわからず、結果がよかったらそれが「正しい」。
まあ、なにが「正しい」かなんかわからないのだから、ある意味でなにをしてもいい。
勝てばいいと言うがなにが勝利かは本人しだいという面もある。
創価学会のネットCMではないが、交通事故に遭って苦しみうめいたとしても、
本人が死ななかったのは信心のおかげで自分は勝利したと思えば、それは大勝利。

人間は矛盾していてもいいのではないか?
むしろその矛盾の激しさが器量の大きさというか、人間味に通じるというか。
ぶっちゃけ、いつもおなじことを言っている変わらない人とかつまらないじゃん。
「古いものはいい」というのも「新しものはいい」というのも、
どちらも「正しい」わけでしょう?
われわれは日によって古いものを買ったり、新しいものを買ったりする。
「古いもの好き」とか「新しいもの好き」とか、そういう傾向はあるでしょうけれど。
ひとつの「正しい」ことをがあると決めてかかる矛盾のない一貫性が、
あるいはマイナスになっているところもあるのではないか(プラス面もあろうが)。
うちのブログの過去ログを読む人なんかいないでしょうが、矛盾だらけてある。
だから信用できないというのも「正しい」が、
「本当のこと」を書いたらこうなるのではないか。

わたしは書いたことが顔に出るのではないかと恐れている。
空気が読めないというかアホやんかというか、
よくもまあ新しい職場に行く前日に指導者不要、
コーチ無意味のような愚かなことを書いたもんだと。
新しい仕事なんて先輩の同僚から教えてもらうしかないんだから。
コーチ不要とかこころのどこかで思っていたら、仕事なんてうまくいくはずはない。
やはり指導者やコーチのような存在は貴重で、やさしい先輩はありがたいものである。
まえに書いたことと矛盾していると言われても、体験を通じて考えが変わったのだから。
1日働いただけだが、なまじスポーツクラブに通うよりもカロリー消費が高そうな仕事。
もっともこれ以上身体的にきつく、賃金の安い仕事がいくらでもあることを知っている。
3月契約開始だと有休は年1日しか取れないが、
1年経つと年11日も有休を取れるのか。
休んでいてお金をもらえるなんてありなんだ。
ありがたい、ありがたい、この仕事を早く覚えて続けたいといまは心底から思っている。

おなじ師匠に30年尽くしていると言うと、その一貫性が怖くならないか?
いや、矛盾した師匠だったら30年、40年と指導に従えるのかもしれない。
今日書いたことも、今日のいまの真実で、
今後変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。わからない。
先のことは絶対にわからないというのは絶対的真理のひとつだと思う。
明日、東京大震災が起こるかなんてだれにもわからないことでしょう?
明日、だれかがかならず交通事故に遭遇するが、
その人は今日の段階でだれかはだれにも予測することはできない。
あんがい当人は「自分は絶対に事故なんか起こさない」
といまごろ湯船につかりながらのん気に思っているかもしれない。
「交通事故を起こすやつは注意力散漫で自己責任」
そう信じているかもしれないけれど、いざ起こしたら考えが変わることもあろう。
それが矛盾しているのかどうかは、あなたの体験した真実によって変わろう。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/4439-c129c494