「八割できなくても幸せになれる」

「八割できなくても幸せになれる」(桜井章一/竹書房新書)

→酔っぱらうと、世間すべてが間違えているんじゃないかって思うときもあるわけ。
ぐだぐだ酒を飲んでいるのでからんでみたら、
本書のタイトルでいえば「幸せになれる」――。
どうして人は幸せにならなきゃいけないわけ?
著者は低学歴で受賞歴ゼロのまったく肩書のない雀荘のクソオヤジ。くうう、ええねえ。
けんど、いったい、なしてこないダメジジイの本が繰り返しベストセラーになるわけ?
本当はなにもかにも「わからない」というのが本当だろう。
本当はどうなっているのか「わからない」のが本当だんべ。
要は、成功者や勝利者の言葉がかりそめの「本当」として流通しているわけでしょう?
もう人生ギブアップ直前なので、あこがれの人はだれもいない。
あのような人になりたいという願望はまったくない。
しょせんわたしはわたしでしかなかった。
この顔で生まれこの知能でこの程度の運でここらあたりで死ぬべき存在なのか。

世の中は運ではなく、信心いかんだという集団も存在する(創価学会)。
そうかもしれないし、そうではないかもしれないし、それは「わからない」。
当方はことさら池田大作名誉会長のようになりたいとは思わない。
わたしはどのみちわたしに過ぎないし、死ねばほとけさまになれるのだから。
あこがれの人はいま男女ともにいない。嫉妬がないということだ。
わたしはわたしでしかない。
けれど、ちょっどだけでいいからおいしい思いをさせてよ、
という乞食願望があることは恥ずかしくも白状する。ラッキーがほしい。
他力本願のいわば棚ぼたのラッキーを求めて、こういう本を読むと、
うさんくせえ煮ても焼いても食えなさそうなじいさんがこんなことを言っている。

「私は、ラッキーを呼ぶための基本は「花咲かじじい」だと思っています。
欲のないおじいさんが、全く何の見返りを求めず正直に暮らしていたら、
畑から小判が出てきた。
さらに灰を撒(ま)けば桜の花が咲き、殿様からご褒美をいただいた。
そして、それを見た欲張りじいさんが同じことを真似したら、とんでもないことが起こった。
「人がやってラッキーだったから、自分もやってみよう」なんて、
邪(よこしま)な気持ちで何かをしても、うまくいくものではありません」(P24)


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