「平和への道 池田大作物語」

「平和への道 池田大作物語」(前原政之/金の星社)

→子どもでもわかるように平易な文章で書かれた池田大作物語。
いろいろものを考えさせられるため、そういう意味でわたしにはいい本だった。
なかにはなにもものを考えさせない本もあり、
わたしはそういう本を嫌うが、大衆(庶民)はあんがいその手のものを好む。
創価学会の池田大作名誉会長の「正史」をわかりやすく書いた本である。
井上靖の「天平の甍」は鑑真来日という表の「正史」の裏にあったと思われる、
夢かなわなかったいわば失敗した仏僧のかなしみを描いた秀逸な物語である。
歴史(物語)は勝ったものがつくるといってよい。
というか、負けたものの存在は歴史に記されることがない。
相対性理論を発表したものの名前は一生残るが、
おなじ研究をしていて生涯認められなかったものの名前はだれにも知られず終わる。
歴史は勝利者の物語である。勝利者が創作するのが歴史といってよかろう。
歴史上多くのナポレオン的性格異常者(破綻者)はいただろうが、
ナポレオンのように大勝利をおさめなかったから彼らは歴史に名を残していない。
本書はナポレオンが大好きだったという、
おそらく日本でいちばん大勝利している男の物語なのでいろいろ考えさせられた。

2008年刊行の書物のためか、もはや創価学会特有の独善主義はない。
みなが嫌う創価学会の排他的独善主義を著者は持っていないのが好ましい。
それはこの物語のフィクションからわかる。
池田青年にキリスト教に入信する友人がいたという設定を著者はしている。
これはクリスチャンの佐藤優が創価学会と癒着するまえかあとかはわからないが、
いまや創価学会はキリスト教まで認められるようになっているのかもしれない。
正しくは、一部の良識ある学会員は唯一の絶対正義なるものを疑っている。
池田青年はキリスト教に入信する友人に向かってこう言ったことになっている。

「きみがそう決めたのなら、それもよいと思う。
ともかく、ぼくの願いは、きみが幸せになることだ。
ぼくもいまは病気だし、生活も苦しいけれど、すべてを乗りこえて、
人々のため、社会のために役に立つ、堂々たる人生をひらこうと思う。
おたがいがんばろう」(P83)


とてもいい別れの言葉だと思う。
相手の幸せを願うというのが本当の友情だ。
相手のためを思ってと言いながら強制的に創価学会に入信させることのなにが友情か。
さらにこの創作されたセリフのすばらしいところは押しつけをしていないところだ。
池田青年は「人々のため、社会のために役に立つ」ことを個人的に目標にしているが、
この別離した友人には「人々のため、社会のために役に立つ」ことを強制していない。
ことさら人々のため、社会のために役に立たない人がいてもいい。
そういう寛容性、人間としての器の広さを著者から見て取ることができる。
きみはきみの道を行け。きみとぼくは違う。ただし、幸せになってくれ。幸せになれ。
きみが人々のため、社会のために役に立たなくてもいい。
ただきみが幸せになってくれ。それがぼくの望みだ。それがぼくの幸せだ。
とてもすばらしい人間観、幸福論だと思う。

友人と別離した池田青年は人間普遍の問題に悩む。
宗教の根本はここにあるのである。
この池田青年の思いがわかる著者もまた、
かつておなじことに真剣に悩んだことがあったのだろう。
いちおうは池田の師匠である創価学会二代目会長の
戸田城聖の言葉(指導)になっている。
いまの若者だってなにも考えていないようだが、かならずここでつまずくのである。

「一番、肝心なのは、人間とはどういうものか、自分とはどういうものか、
そこから考えることだ、というのです。
だれもが自分のことはよくわかっているつもりで、本当は何もわかっていない。
どうして人は生まれて、死んだらどうなるのかさえ、わからないのです。
生命については、わからないことだらけなのです」(P91)


勘がよくあまたのいい少年少女青年淑女はかならずここで立ちどまるのである。
わたしはいいおっさんになっても中二病のごとくこの問題に執着している。
しかし、もうすぐ死ぬだろうに、
こんな青臭い問いに悩んでいる中島義道のような哲学者もいるから安心だ。
この問いに対する答えはさまざまで、自分で自分なりの答えを発見するしかない。
しかし、それはニートや無職、孤独といった社会問題を引き起こすことが多い。
このため戸田城聖の指導は、かなりのパーセンテージで「正しい」と思う。
ふつうのあたましか持たない人はそういう根源的な問いを持ちこたえられない。
へたをするとあたまが狂って自殺してしまうことになる。

「正しい人生とは、と考えるのもよい。
しかし、考えるひまに、日蓮大聖人の哲学を実践してごらんなさい。
青年じゃありませんか。
必ずいつか自然に自分が正しい人生を歩んでいることを、いやでも発見するでしょう。
私は、これだけはまちがいないといえます。
青年らしく勉強し、実践してごらん」(P91)


「正しい人生」の別名はつまらない人生で、
みんなとおなじように金儲けや出世を目指し、結婚して子育てして、
まあいっか、とみんなとおなじようにありふれた人生を終えることなのだが、
たしかにそれは悩める青年に教えるべき「正しい人生」と言えよう。
「正しい人生」を自分のあたまで考え始めると人生を棒に振ってしまう確率が高い。
池田青年はいいタイミングで師匠と出逢ったのだろう。

本書は「池田大作物語」と銘うっているから、あくまでも物語で事実ではないのだろうが、
戸田城聖のほかに池田大作にはもうひとりの師匠がいたことになっている。
それは池田少年のお母さまであられる。
この池田名誉会長のご母堂に、通俗的な説教をさせているのが物語としてうまい。
戸田城聖には決して言わせられないことを母親の言葉として書いている。
母は強し、である。母ならば息子にどんな「正しい」ことを言ってもいい。

「母は、子どもたちに、「出世してほしい」などといったことは一度もありませんでした。
いつも、二つのことを子どもたちにくりかえしいいきかせました。
それは、「ウソをついてはいけないよ」と
「他人にめいわくをかけてはいけないよ」ということでした」(P15)


池田大作名誉会長の人生を振り返ると、
一般的な世間常識とも言える母の言葉に逆らい、
師匠である戸田城聖の指導に忠実に従ったことがわかる。
池田大作ほど日本で出世した男はいないだろう。
池田大作ほど多くのウソをついて
苦しむ庶民を救った宗教者は世界史上まれではないか。
同時に池田大作ほど多くの人に影響をおよぼした(迷惑をかけた)人はいまい。
池田名誉会長のお母上はさらなる通俗的世間的な説教を池田少年にする。
なんでも池田少年は修学旅行で気前よく同級生におごったため、
家族へのお土産を買う金がなくなってしまったという。
そのときに助けてくれたのが檜山先生だ。そっとお小遣いをくれた。
母親はのちに日本最大の権力者になる息子にさとす。

「檜山先生のことは忘れてはいけませんよ。
困ったときに助けてくれた人、自分を支え、はげましてくれた人のことは、
絶対に忘れてはいけません。
そして、将来、何倍にもしてそのお礼を返していくのです。
それが恩を知るということです。人間にとってもっとも大事なことです」(P34)


まるで悪魔のような母親ではないか。
こういうことを何度も息子に吹きこんだら、その子は一生友人ができなくなってしまう。
池田少年のお母さまの言っていることは、要約すれば人間関係なんざギブアンドテイク。
人の好意なんか信じちゃいけない。好意は借りだから何倍にもして返せ。
人を信じるな。人の好意を信じるな。なにかしてもらったら、かならずお返しをしろ。
しかし、友情というのはギブアンドテイクからもっとも遠いものである。
池田母の説くギブアンドテイクを信じていたら、一生のあいだ親友はできないだろう。
見返りもなにもないのにどうしてか不思議というほかなく厚情を示してくれるのが友だ。
そして、友からの親切にお返しを何倍にしようか、などと考えないでいられるのが友情だ。
恩を返せという処世術はまことビジネスには有効だが、人を孤独にする説教だ。
本書の著者は、おそらくそのことを深く理解しているのではないだろうか。
これはフィクションだろうが、池田少年に見返りを求めない行為をさせている。
池田少年が小学5年生のときだという。
兄の喜一が兵隊として中国大陸に出征するので家族で駅まで見送りに行く。
そこにはたくさんの兵隊とその家族がいたという。
池田少年と母、喜一は久しぶりの再会を喜ぶ。
以下のシーンが本書でいちばん好きだ。よかった。

「なかには、家族がだれも来ていなくて、一人さびしく座っている兵隊もいました。
しょんぼり座りこんでいる兵隊を見て、母はかわいそうに思いました。
「あの兵隊さんにも、おにぎりをさしあげたら?」といいました。
池田家は海苔屋(のりや)ですから、海苔はたくさんあります。
おにぎりも余分に用意してきました。
池田少年はおにぎりを手に持ち、ひとりぼっちの兵隊にかけより、
「どうぞ」とすすめました。
最初は遠慮していましたが、もう一度「どうぞ」とすすめると、
「ありがとう」と何度も礼をいっておにぎりを受けとりました。
さびしそうだった兵隊の顔がパッと明るくなるのを見て、少年もうれしくなりました」(P24)


これはギブアンドテイクではないでしょう。
このエピソードでだれが本物かといったら、ひとりぼっちの兵隊さんである。
大の男にとって人から同情されほどこしを受けるほど屈辱的なことはないのである。
世間常識はギブアンドテイクである。借りは返せ。借りは作るな。
このときのひとりぼっちの兵隊さんは、池田少年に恩を返せる見込みがないのである。
しかし、池田少年のまっすぐな目を見て、ありがとうと感謝しておにぎりをもらう。
とてもすばらしいシーンだと思う。
池田創価学会のよさはこういうところにあるのではないか。
妻に先立たれたひとりぼっちの孤独な老人に声をかけてやる。
お金に困っていないのならいっしょに公園の掃除でもしませんか、と誘う。
貧窮していたら国にこういう制度があるからと教えてやる。
見返りを求めないで、そういう親切行為をできるのが学会員の偉いところだ。
ひとりぼっちは大半の人間にとってこれほどきついものはない。
そういうひとりぼっちの人間に見返りを求めず声をかけていけるところが
池田創価学会のすばらしいところだ。
個人的には「公明党に入れて」くらいは言ってもいいと思うけれども。
思い返すと、人生でひとりぼっちのとき、
いく人の学会員(っぽい人)が心配して声をかけてくれたことだろう。
正直、それがうざかったこともあるけれど、見返りを求めない善行など、
要はお節介なのだから宗教のないふつうの人はなかなかできない。

恩を返せよと恫喝するのはビジネスであって友情ではない。
受けた恩を返さなければと思うのは人間不信の証拠である。
人から親切をされたときに、恩を返す見込みはないけれど、
ただただ「ありがたい」と感謝して
卑屈になることもなく笑顔でおてんとさまを見上げられるのが
人間のよろしさであり友情というものだ。
おそらく著者は池田名誉会長がひとりも持っていない親友にめぐりあえたから、
前原政之さんには真の友がいるから、こういういい本が書けたのだと思う。
わたしはこの本の感想を泣きながら書いた。

COMMENT

名無し URL @
11/28 20:10
. 名誉会長とクリスチャンの友との事は、確か歌にもなってた気がする








 

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