「教学の基礎」

「教学の基礎 仏法理解のために」(創価学会教学部編/聖教新聞社)  *再読

→11年まえに読んだものを再読してみた。
創価学会の教学ってぎりぎり30歳までではないか?
失礼ながら、子どもっぽいっていうか、子どもだましっていうか。
裏切り者の矢野絢也氏が5代目会長の秋谷栄之助氏を病院に見舞ったとき、
秋谷氏が「いやあ、信心が足りなくてさ(苦笑)」と言ったらしいけれど、
なーんか大人になったら、この程度でしょ。
ガチンコで信心が足りないから病気になるとか思っている人って
学会員でも少数派でしょ?
少なくとも、そうだと思いたい。学会用語ってお笑いに使えそうなんだよね。
「いやあ、最近、頭破七分なのか軽い頭痛があってさあ(笑)」とか。
トラックに泥水をかけられ怒ったときに
「うふふ、これも転重軽受、けれど一念三千ゆえ菩薩の境地(笑)」とか。
寝坊したときに「このごろ人間革命がなってないなあ(ポリポリ)」とか。
関係者はわかるでしょうが、創価学会(日蓮正宗)用語ってやたら四字熟語が多いのね。
「おっと、この一瞬が因果具時(笑)、スマイルスマイル」とかさ。
関係ない人にはわけがわかんない隠語みたいなものなんだけれど。
たぶん、そういう隠語みたいのを使って日蓮は最新っぽさを打ち出したのではないかと。

結局、世界って言葉でできているわけでね、
なにが不幸が起ったときに「信心が足らんかった」と言葉にできると安心できるというか。
たとえば、わたしはカタカナに詳しくないので、うーん。
たとえばさ、とても平和な多幸感あふれるパンダ的状態を
「くいーん♪」と呼ぶとするじゃない。それは新たな感情表現を作ったわけで。
ああ、いまの状態は「くいーん♪」なんだと。わかりにくいか。
そうだ、わたしとおなじ学会シンパの脱税野郎、
茂木健一郎先生の紹介したクオリアっていうわけわかんない概念があるじゃない?
クオリアは学会でいう一念三千みたいなもんなんだけれど、
どっちも知らない人には意味がわからないか。
なにかの状態に新しい言葉をつけると人間はわかったような気になるじゃない?
なんか調子が悪いときに医者から風邪だって言われると安心しない?

不幸な人生を送っている人に、「それは願兼於業よ」って言うのはおなじわけ。
願兼於業(がんけんおごう)くらい説明しておこうか。
願兼於業は、業は願を兼ねるって意味。
業(宿業/不幸)は、菩薩(ほとけ)になるためにあえて前世で願った結果なのだ。
こう言われたら不幸な人は病名をもらったみたいで、わかったような気になるでしょ?
そこで「宿命転換をすればいいのよ」とか言われたら、
「ほほう」とか無学な人は思うわけさ。宿命転換は、いい呪文があるのよ。
御本尊に向かって題目(南無妙法蓮華経)を唱えたら境涯革命が起きるのよ。
それはね、相対ではなく絶対幸福の境涯なのよ、ってまるで婦人部みたいだな(笑)。
人の不幸をあざ笑いたいときは「ほうら謗法の罪よ」とか言うと楽しくない?
「ほうら罰(ばち)が出たわよ」とか仲間とニヤニヤしながら言うのって最高だと思う。
どうしてある人が不幸になるのかはわからないのだけれど、
「謗法の罪(池田先生を裏切った仏罰)」と言われたら、そうかそうかって話。

こんなバカにしたことを書いていると、
明日交通事故に遭って頭破七分になって死ぬかもしれないけれど。
ごめんなさい、そうねそうね、頭破七分の意味は教学では違うよね。
この創価学会の教科書では、頭破七分(ずはしちぶん)とは、
「善悪、邪正の判断がつかず苦悩すること」(274頁)らしい。
でもさ、ふつうに生きていたら「善悪、邪正の判断」がつかないのは正常でしょう?
人生に答えなんかないんだから、「善悪、邪正の判断」がつかないのは当たり前。
でも、なにが正しいのか、なにが善かわからないのってモヤモヤするわけで。
そこで創価学会に入ると池田先生が正しくて法華経が善だと指導されて、
頭破七分(善悪不明、正邪不明)の状態から、
ものすごく白黒がはっきりつくというか、いや、
青黄赤みたいに世界がきれ~いに見えたような錯覚状態に陥ることができるわけ。
自分のあたまで考えなくても、幹部が善悪や正邪を指導してくれるので楽ちん。
こころが澄み切ったような、
白黒テレビがカラーテレビになったような喜びが創価学会にはある。絶対ある。
それが絶対幸福の境涯なのかはわからないけれど、
そう思って死ぬまで駆け抜けられるおばさんはたくさんいるような気がする。

偏差値が高いと創価学会の教学は効き(効果)が薄くなるような気がする。
真っ白な状態に創価用語を植えつけていったら、
あるいは一生単純な色合い(三色/青黄赤)の人生を送れるかもしれず、
それは複雑な色は見えないけれど(善でも悪でもない灰色の世界)、
どちらかといえば不幸よりも幸福に近い状態だから(交通信号のようにクリア)、
創価学園、創価大学のコースを送っている人がうらやましいと言えなくもない。
矢野絢也氏の本によると、創価マインドってあるらしいね。
なにか不幸があると、これは法難だとか考えて、がんばろうスイッチが入るらしい。
教学書よりよほどわかりやすい創価マインド・コントロールを紹介したい。

「このように信者というもの、何か災いが身にふりかかっても、
天が与えたもうた試練だと受け止めるフシがあるから始末が悪い。
世間がどれだけ学会を批判しても、
「何もかも法難。これを乗り越えてこそ、幸せがある」と、
まったく意に介しないのもこのためだ」(「私が愛した池田大作」P88)


創価学会の人生哲学(これも四字熟語でしょ?)を学ぶと、
不幸が幸福になるための法難に思えて楽しくなるわけよ。
だから、学会の哲理はマゾを創るというか、不幸を楽しめるようになるわけさ。
それは京都大学を卒業して大林組という一流企業に入るような人でさえ、
コロリと参っちゃうようなうまくできた自己洗脳システムなのだからすげえって話。
アドバイスとしては、創価学会の教学は若いうちに勉強するといいってこと。
偏差値40の高校を出たおばさんならともかく、
大学出の40歳近いおっさんが学ぶにはちょっときついかなと思う。
人によってはチャレンジするとひょっとしたら絶対幸福の境涯に入れる、
とてもすばらしい人生哲学だと思う。価値のある教えであることは認める。
創価学園の高校生とか目が澄み切っていて、いいなあって思うもん。
創価大学の女子大生もそう。創価大学の男子の目はちょっと怖い。
こんなことを書いたら謗法の罪で仏罰が当たるかな。
しかし、それは法難だから願兼於業、人間革命の大道を歩んでいくぞ。

COMMENT

- URL @
12/06 19:04
. タブーに挑戦されてますねw面白く読んでます。
ロボット人間になれたら人生イージーモードでしょうね。
こんなコメント入れたら私のスマホもやばいですかねww
Yonda? URL @
12/17 19:11
名無しさんへ. 

真相はなんだかよくわかりませんので、
このブログもギャグみたいなもんだとお思いください。








 

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