「セブン-イレブンの正体」

「セブン-イレブンの正体」(古川琢也+週刊金曜日取材班/金曜日)

→著者は昭和51年生まれでわたしとおなじだ。出身大学学部までいっしょ。
キャンパスで顔を合わせたことも一度ならずあったことだろう。
けっ、このやろう、出世したんだなあ。
古川琢也氏はベストセラー作家、ジャーナリスト、権威あるブラック企業大賞選考委員。
本人は絶対に口を割らないと思うが、実際どうなんだろう?
ブラック企業大賞は古川琢也氏が中心になって行なっているイベントだ。
ブラック大賞なんていう企業イメージがついたら
資本主義の競争社会ではたまったものではない。
そんなことをいち個人(いちグループ)が勝手にしていいのか。
企業としてはそんなことをされたらいくらCM料を払っても取り返しがつかない。
現実として以前、ブラック企業と古川琢也氏から命名されたワタミは危ないという。
あんがい裏では古川琢也氏の家には、
大企業から付け届けがいっぱい送られているのではないか?
それともそういう賄賂はいっさい受け取らず(じゃあ、どうやって食ってんの?)、
著者はジャーナリストとして正義の告発でもしているつもりなのだろうか?
ワタミでもセブンイレブンでもそうだけれど、
自社に誇りを持って楽しく明るく働いている人はたくさんいるわけである。
そういう労働者を、ブラック企業大賞は
高みから見下ろしているような部外者感覚がある。
ブラックユーモアのつもりなのはわかるが、ちとばかしお寒くないかと思う。

本書はフィクション(小説、映画)ではなくノンフィクションだから指摘する。
セブンイレブン暴露本とされる本書にはリアリティが欠如しているようなところがある。
というのも、著者が取材したというセブン関係者のほとんどが実名を名乗らない。
ほとんどすべてが仮名のため、それぞれの発言の責任があいまいなのである。
実名で本に出るのでなければ、
かりに著者に発言を針小棒大に書き換えられても取材者は抗議しないだろう。
それどころか基本的にセブン憎しの人たちだろうから、それを歓迎する。
本書はセブンイレブンという巨悪があって、
それに立ち向かっている正義のジャーナリストの古川琢也――といった、
著者の妄想のように読めなくもないのである。
著者にとっての真実はそうなのだろうが、またべつの真実もあるような気がしてならない。
いったい正義のジャーナリストの古川琢也氏はなにがしたいのだろう?
セブンイレブンがつぶれたら関係雇用者がみなみな路頭に迷うことを知らないのか?

本書で知った古川氏の心中にある「セブン-イレブンの正体」を紹介する。
氏によると、セブンはずいぶんあくどいブラックな企業なようだ。
フランチャイズ店のオーナーは本部にではなく、
個々のベンダー(セブン協力企業)に商品を発注しているが、
オーナーのもとには企業から請求書が来ないという。
つまり、本部が中抜きしているというわけだ。
これを著者は社会不正だと怒っているけれど、
コンビニのフランチャイズなんてそんなものでしょう?
たぶんセブンだけではなく、ローソンもファミマーもそうだって思うし。
慈善事業をやっているわけではないのだから。
よくセブンイレブン会長が、うちの日販(売り上げ)は業界一位だと自慢している。
しかし、オーナーたちのあいだでささやかれていることは、
「売り上げはあがって赤字は増える」という秘密のこと。
セブン本部は廃棄食品もその店の売り上げとして計算しているという。
廃棄食品からもチャージ(お金)を取り上げる。
そうなるといくら毎月売り上げが上昇したとしても、
本部に払うチャージ、人件費、光熱費を差し引くと赤字になることも多いらしい。
とくにおでんは儲からないという。
おでんのための人件費や廃棄ロスを考えると、
おでんはひたすら本部だけが儲かる商品とのこと。
おでんには虫が入ることも多く、とはいえこれは避けようのないことらしい。
マニュアルでは虫が入ったらスープを変えることになっているが、
いちいちそんなことをしていたら人件費も廃棄ロスもふくれあがるばかり。
さらにおでんは本部からノルマ(目標)を課せられるから、
売れないぶんは自腹で買わなければならない。

かといって、セブン本部の社員がいい思いをしているわけではない。
セブンに新入社員として入ったら何年も店長をやらされる。
店長は管理職あつかいだから、いくら残業しても手当はつかない。
急なシフトの空きに対応できるのは、若いセブン社員くらいなのだろう。
店長から店舗指導員(OFC)に出世しても忙しいのは相変わらず。
朝から晩まで働いてほとんど休みも取らず、
ノルマがきついのかいろいろな自社商品を自腹で購入する。
ジャーナリストの古川琢也氏は以上のような現実を取材して
セブンを「蟹工船」のようなブラック企業だといいたいのだろう。
しかし、見方を変えれば、
これはセブンの社員さんは愛社精神に富んでいるともいえよう。
セブン会長は「仕事が趣味」のようだが、
おなじように「仕事が趣味」のような社員がいてもべつにいいのではないか?
わたしはそんなのはいやだし、同世代の著者もそうなのだろう。
だが、いろいろな価値観の人がいてもいいような気がする。
どうして著者は自分の価値観と合わないものを「悪」としてしまうのか?
自分の所属している会社が好きで、
自社で長い時間働き、いただいたお金で自社の新商品を買うのが楽しみだ。
こういう人たちは洗脳されているわけではなく、
自分で好きでそのようなことをしているのだから、不幸なのではなく、
むしろいまは日本にめったにいない幸福な会社員ともいえるのではないか。
赤字経営しているオーナーのなかにも、
あるいはサラリーマン時代よりもいまのほうが目標があって充実している。
そう考えている人だって少なからずいると思うのである。

セブンイレブンでは隔週で1回、全国の店舗指導員(OFC)を集めて、
鈴木会長の講演会が開かれているという。
その講演会に参加したことのある元社員はこう証言している。
その鈴木会長講演会では――。

「「……鈴木会長から、『前年比率二〇〇パーセント達成』などという
『目標額』という名のものすごいノルマを課せられるんです。
各店おでん一〇〇〇個とか、特にクリスマス、おせち、節分の恵方巻き……
といった季節ごとのイベント商品は酷(ひど)い。
しかも、会長の指示は絶対で皆、『ました!』と答えなければならないのです。
本部に集まった一〇〇〇人以上の社員全員で、不気味な光景ですよ。
宗教みたいです。ほかにも鈴木会長にちなんだ著書が出版された際、
半強制的に購入させられたりしました」
「ました!」というのは、「わかりました」の略語で
本家のイトーヨーカ堂で使用されていたそうだ。
業務を円滑化するためだという」(P62)


こういう企業文化がセブンイレブンのおいしさの秘密なのだろう。
隠し味といってもいいような気がする。
経営者は、大勢の社員にいかに自社を愛させ、競争させるかを考える。
社員が勝手に競争して消耗してくれるぶんだけ企業は儲けることができる。
とはいえ、鈴木会長の趣味は仕事のようだから、それほどお金はいらないはず。
はてまあ、セブンの社員さんやオーナーさんの血と涙の結晶とも言うべきお金は、
いったいどこへ行っているのだろう? 株主のところ?
いやいや、コマーシャル料に化けている金額が多いのかもしれない。
いまの派遣先にテレビがあるけれど、セブンのCMってやたら多いし。
わたしは感覚が合わず、最近はめっきり地上波テレビは見なくなった。
しかし、いまもテレビを愛する庶民は少なくないだろう。
ということは、セブンはテレビ番組のスポンサーとなることで社会貢献していたのか。

話が脱線したので、元に戻す。
セブンの会長が自著でかならず自慢している赤飯開発の手柄話がある。
自分の鶴の一声で赤飯が劇的にうまくなり爆発的に売れたという成功譚だ。
真否は不明だが、その裏側は本書によるとこうである。
この本でいちばん笑ったところであり、ああ、世の中ってそうなっているんだなあ。
セブン元社員が著者にこう暴露した。

「一〇年ほど前、『絶対に売れる、売れないはずがない』
という鈴木会長の強い意向で赤飯を販売したんです。
ところが、思ったほどヒットしなかった。
何とか売り上げを伸ばせという指示のもと、
私の地区のほとんどの社員は毎日この赤飯を買わせられました。
とは言っても、『自腹買い』にも限界があって、
時間が経つにつれて売り上げは下がりますが、
いつのまにか誰も何も言わなくなって、うやむやになりました。
会長が出したアイディア[仮説]の『成果』を検証することなど、
絶対に不可能ですから」(P79)


ヒット商品はこのように人為的につくることができるのか。
そうかそうか、自分たちで買い支えれば、それはヒット商品ということになろう。
創価学会でも池田名誉会長の本をひとりで百冊買う幹部もいるし、
こういう戦略は知らない人がいない常識なのだろう。
あんがいカリスマ的トップは現場で起こっている本当のことを知らないのかもしれない。
というのも、トップが来店するとなると、みんなかしこまって演技するでしょう?
取り巻きもトップを怒らせたくないから本当のことは伝えない。
赤飯は鈴木会長のアイディアで大ヒットしたということにしておけば、
みんながみんなうるおうともいえなくはない。
会長から叱責される社員も出ず、オーナーは赤飯の売り上げがあがり、
食品工場では大量発注のおかげでパートさんも稼げたはずである。
わたしは食べ物を捨てるのがとにかくいやで、
このため(なれるはずもないけれど)コンビニのオーナーにはなりたくない。
しかし、セブンのような大量生産、大量廃棄はもっとも経済的なのではないか?
人口が減っている。大食いできる若者も減っている。
こうなると提供する食物も少なくなるのが道理である。
しかし、そうなったら社会下層部の食品工場労働者の賃金が下がってしまう。
ならば、たくさんつくって、つくったものを捨ててしまうというのは経済的に賢い。
ジャーナリストの古川琢也氏は果敢にも、
セブンの弁当工場にパートとして潜入取材している。
このため鈴木会長よりは著者のほうが現場に詳しいということはできよう。

「先輩従業員に教えてもらいながらスタートしたが、すぐに怒られた。
自分では急いでいるつもりでも、周囲の作業スピードには全く追いつかない。
先輩からは、「遅すぎる」「それじゃ仕事にならない」
「片手でやるな。左手が死んでるだろ!」
といった具合に容赦なくダメ出しを食らう」(P114)


わたしはいまだによくわからないのだが、社会下層部の労働者というのは、
どうしてお互いを助け合わないで競争することが多いのだろう。
労働者は連帯して上役と交渉すればいいのに、
どうしてかおなじ労働者同士で監視しあい競争をおっぱじめる。
そういう低賃金労働者には「あいつよりも仕事ができる」というような優越感が、
生きるうえでとても大事なよりどころにでもなっているのだろうか?
仕事を早くしたら早く終わり金が稼げなくなるのに、
経営者でもないのにお互いを「早くしろ!」
と監視しあい競争する日本下層労働者の勤勉性(あるいは蒙昧)は
いったいなにゆえなのか、
これだけは自分のあたまでいくら考えてもわからないので、だれかに教えてほしい。
セブンはファミリー企業もベンダーも一斉に競争しているようなイメージがある。
そんな競争して、だれがいい思いをしているのか?
なんのために競争しているのか?
結局は、お客様の「便利」のためということになるのではないかと思う。
客として思うのは、もうこれ以上便利にならなくてもいいのではないかということ。
しかし、それはこちらがおっさんでむかしを知っているからか。
2000年代生まれは、いまの便利な世の中が当たり前になっているのか。
いま知り合いがセブンのファミリー企業で働いているそうだが、
そこには「おまえ、ぶっ殺されてえのか!」とか威圧してくる先輩もおらず、
和気あいあいとまでいったら大げさだが、
彼はけっこう楽しんで連日会社に自転車で行っているらしい。
ブラックかと聞いたら、「ぜんぜん」と否定された。

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