「宗教と日本人」

「宗教と日本人 司馬遼太郎対話選集8」(司馬遼太郎/文春文庫)

→このところ自分のことばかり考えていたので、
歴史や日本といった大きな視座もあることを知り、新鮮な思いにひたる。
自分は歴史に名を残すとまでは言わないけれど、日本に小さな一撃くらい
あたえられるのではないかという誇大妄想を持っていた時期もあった。
結局、40間近になっても鳴かず飛ばす。この程度だったのかなあ。
宗教学者の山崎哲雄が言っていたが、
最澄は桓武天皇の看病僧で、健康診断や病気直しをしていたらしい。
むかしは僧侶が医師も兼ねている部分があったのだろう。
で、空海は嵯峨天皇の看病僧ということで引きたてられた。
いまでも新興宗教入信動機のトップ1は病気なのではないだろうか?
考えてみたら、どうして病気になるのかはわからないと言えよう。
医者はなんだかんだ言うかもしれないけれど、それは後付けで。
働き過ぎのせいで病気になったという説明をする医者がいるかもしれないが、
おなじように、いやそれ以上に働いていても病気にならない人はならないから。
もし医者が正直ならば、その病気になる確率は何%としか「正しい」ことは言えない。
結局、ある人がどうしてある病気になるのかはわからない。
この世界の目に見えない部分をあつかっているのが仏教と考えられたわけだ。
いまでも病気から宗教に入る人は山のようにいることだろう。

最澄や空海は偉かったから天皇の寵愛を得たのか。
それとも天皇から取りたてられたから最澄や空海は偉くなったのか。
「偉い」というのは、どこまでも「他人の評価」に依存しているんだなあ。
だれかから認められないと出世できない。
時給850円のバイトだって面接官の評価がなければ採用されない。
わたしは「他人の評価」とどう向き合うべきなのか。
「他人の評価」ばかり気にするようになると自分がなくなってしまうけれど、
「他人の評価」がないと一生下積みで終わる。
じつのところ、人生で2回チャンスがあったんだよな。
一度目はある分野のパイオニアから日給2万で誘われた。
二度目は無名だったのに映画シナリオを依頼された。
どちらも先方を怒らしてしまいチャンスを自分でつぶしてしまったのだが。
果たして三度目はあるのだろうか?
さすがに世間を知ったから、今度はあまり生意気を言わないぞと誓っているが。

いまってやたらキャリアを重んじるような気がする。
これまでどういうことをしてきたかという肩書履歴である。
著者プロフィールが長い人って多いけれど、読者はそこを見て本を買うのかな?
わたしはパラパラ立ち読みして買うかどうかをむかしは決めていた。
いまはネットで買うから、どうしてもアマゾンのレビューを見てしまう。
あんな「他人の評価」なんて当てにならないのはわかっているにもかかわらず。
本書によると、夏目漱石が小説を書き始めたきっかけは依頼されたからなんだって。
大学の先生をしていたが、その講義がえらく評判が悪い。
漱石もこんなことやってられるかと思っていたら、朝日新聞の人が現われた。
それまで小説なんて書いたことのない漱石に、うちで小説を書かないかと。
井上ひさしは言う。

「当時の人口はいまの半分以上でしょうから同日には論じられませんが、
かつての人間には人を直観的に把握し理解する力があったんでしょうね、
つまり[朝日新聞の]池辺三山なら池辺三山が、
漱石の書く作品はわからないけれども、
漱石を見てこれは何かありそうだと感じて、その直観を信じることができた」(P126)


明治時代、朝日新聞が日本の独創的思想家を探すということをやったらしい。
やっぱり新聞なんだな。新聞こそ「他人の評価」の最たるもの。
コンプレックス過剰な恩師がいて、むかし崇拝していたことがあるけれど、
自分が紹介された新聞記事を後生大事に抱えているようなところがあり、
ちょっとげんなりしたという記憶がある。しかし、世間はそういうものか。
わたしは新聞が嫌いだが、これではいけないのかもしれない。
聖教新聞でも取ろうかな。もっとまじめなものを取れって?
聖教新聞でも新聞に取り上げられたら庶民は舞い上がるほど嬉しいのだろう。
司馬遼太郎によると、明治時代に大阪朝日が発掘した独創的思想家は――。

「その一人は富永仲基という醤油問屋の若旦那です。
三十歳で亡くなるんですが、近代的な文献学そのもので仏典を調査して、
四世紀、五世紀ぐらいにできたものだということを明らかにした。
それで本願寺の大谷光瑞が震え上がって、
のちに大谷探検隊を敦煌(とんこう)に派遣することになるんです」(P119)


阿弥陀経が後世の創作だと知って、慌てふためく大谷光瑞っておもしろい。
まあ、敦煌を調査しても阿弥陀経が釈迦の説だという証拠は出てこない。
このとき、いったいどのように自分をごまかしたのだろう。
いまの浄土宗や浄土真宗の坊さんだって、
阿弥陀経は後世の創作だと知っているわけでしょう。
それでありながら坊さんとしてメシを食うというのはどんな気持なんだろう。
学会員さんとかも法華経は釈迦の真説とか本気で思っているのだろうか?
たしかに法華経や阿弥陀経を釈迦が説かなかったことは証明できないのだが。

最澄や空海はお経を釈迦の真説と思っていたのだろうか?
空海の真言密教は、釈迦崇拝ではなく、大日如来信仰だから、
あの時代にしてある意味では釈迦を凌駕(りょうが)していたのかもしれない。
最澄は純粋そうだから、法華経や阿弥陀経を釈迦の真説と信じていたのではないか。
真理は言葉で伝達できるとするのが顕教で、
真理は言葉にならないと考えるのが密教である。
ご存じのように最澄は後輩で格下の空海にあたまを下げて密教を学んだ。
具体的には、密教経典を貸してくれと依頼した。
ふたりの関係は破綻してしまう。作家の立花隆は言う。

「つまり言葉というのはものすごく貧しいということでしょうね。
司馬さんのご本の中で、空海がなぜ最澄に対して、
最後に蹴飛ばすような関係になったかというと、最澄というのは、
言葉を通じた真理の伝達を信じたということでしょう。(……)
空海はそれを信じないわけですよね。
語ってくれなきゃ困るって言われても、それは語れないんだと思うな。
語れば分かると思う側はそれをけしからんという。
そういう感じなんじゃないでしょうか」(P187)


きっと言葉では教えられないものがあるのだろう。
いまはこうしたら人生がうまくいくと言葉にして教えるコーチ的存在が多い。
こうしたら老後は安心だとか、40代からはこれをしろとか、
そういうコーチ情報ってネットにも書籍にもあふれているじゃないですか。
コーチの言うことを聞くのも重要だが、無視する人もいてもいい。
井上ひさしによると、
イチローはコーチの助言を無視したからうまくいったとのこと。

「イチローは非常に個性的な打ち方をすると思っていたら、
実は球がよく見える人にとって、あれはいちばん合理的な打ち方らしい。
あのイチローの打ち方を、コーチはきっと何かいろいろ言ったと思うんです。
「それじゃプロで打てないよ」とか。
でも、イチローは頑固に自分のスタイルを守った」(P133)


むかしシナリオ学校の女性社長が、
イチローはだれよりもコーチの言うことを聞いてだれよりも努力したから
イチローとして成功することができた、とどこかで書いているのを見た記憶がある。
だからみんなも先生の言うことをしっかり聞いて人一倍努力しましょうねって。
いったいどちらが「正しい」のかはわからない。
習う、倣(なら)う、真似をするというのはお稽古事の基本なのはわかる。
むかしお経は音楽として町民に親しまれていたという珍説を司馬は口にしている。
学者がそれを否定したって、司馬遼太郎のほうが影響力が強いから、
おそらく司馬の言うことは「正しい」と見て間違いない。

「しかし、いま芸術から宗教に入るというのは面白い話だと思ったのは、
さかのぼって平安期には、
お経の「声明(しょうみょう)」というのはたいへん音楽的だというので――
いまとなれば、お経はもう退屈なだけなのですけれども、
平安期の人にとっては、あのお経はもう素晴らしいものだった。
だから町住まいの声明の師匠さん――
お坊さんであるのかないのかわからないですけれども――
声明師たちが町の人のお弟子をとっていた。
町のひとびとは「声明」を習いに行っていたのです。
この「声明」が日本の民謡の原形のひとつとなっているようです。
たとえば江戸の「木遣(きやり)」のように、
これはほとんど仏教音楽の「声明」が源流です。
ですから、これが日本の民謡の始まりになるのだということは、
皆さんがおっしゃる通りだと思うのです。
芸術から入るということにつながります。
それで「声明」を称(とな)えているうちに、やはり阿弥陀さんはいいな、
尊いな、ありがたいなという気持ちをもつようになってくるのですね」(P65)


人気作家や人気学者(大衆作家、大衆学者ともいう)の対話は、
どうしてこんなにおもしろいのだろう。
専門学者の論文めいた学術書などちっともおもしろくないが、この差はなにゆえか。
もしかしたら書き言葉と話し言葉の違いになるのかもしれない。
話し言葉は、話を飛ばしやすいのである。
書き言葉は論理性みたいのに縛られて、言葉が飛ばない。いきいきしない。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/4428-9b7e0bd0