そうかそうか!

えへっ、ま~たまたまただれも読まない長文仏教記事を書いちゃったや。
ほんとにほんとほんと、真理とはなにか? なんて考えないほうがいいんだよねえ。
真理を疑っていろいろ考えると、オウム真理教になってしまうという。
わたしはべつにオウムが悪いとも思わないし、
そういうことを言えるのはオウム真理教のことをよく知らないからなのね。
いまのところ知りたいとも思わないし。
オウムは悪だって言っている人もマスコミ報道を信じているだけっしょ?
いろいろ本を読んだりして自分のあたまで考えるのはメンドーだから、
そういうマスコミ依存体質は「正しい」と思いますし、できたら真似をしたい。
なーんにも考えないでいっぱしに苦労人を気取って生きている人がもっとも幸福かも。
絶対的幸福の境涯にいる人はそういう御仁なのだろう(じつはいないっしょ?)。

考えるというのは「わからない」に始まり「わからない」に終わるものだと思う。
どこが「わからない」のか「わかる」のが理解の第一歩。
「わからない」ところがわかったらわかったようなものとも言えよう。
なぜなら、「わからない」ところがわかったら、そこを考えればいいのだから。
まあ、考えるというのは疑うってことなのかもしれないなあ。
「わからない」ことが「わかる」とはどういうことか?
さらなる「わからない」ことが出現するのが「わかる」ということ。
「わからない」が真理かもしれないのに、「わかる」を求める人たちがいるのはなぜか?
結局は、それが本人にとって楽しくておもしろいからだと思う。

こちらは遺伝的にあたまのデキがよくないので、
バカの分際でいろいろ考えると身体全体が知性に拒否感を示す。
このごろの倦怠感、吐き気は異常で、
今日は生まれてはじめて立ちくらみというやつを経験した。
もうすぐ脳卒中や肝硬変で死んだりするのかな。
明日死んだとしても、まあいっか。
そう思えるのは「そうかそうか!」というわかる楽しみを
人生でけっこう味わってきたような気がするからである。
「そうかそうか!」と自分なりに新しい発見をするほどおもしろいことはあるのかしら。
創価学会シンパの茂木健一郎氏がこんなことを言っている(「ひらめきの導火線」)。

「考え続け、探し続ける過程は、とても苦しい。
けれど、その苦しさを経てひらめきにたどり着いたときほど、脳が喜ぶことはない。
お金をもらうより、社会的地位を得ることより、
はるかに良質の喜びを脳にもたらす。これを「報酬の通貨」という」


今日、更新しただれも読まない記事なんかも思考時間は10日を越えているのだ。
書くのにかかった日数は秘密。
でもさ、駄文を書いている途中に何度も「そうかそうか!」という発見があった。
いままでわからなかったことが少しだけわかったような気がした。
夢中になってブログ記事を書いていたので気づかなかった。
さっき携帯電話を見たら、
ありがたいことに着信があったのである(ほとんどないのでチェックする癖がない)。
久しぶりに某派遣会社からだったが、わたしなんかをまだ覚えてくださっていたのか。
仏教関係もひと山越えたという気がするし、
えんえんとクリスマスケーキにイチゴをのっける仕事や、
日本語ができない外国人といっしょにおせち料理を盛りつける単純労働がしたいなあ。
難しい仕事でも構いませんが、ご迷惑をかけちゃいけませんですしね。

ひと山越えたという気がする。
創価学会関係本の読書や、
その感想文を書くのは心底しんどかったけれど(損得ばかりの現実ってうんざり!)、
あの苦しみはいまから思えばそれなりに楽しかったとも言える。
しつこいけれど「そうかそうか!」という発見があったので。
立ちくらみ、やばいなあ。明日になったら治っていそうな気もするけれど。
脳卒中とかで突然死するのは大歓迎なのだが、
家で起きちゃうと腐乱死体になってしまいそうで困る。いまは冬だから大丈夫か。
路上で脳卒中が起きちゃうと救急車を呼ばれて半身不随とかになったら最悪。
ひと気のないビルの路地で死んでいるところを発見されるのがいちばんかなあ。
まあ、いつどこで死ぬかは宿命(宿業)だと思っているから、ほとけさまにおまかせよっ♪

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