「昭和梟雄録」

「昭和梟雄録」(溝口敦/講談社+α文庫)

→著者は「梟雄(きょうゆう)」を
「英雄というのは難がある、ひと癖ふた癖持つリーダー」
ぐらいの意味で使っているという。
まあ、わたしの言葉にしたら「裏も表も激しい、骨太で因業な人」になるのかな。
もっとかんたんに言えば、「変な人」ってことだけど、
むかしはおもしろい人がいたよねえって話。
いまはみんな小粒で巨悪もしないし、妙に小市民たることで満足しているのでつまらない。
めちゃくちゃをやる人がめっきりいなくなったが、むかしは楽しかったよねえって本。
矢野絢也、山崎正友、池田大作も紹介されているので創価学会暴露本として読む。
元公明党委員長の矢野絢也は悪人だってうわさもあるようだねえ。
いえ、悪人でいいのよ。わたしは善人よりも悪人のほうが好きだから。
以下引用の蛭田という男は矢野絢也の悪友のひとりである。

「学会員の蛭田は一九七八年、
矢野がそのころ極秘裡に進めていた反池田の情報リークに同調、
その別動隊役を買って出た。
つまり某新聞に一億円出資する約束をもって反池田の月刊誌を創刊させた。
が、結局は二千万円しか払わず、その雑誌社を倒産させた」(P299)


池田大作はよくもまあ、最後の最後まで権力の頂点でいられたものだと感心する。
池田に忠誠を誓いながら恨んでいたやつなんていっぱいいただろうから、
いつ足を引っ張られてもおかしくなかったのだが、
池田先生が最後まで勝利人生を送れたのはだれも人間を信用しなかったからだろう。
いっぽうでお人好しだったと本書で書かれているのが、
池田代作に利用し尽くされ、
刑事罰まで受けた創価学会元顧問弁護士の山崎正友である。
この本の写真ではじめて山崎正友の顔を見たが本当にお人好しそうなのである。
山崎正友が矢野絢也のように悪人だったら、もう少し世をうまく渡れただろうに、
結局末端学会員とおなじで善人は貧乏くじを引かされるのかもしれない。
司法修習生時代に山崎正友と同期だった弁護士はこう証言している。

「[山崎は]およそ物欲がなく、持っているものは全部出すタイプですよ。
腹に一物がなく仲間と楽しむことが好きな人間でしょう」(P317)


創価学会の裏っていったいどうなっているんだろう。
山崎正友は創価学会から3億円恐喝したとされている。
しかし、恐喝されたと主張している創価学会顧問弁護士たちと山崎正友は、
じつのところ3億円の支払い中も仲良く麻雀をしていたというのだから。
あるいは山崎正友のほうが学会による「でっち上げ」事件の被害者なのかもしれない。
暴露本をよく読み他の本やネット情報と丹念に比較調査すると、
創価学会が「悪」と主張しているほうが「お人好し」であることに気づく。
わたしは「善」よりも「悪」が好きだから善人よりも巨悪団体をひいきするけれど。
創価学会によると極悪人とされる山崎正友の同期の弁護士はこう言っている。

「領収書も要らないような、これほどの金が山崎に渡っていたんです。
ふつうの人間なら、ちょっと工夫して田舎に別荘つくるとかできた金ですよ。
だけど山崎は何ひとつ財産をつくらなかった。
別荘どころか、いまだかつて一度たりと家を持ったことがない」(P326)


比して矢野絢也や池田大作の豪邸や個人資産といったらどうだ。
事実かどうかわからないが、
本書によると選挙の創価学会員票(関西)を仕切っていたのは矢野絢也で、
この三色の組織票は600万程度では買えたかったという。
金を支払って見返りがなくてももともと違法だから訴え出られないのである。
熱心に選挙活動をしている学会員さんが、
創価組織票が高値で売り買いされている事実を知ったらどう思うのだろうか。
とはいえ、わたしも公明党支持者だから、末端のお人好しのひとりである。
まったく池田大作名誉会長はどれほどの人を救い、そして地獄に落としたのだろう。
ちなみに宗教的な救済とは「死ぬまでだます」ことである。
「池田先生、ありがとうございます」
と言いながら死んでいった人が大勢いることもまた事実なのである。
池田名誉会長を創作したのは二代目会長の戸田城聖である。
戸田と池田の関係を著者はシニカルな筆致で描写するが、そこがおもしろい。
当時は人生の零落者に過ぎなかった戸田を
師と仰いだ池田は先見の明があった、とも言えよう。
それは偶然だったのか、必然だったのか。

「おそらく池田には、戸田に対抗できるほどの素養も体験もなく、
しごく簡単に戸田に篭絡(ろうらく)されたと見られる。
戸田は苦学して小学校教師になった人物だが、戦前には事業に転じ、
最盛期には出版や醤油問屋、証券業など十七の会社を支配し、
資産六百万円を数えたという。また彼が受験塾「時習学館」を開設したことや、
戦前の学習書のベストセラー『推進式指導算術』を
者したことはかなり広く知られている。
同時に彼は愛憎の海に漂った人でもあり、三角関係や妻子の死を味わい、
公然と愛人を持っていた。そのうえ、大酒飲みで結核を患(わずら)い、
キリスト教に救いを求める一時期も経ている。
いわば人生の酸いも甘いも噛み分けた人間であり、
池田がそういう人物に頭から呑(の)まれてしまったのも無理からぬことだろう。
そのため池田は朝鮮特需による世の好況をよそに、
上下動が激しくヒバリ天と仇名(あだな)された戸田のどん底時代を、
戸田の忠実な腰巾着(こしぎんちゃく)として過すことになった」(P370)


なんでこんなに著者は学会が嫌いなのだろうといぶかしむほどの、
悪意あふれた名文であり、「師弟不二」というきれいごとの裏側の的確な描写だ。
いまうまくいっている成功者に従ってもおいしくないのかもしれない。
いまは零落しているがこいつはすごいと自分が信じた人に賭けるのも一手だ。
だとしたら、成功者の池田大作を先生とあがめる信者は
池田マインドをまったく理解していないと言えなくもないだろう。
池田は当時だれからも見放されたアル中の戸田を師とみなしたのである。
自分が信じた人に全身で賭けることができたのが、池田の大勝利の理由だろう。
人生のどん底にいるボロボロの人を師と尊敬する若者がいまいるだろうか。
やはり池田先生は本物を見抜く目があったとしか言いようがない。
戸田はウラボロとバカにされるボロボロのスーツをまとった人生の敗残者だった。
みんながみんな彼から離れていったのである。
しかし、池田名誉会長はこの人は「すごい」と信じておのれの人生を賭けた。
池田大作は賭けに勝ったと言うことができよう。
損得や打算ではとてもできないことを池田青年はしたのである。
みんなが「偉い」とほめている人を尊敬するのはリスクもなく安全である。
みんなが見放したズタボロの人格破綻者を師とした池田先生も、
ならば戸田先生同様に本物の人間だったのではないか。

以上は創価学会関係者で、それ以外のものでおもしろいと感動した人物がひとりいる。
豊田商事事件の主犯として知られる永野一男会長である。
純金を使った詐欺行為を全国で働き大金を稼ぎ、
最後はじゃっかん32歳でなにものかにテレビの目のまえで刺殺された男である。
この人はおもしろいなあ。犯罪者をほめてはいけないが、なかなかの人物だと思う。
例によって不幸な生い立ちで、「先が見えた」と表の社会に見切りをつける。
永野一男会長の名言は池田名誉会長のようでとてもいい。

「商売の原理は相手に損をさせて必ず金を儲けるのが基本なわけですね。
ですから日本として成長したいんだったら、たとえばアフリカとか、
東南アジアを見てかわいそうだというんじゃなくて、
徹底的にいじめなきゃダメですわね」(P183)


だれかが得をしたらだれかが損をする。
だれかが損をしたらだれかが得をする。
だれかが勝ったらだれかが負ける。
だれかが負けたらだれかが勝つ。
永野一男会長は家族愛を知らずに育ったという。会長の無名時代の話である。

「上司の家に招ばれてエンドウ豆ご飯を食べた際、
こんなうまいもの初めて、といったこと。
家庭をなぜ持つかと問い、ぼくには愛情なんか分らないとつぶやいていたこと……
などなど、若い永野は人の世に揉まれて悩み、傷つきながら、
後年、毒々しいまでに開花させる徒花(あだばな)の土づくりに入っていく」(P184)


永野一男会長は派手な外車を数台、セスナまで所有し、
愛人は日本全国に4人いたという(愛人報酬は月百万円)。
そのうちの愛人のひとりの証言だが、これが泣かせる。

「[永野会長は]ほんとの好みをいえば、夏木マリみたいなボインがいいって。
でも、愛人として長くつきあうのは、地味でひかえめな女性でした。
セックスは上手で、何時間でも続けられたけれど、あの人が安らぐのは、
私のペッチャンコの胸に赤ちゃんみたいに抱かれる時だって……。
でも、子供とか家族とかは絶対にいらないと言って、
いつも避妊具を持ち歩いていましたが、
昨年初め、ほかの人との間に子供ができたっていってました」(P185)


永野会長の会社の営業マンで月6千万も稼いだものがいるけれど、
会長の死ですべてがうやむやになった戦後史のなぞの事件のひとつだ。
永野会長が好きだ。池田会長も戸田会長も、山崎正友も矢野絢也も好きだ。
昭和の梟雄(きょうゆう)たちは平成のいま、どうしてこうも輝いて見えるのだろう。



COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/4356-6757d2be