うまいはまずい、まずいはうまい

よおし、明日にはセブンイレブン関連書籍が複数冊届くようだ。
なにか見えないちからに動かされるようにセブンイレブンでたくさん食品を買ってしまう。
見えないちからって怖い。
当方は39歳で、おそらく世間的価値観からしたらあまり幸福には見えない男だ。
コンビニとは、正直あまり縁がなかった。
大学生時代にエーエムピーエム(いまもあるの?)で夜勤のバイトをしたことがあるくらい。
人ってご縁がないと変わらないじゃないですか?
ヤクザは悪い、政治家は悪いとか思い込んでいる庶民がたくさんいるけれど、
実際に食べて(接して)みないとわからないわけで。
その食べてみるって行為が難しいんだなあ。
たとえばインドにはリピーター旅行者が大勢いるけれど、
それは最初にインドに行く勇気みたいなもの(←大げさ)があったからでしょう。
ウニは大好物だが、あれを最初に口にした人はほぼ絶対キチガイでしょ?
あんなキモいものをよく食ってみようと思ったものだ。
いまは高額で取引されているが、最初に食べた人は食べ放題無料だったのである。
価値がある=金になる=おいしいっていったいどういうことなのだろう?
ウナギなんかいまべらぼうに高くなっていますよね?
ここ10年でいちばん高騰したのはウナギではないか?
ウナギは好物だが、長らく(といってもむかしの話)中国産半額ばかりだった。
一度機会があって国産高級ウナギを食べたらパサパサしていてまずいのである。
変なことをいっぱいされて飼育された中国産ウナギのほうが脂っこくてうまい。
いまはどっちもどっちで、国産のウナギのほうがうまいという意見もわかるし、
どちらかと言えばそちらの老人的グルメ観に与している。
あっちのほうが本当のおいしさなんだなという、どこかしら偽善っぽい味覚。

セブンイレブンでいかにもうさんくさいクリスマス特別料理の
「スモークサーモン明太ポテト」を買ってみた。
深夜に買ったから売れ残っているところが証拠なのかもしれないが
(あるいは大量発注?)、これに300円出せる人はすごいなと思う。
スモークサーモンを一度も食べたことのないお子さまなら大感動する味かもな。
うちの近所は貧民街(?)なので
スモークサーモン6、7枚がときに200円で買えるのだが。
わたしはサーモンが好物だからあれこれ食っているのだが、ううむ。
だれがこのメニューと価格にOKを出して、
いったい利益率と廃棄率はどのくらいだったのか。
売れないのはオーナーの販売努力が足らないからと本社では言っているのだろうか。
そもそもコンビニには公共料金支払い以外めったに行かない男だが、
このたび見えないちからに動かされるようにセブンイレブン食品を購入している。
今後もしばらく続くかもしれない。
考えてみたら、いつ死ぬかわからないのだから、
損得なんてどうなっているのかわからない。
セブンイレブンの「スモークタンスティック」もまた買ってみた。
どうしてセブンイレブンにこういうものが売っているのか知ったかと言えば、
それは見えないちからというほかなく当方も理由はわからない。
「スモークタンスティック」は強烈にうまいな。これで百円ちょっとは安い。
わたしが好きなものはすぐ消えるから、これは貴重価値が出るかもしれない。
百円ちょっとでこれが出せるのはすごいって調べたら、
つくったのは日本ハムでお問い合わせ先も日本ハムになっているのが
世の中の裏、裏、裏を感じさせておもしろい。

セブンの「金のカレー」は半端なくうまいという説をネットで読んで、
かなりまえ近所の店に行ったことがある。
「金のカレー」がどこにあるのかわからなくて
外国人の店員さんに聞いたらレトルトカレー棚を紹介された。
さほどうまくないという感想だった。
しかし、見えないちからで「金のカレー」とはレトルトカレーではないことを知る。
冷蔵コーナーで売っているあれを「金のカレー」というのか。
300円程度ならそこまで超高級というほどではない。はじめて買ってみた。
わたしはカレーが大好きで、どのくらい好きかというと、
インドのカレーもタイのカレーも日本のカレーも大好物と同語反復を繰り返したいくらい。
いまから湯煎して(お湯であっためて)食べてみるが、
わからないのは当方の感想が「正しい」のかどうかだ。
結局、売れたものが「正しい」となるのではありませんか?
あるいは権威のある銀座の寿司屋のウニはうまい、みたいな。
いや、一流のウニは半端なくうまいのだが、しかしどうしてそれはうまいのか?
セブンイレブンのツナタマサンドってまだあったんだね。
わたしがいまのところセブンイレブンでいちばん購入した回数が多いのは、
おそらくツナタマサンド。
なんでもセブンの食品はおなじに見えて少しずつ味を変えているそうだが、
消費者の舌も日々変化しているのだから「正しい」と思う。

いきなり話は変わるが――。
紫綬褒章作家で芥川賞選考委員の宮本輝氏は小説「三十光年の星たち」で
「ツッキッコのスパゲティ」という料理を登場させている。
それは庶民から愛され、そのレシピは秘伝で、絶対に「正しい(おいしい)」という。
そのレシピはとにかく絶対で、変えるなんて言語道断とんでもない。
しかし、氏の所属する庶民派団体の創価学会はころころ教義を変えているのである。
創価学会が「正しい」理由は教えをそのときどきで変えているからではないか?
むかしは日蓮正宗とべったりだったのに、いまは反目している。
いや、本当の現在は和解交渉が進んでいるのかもしれない。
そういうころころ意見を変えるタヌキなところが、創価学会の「正しい」理由ではないか?
みなさん、自分は首尾一貫していると考えているでしょう? そこが間違いだ。
矛盾してころころ考えを変えるところがおもしろくて、ある意味で「正しい」。
わたしは(西洋)哲学は嫌いだが、
むかし西田幾多郎という偉い人が「絶対矛盾的自己同一」という言葉をつくったらしい。
絶対に矛盾していることが自己のなかでは同一化しているという意味だろうか?
西田幾多郎なんて読んだこともないし、
一生読まないだろうから「正しい」意味はわからない。
テレビライターの山田太一氏は、
中学生時代に教師から「絶対矛盾的自己同一」という言葉を教わったという。
こんな言葉は中学生にはわからないから西田幾多郎など読まなくていい。
師の教えを守ったのか、山田太一さんは西田幾多郎を読んだことがないという。
ところが、社会に出てから、ふっと「絶対矛盾的自己同一」という言葉を思い出した。

「いつだったか忘れたが、急にあの「絶対矛盾的自己同一」って、
どういう意味なんだと昔の言葉が甦(よみがえ)ったのである。
そうなんだ、と思った。矛盾していいってことなんだ、
[映画の]キャラクターに矛盾があってもいい、物語に一貫性がなくてもいい、
いや矛盾はなければいけない、人間は矛盾しはみ出すものがなければいけない、
それらを豊かに抱合して一個の生命体であるような映画をつくれといってるんだ、
と西田さんの本は一行も読んでいないのだから無茶苦茶なのであるが、
これは詩だ、この一行で充分と、勝手ながら教訓を得た気持になった」(「月日の残像」)


あんがい人間っておなじものを食べても、あるときはうまい、
またべつのときはまずいと思うものなのではないだろうか?
おなじものをいくらで食べたかによっても感想は変わる。
だれがつくったかによって変わるのは言うまでもない。
スーパーで買ってきたものでも恋人が自分でつくったといえば味は変わるってこと。
それは矛盾しているじゃないかと言われたらその通りだが、
この矛盾こそ「正しい」ような気がしてならない。
もう矛盾だらけでボロボロで、
このブログ記事でなにを言いたいのかは自分でもわからない。
それはあなたさましだいということが言いたいことなのかもしれない。

COMMENT

- URL @
12/23 11:48
. セブンイレブンは味付きゆで卵もいけますよ。
Yonda? URL @
12/24 02:14
- さんへ. 

どこにあるのかわからないんですよねえ。
店員さんに聞いても、
わからなかったら本人に恥をかかせてしまうし。
コンビニ店員ってそこまで一生懸命にする仕事だとは思いません。
見かけたら(安そうだし)買ってみます。

ローソンのタマゴサラダを買ったら意外とうまくて。
でも、セブンにもおなじ価格帯のおなじ商品があったんですね。
今日、買いました。
けれど、タマゴサラダってなんなのでしょうね?
野菜なんてひとつも入っていないのに。
ああ、タマネギが入っていたら野菜になるのか。








 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/4385-06862440