「香港明星迷」

2002年にテレビ東京で放送された
山田太一ドラマ「香港明星迷」をジェイコムにて再視聴する。
このくらいの時代になると、ライブで視聴した記憶はあるけれども、
内容はさらさらさっぱりあたまに残っていないから視聴するのが楽しみだった。
「山田太一ドラマは庶民を描いているから記憶に残らない」
こういうことをブログに書いたら、取り巻きや側近が密告したのか、
渋谷で行なわれた山田太一イベントで本人が
「どうせぼくのドラマはすぐに忘れられますから」とひねくれたことをおっしゃっていた。
山田太一さんもまた双極をお持ちの方だと思う。
ものすごく自作に自信があるけれど、
それは一撃でつぶされかねないとても弱い自信だからむしろ強い。

わたしの場合、山田太一ドラマはシナリオで読んでいると記憶に残っているのである。
このため、いまジェイコムに入っているため、
多数の山田太一ドラマを録画保存しているが、
シナリオですでに読んでいるためか
映像を観る元気が出ないという困ったことになっている。
作者としてはどっちが嬉しいのだろうか?
ドラマを観られることと、シナリオ段階で読まれることの、いったいどちらが?
シナリオで読んでいると人物像ができあがってしまうから、
映像を観てしまうと「自分のようなもの」を否定された気がするのかもしれない。
「ふぞろいの林檎たち」の未放送スペシャル番組版のシナリオが存在するらしいが
(だれか役者がごねたために企画がぽしゃった)、それこそ価値があるものだろう。
へたをすると1千万くらいの価値はある。
もしお持ちの方がコピーさせてくださったら、一生奴隷になってもいいくらいだ。

2002年に放送された「香港明星迷」の話をしよう。
「働く」という行為について深く考えさせられた。
主役の薬師丸ひろ子は、仕事にバリバリ生きがいを感じているアラフォー女性。
なんでみんなそんな仕事に夢中になるんだろう。
薬師丸ひろ子は、フランスの有名な靴ブランドの日本支社重役。
マーケティング統括部長だったっけかな。
わたしは女のことにもブランドのことにも詳しくないが、
ハイヒールは西洋起源らしい。
そして、ハイヒールなんかを履いているとかなり足が痛くなるという。
男と肩を並べたいという女の西洋的願望の象徴がハイヒールなのかもしれない。

有名西洋ブランド日本支社の薬師丸ひろ子は考えた。
もういまは西洋ブランドの時代ではないのではないか?
ハイヒールなどではなく、もっと履きやすい女性のための靴を製造すべきだ。
しかし、いくらアイディアを出してもフランスの本社は聞き入れてくれない。
「デザインはパリが全部」
「きみの仕事は営業なんだから、デザインに口を出すな」
「黙ってきみはフランスの靴を売っていればいい」

薬師丸ひろ子が注目したのは中国市場である。
ここでハイヒールではない、
しかし良質な中国デザイナーが企画した靴を売ればどれほどの仕事になるか。
仕事熱心な薬師丸ひろ子は香港の有名スターの追っかけを自称しながら、
会社のためもあり独立のためもあり、
自分が目をつけた中国人関係者と交流をつなげる。
わからなくて、わからないままに感銘を受けたのは、
薬師丸ひろ子の仕事への情熱である。
ハイヒールをどうしたって、中国市場がどうなろうと、
どうでもいいといえばどうでもいいわけだから。
プライベートな休日まで使って、どうしてそんなに仕事に一生懸命なの?
なにかに洗脳されているの? と不可解で仕方がなかった。

結局、彼女の情熱は会社への裏切りと判断され、
有名ブランド企業から薬師丸ひろ子は解雇される。
じつのところ、薬師丸ひろ子には常時、尾行がついていて、
行動は逐一本社に報告されていたのである。
薬師丸ひろ子が友人だと思っていた人も、探偵会社の敏腕調査員だった。
薬師丸ひろ子は、まあ現実を見誤っていたのである。
彼女が大企業を辞めたら、すぐに中国人デザイナーは相手にしてくれなくなった。
日本の女が一流企業をバックに持っていることを調べて、
デザイナーは彼女と交流していたのである。

現実ってこんなものなのかもしれないなあ。
多くの人が人間そのものよりもバックにあるブランドを見る。
ブランドに逆らったら社会から抹殺されてもおかしくない。
薬師丸ひろ子のおもしろさは、けっこう会社のためを思って、
会社のために新しいデザインを提案したり流通を広げようと(プライベートで)したら、
それが愛する会社からは裏切り行為とみなされ強制解雇されてしまうという。
会社(組織)のために必死で働いたら裏切り者あつかいされる――。

はっきり言って、いま経済界(大企業)の上層を
リアルに描けるのは山田太一だけなのである。
というのもライターはとにかく金にならないから、飛び込んでくる人材が低劣すぎる。
かえって、その質の低い複数ライターの書いたドラマが、
大衆から支持されるという矛盾がある。
上のほうの損得関係の秘密を知りえた山田太一の企業ドラマが、
秘密をそのままは出さずフィクションとしてうまく描いていることに
社会上層部はまさにいっぱい食わされた気分だったことだろう。
このドラマは、底辺庶民からの理解はあまり得られなかったようだが、
(傲慢でごめんなさい!)観る人が観たら、
これを地上波で書いてもいいのかというギリギリの傑作ドラマなのである。

ドラマ最後に薬師丸ひろ子と探偵所の捜査員が仲直りするのがよかった。
香港の中国人デザイナーが
バックもない無職の薬師丸ひろ子とビジネスを再会するのもよかった。
人間って「肩書」じゃないよねえ。
「肩書」ではなく、この人は信じられると自分が思った人を信じたほうがいい。
「肩書」で人を見るのは世間だが、そうではない自分の感覚を信じた見方があってもいい。
いまは小林秀雄賞作家、朝日賞作家とだいぶ出世なされたが、
そういう肩書以前にわたしは作者のことを
一度もお逢いしたことがないのにもかかわらず盲目的に信じているところがある。

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