「カンの正体」

「カンの正体」(桜井章一/知的発見BOOKS/イーストプレス)

→孔子は「四十にして惑わず」と言ったらしいけれど、
もうすぐ40の大台の乗るのに惑いまくり、迷いまくり、わからない、わからない。
いったいどういう基準で人生の選択をしていったらいいのか。
教えて自称伝説の最強雀鬼さま。
いまは過去のハッタリ(?)履歴で食べている麻雀屋経営のおやっさん。
肩書ゼロの自称最強の雀荘のオヤジは言う。
人生の選択肢はなにが「正しい」のか人間にはわからない。

「社会の常識という看板を下ろしたとき、何を基準に選ぶか。
それは「おもしろいかどうか」である。
「おもしろいな」「楽しいな」「笑えるな」ということを基準に選んでいけば、
自然と笑顔が出てくるようになる。
そういうものを基準にして、良いこと、悪いことを自分で感じていけばいい」(P43)


わたしも基本的に人生を「おもしろい/おもしろくない」で選択してきた。
けれども、雀鬼の千分の一ほどもおいしい思いをしていない。
つねにはずれくじを引いてきたというような誤った被害者意識に拘泥している。
あのときあの人の助言にしたがって仏教大学院に行って、
「正しい」とされる学問をしていたら、これほどみじめな境遇にはならなかったのか。
いまはもう死語だが、ちょいワルおやじの雀鬼はとにかく学校がお嫌いなようである。

「何度も言っているが学校で教わる学問はマニュアルだ。
答えがわかっていることを勉強しているにすぎない。
答えが先にありきなのだから、時間を使って勉強すれば、誰にでもできる。
そんなもんは、ウソだ。
本当の学問というのは、答えが定まっていないことを見つけに行くことだ。
定まっていることを学ぶことは、学問でもなんでもない。
定まっていないものを感じたり、
知りに行ったりするのが本当の学問の世界なんだと私は思う。
逆に言えば、定まっていることは、それ自体が大したことではないということ。
先ほど述べた「良いこと、悪いこと」というのも、誰かが定めたことである」(P37)


世間的にいえば、「正しい」答えは社会上層部の権力者が決めており、
新参者が生意気千番にも既存の「正しい」答えを疑うようなことをしたら、
冷遇されるならまだしもよくて完全無視どころか
下手をすると迫害さえされかねないのだが、そこは成功者にはわからないこと。
雀鬼はいちおうのところ金持だし、心酔者も弟子も多いし、成功者と言っていいのでは?
成功者の著者は成功者の話など聞くなという。
なぜなら自慢話が好きな成功者はインチキのケースが多い。本当のことを言わない。

「また成功者は自分が苦労した話や、うまくいった話しかしない。
簡単に言えば、いいことしか話さないのだ。
同業他社を蹴落として倒産させた話、下請け会社を切り捨てた話、
辞めていった社員の話などはいっさいしない。
そもそも世の中の成功法則というものが、すべての人に共通であれば、
すべての人(もしくは、それを学んだすべての人)が成功しているはずである。
そういう現実を目にすると、成功とは十人十色であり
そのための方法も十人十色だということだ」(P127)


要するに、世間ならぬ自分を信じろってことだと思う。
でもでもでもさ、ひとりじゃ自分のことなんか信じられないよ。
異性からの愛のようなものがほしい。
そういうのがあれば自信を持てるのかもしれない。
しかし、雀鬼に愛を語らせるとこうなる。
これは「正しい」とわたしは思うが、むろんのこと普遍的な絶対真理ではない。
雀鬼いわく、愛など損得勘定にすぎない。

「利用できる間は「愛」だと言って。利用できなくなったら「愛が薄れた」と言う。
みんな「愛がすべてだ」みたいなことを言うけど、
結局、愛も損得勘定でしかない」(P30)


わたしが言っているのではなく雀鬼の主張だが、愛は損得勘定。
出世や成功をした男のところには女が集まるでしょう。
「他人の評価」が高い男女はもてる。
それはぜんぜん悪くもなんともなく愛は損得勘定なのだから、
得ができそうな男の周辺に女が集まるのは自然にかなっている。
肩書と金さえあればゴキブリのように女が寄ってくる。
すべては「他人の評価」で決まる。
成功者や有名人は「他人の評価」を得ている。
この世で「他人の評価」ほど尊いものはなく、
高い「他人の評価」を持っている人に男女ともにひれ伏す。
「他人の評価」を得たいならばすでに「他人の評価」を得ている人に奉仕するしかない。
「他人の評価」をお持ちの方が、さらなるいい思いをできるのはこのためだ。
肩書とは、おれはこれだけ「他人の評価」を得ているという看板のようなもの。
「他人の評価」=肩書さえあれば、かなり好き勝手なことをできる。
繰り返すが「他人の評価」を得たかったら、
いま「他人の評価」を多く所持している方におこぼれをいただくほかない。
この「他人の評価」のことを権力という人もいる。

でもでもでもさ、けどけどけどね、本当の愛は違うよね、と雀鬼は言う。
愛なんて難しいことではなく、いっしょにいて楽しいかどうかじゃん。
まるで世間知らずの女子高生のようなことを言う雀鬼を嫌いになれない。

「異性で考えたらわかりやすい。
好きな人が隣にいたら、すごくうれしいだろうし、
お茶一杯だけであっても、何時間でも楽しい時間を過ごせる。
逆に、イヤな人が隣にいたら、
どんなにおいしい料理を出されても、苦痛の時間でしかない」(P43)


たしかにどんな美人でもいっしょにいて不快だったら楽しくない。
いくら高給の大企業でも毎日不愉快事の連続だったら、そんな職場は辞めたほうがいい。
どれほど肩書が高い偉人でも嫌いだったらパンダキックを食らわせてやれ。
まったく世間を知らない雀鬼の言葉が同類かもしれぬ当方には心地よい。

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