「憚りながら」

「憚りながら」(後藤忠政/宝島社文庫)

→創価学会とヤクザの関係を知りたくて読む。
著者は有名なヤクザの親分だったらしく、
本書刊行時は来世が怖いのか坊さんをやっていた(現在は最後に書く)。
本書はいわゆる裏社会の暴露本のようなものである。
かつて暴力団山口組きっての武闘派として知られた後藤組の元組長は証言する。
学会シロートはパッと1回読んだだけでは経緯を理解できないと思われる。
わたしは学会員(っぽい人)に恩義があるから「本当のこと」をわかりやすく説明したい。

はじまりは富士宮の日蓮正宗大石寺の大本堂設立をめぐってだ(72年建立)。
富士桜自然墓地公園の設立も関係している(80年完成)。
このふたつを建設するために動いた金は1000億円近いとされている。
創価学会は大本堂設立のための土地買収の際、かなり乱暴なデタラメをした。
結果として、富士宮の議会で問題になり、
池田大作も道路交通法違反で告発された。これは創価学会にとっては困る。
だれに相談したらこの問題を解決できるかと考えた学会は、
富士宮の「陰の市長」とも言われていた地元の実力者の日原博に相談する。
日原博こそ富士宮の議会を裏で支配していた黒幕だったからである。
(日原博の肩書は自民党富士宮支部支部長。67~79年、静岡県議。日原造園経営者)
日原博は別に正義のために創価学会を告発したわけではない。
その証拠は、創価学会の元顧問弁護士、
山崎正友が日原博に裏金を持っていったらすぐに態度を改めたからである。
どうしてこの事情を著者が知っているかというと、
後藤は日原博の用心棒のようなことを当初はやっていたからである。
ここからわかるのは公明党(創価学会)だけではなく、
自民党も暴力団と関係していた事実である。
わたしは別に創価学会と暴力団に関係があってもことさら悪いとは思わないが、
もし学会がヤクザとつるんでいるからけしからんというものがいるならば、
自民党だって経済界のトップだって暴力団と関係していたことをどう思うのだろう。

さて話を戻すと、自民党のお偉いさんで造園会社のトップ日原博と、
創価学会顧問弁護士の山崎正友はタッグを組んだわけである。
このため創価学会の造園計画もうまく行き、日原博も独占的に金儲けをすることができた。
後藤組の後藤忠政もおこぼれを頂戴してこの時期に組織を拡大した。
宗教関係者は相場よりも高く土地を買ってくれるというのは有名だから、
富士宮には土地成金のようなものもだいぶ現われたことだろう。
もしこの造園計画を事前に知り得たら土地の転売で大儲け可能だったことだろう。
多少正義にはもとるかもしれないが、
「学会利権」でみんながみんなけっこういい思いをしていたわけである。
しかし、きれいごとが好きな左翼を中心にこの癒着に反対する市民運動が始まる。
創価学会反対のデモまで起こるほど大ごとになってしまった。
このときには後藤忠政も直接に山崎正友と交際するようになっていた。
山崎正友は池田大作から命令され、この市民運動の沈静化を後藤忠政に依頼した。
後藤忠政は報酬をもらったうえで仕事として市民運動を抑えることに成功する。
具体的にはどんな仕事をしたのか。
後藤によると、静岡県議で日原造園社長の日原博は墓石で荒稼ぎをした。
安い墓石を海外から仕入れ、異常な高額で学会員に売りさばいたのである。
もちろん、後藤組にも創価学会にもキックバック(利益供与)したことだろう。
こういう不正を憎む手合いが、
日原博や後藤組の悪事をビラにして新聞折り込みに入れ配った。
1977年、後藤組のヤクザが反対派グループの首謀の家にブルドーザーで突入。
後藤の命令でヤクザはMを日本刀で斬りつけたという。
後藤忠政(から命令された組員)はカタギの一般人の片腕を切り落とし片輪にする。
こういう荒っぽいことをされたら、
だれも日原博、後藤組、創価学会に逆らえなくなる。
後藤忠政は確実に報酬分の仕事(暴力)はする、とてもいいヤクザだったのだろう。
ここまでは創価学会も後藤忠政もウィンウィンである(利害一致)。

しかし、社会不正はばれるものである。
日原博は1979年に静岡県議を辞めている。
翌年1980年に富士宮議会に真相を追求する「百条委員会」ができる。
創価学会としては困った事態になったわけである。
80年段階で山崎正友弁護士(当時)は創価学会から除名されている。
しかし、公明党と後藤忠政とのパイプはつながっていた。
ヤクザの後藤忠政は公明党市議から依頼を受け「百条委員会」をつぶす。
だれだって家にブルドーザーで突っ込まれたり、
日本刀で斬りつけられるのはあまり歓迎すべき事態ではないということだ。
ところが、この「百条委員会」壊滅のときの謝礼金を創価学会は支払わなかった。
あるいは後藤の期待よりはるかに少ない報酬しか支払われなかった。
そのうえ今後の関係終了(絶縁)を学会サイドから一方的に通告された。
後藤親分は子分を刑務所行きにさせてまで池田創価学会に尽くしたのに、
これではあんまりだと公明党の竹入と矢野に内容証明郵便を出した。
ヤクザと1回でもかかわったら、このように延々とゆすられるのかあ。
池田創価学会としてはトカゲのしっぽ切りである。
あれはすべて山崎正友が勝手にやったことだと逃げたい。
しかし、後藤忠政としてはそうは問屋が卸さないというわけである。

いくら創価学会でも山口組きっての武闘派は怖いのである。
創価学会はどのような対策を取ったかというと、今度は警察に手を回したのである。
創価学会と警察が上のほうでは通じているというのは有名な話である。
公明党が与党であるから、警視庁の予算や人事にまで口を出せるのである。
創価学会から後藤組対策を依頼された警察はどうするか。
富士宮署に「後藤組壊滅対策本部」をつくり、
徹底的に後藤組の組員を取り締まった。
警察権力がその気になれば、どんな罪状でも引っ張ることができるのだ。
これに負けるような後藤忠政ではない。てめえ、ふざけんなよ、の世界である。
後藤忠政は子分に命令して池田大作をつけ狙わせる。
池田は最初東京女子医大に逃げ込んだが、
組員が現われるとすぐに行方をくらましたという。
1985年11月、信濃町の創価学会文化会館で後藤組系幹部ら3人が発砲。
銃刀法違反で現行犯逮捕されるという事件が勃発する。後藤忠政やるなあ!
これに対して池田創価学会はどうしたか。後藤組に詫びを入れたのである。
仲介者となったのは、公明党重鎮の藤井富雄。
創価学会の初期メンバーのひとりでもある。
池田創価学会が後藤組にいくらの謝罪金を払ったのかは書かれていない。
藤井富雄は陸軍中野学校(旧日本軍のスパイ養成所)出身とか息巻いていたらしい。
中卒の後藤忠政は京大法学部卒の山崎正友を嫌っていたが、
自称陸軍中野学校出身の(創価学会古株)藤井富雄とは意気投合する。
池田創価学会と暴力団最強の後藤組は以降、手を組むことになる。
創価学会は表(警察)とも裏(暴力団)とも通じているのだから恐ろしい。

1991年、日蓮正宗は池田大作名誉会長を破門。
以降、創価学会と日蓮正宗は激しく対立する。
92年4月、日蓮正宗大石寺「妙遠坊」で発砲事件。
同年5月、日蓮正宗大石寺「奉天寮」に火炎瓶が投げつけられる。
95年某月、藤井富雄は後藤忠政に亀井静香ら4人の反学会メンバーの殺人を依頼。
この殺人計画は未遂に終わったが、
後藤組は創価学会からいくつ仕事を請け負ったのだろう。
もちろん、「法華経を唱えるヒトラー」もとい「庶民の王者」の
池田先生が暴力団と関係しているはずがなく(絶対にない!)、
藤井富雄とやらが師匠のためを思って独自判断で勝手にやったことだろう。
近い将来、正義の聖教新聞で藤井富雄が総攻撃される日が来るかもしれない。
わたしは創価学会が暴力団と関係していた過去を知ってもまったく動じない。
どうしてヤクザはいけないのだろう?
先ごろ引退したプロレスラーの天龍源一郎のファンだったせいか、
ああいう浪花節の任侠ヤクザ世界にはとても好感を持つ。
義理、人情、仁義の世界である。
考えてみたら、創価学会とヤクザはよく似たところがある。

「ヤクザになろうなんて子は、どっか社会に馴染めなくて、弾かれたり、
落ちこぼれたりして不良になってるんだけど、
実は案外、真面目で一途(いちず)な子が多いんだ。
真面目で一途でないとヤクザは勤まらんのだから。ヤクザになるからには、
親分や兄貴分に絶対的な忠誠を誓わんことにはいかんのだから。
極道の世界にはまだ、「主君のために命を捨てる」とか「二君に仕えず」
といったサムライの精神が生きてるんだよ。
だからこそ組織が成り立ってるんだ」(P297)


ヤクザがよくない、創価学会がよくないというのは、
世間的な物差しで判断しただけの偏見ではないだろうか。
どうしてヤクザ創価学会は悪くて朝日新聞が絶対的な善になるのだろうか。
戦時中は戦争をあおりたてていたのが当時もいまも正義の朝日新聞なのである。

後藤忠政の話をしよう。
後藤の母親は彼が2歳のとき踏切の故障で電車にはねられ事故死したというが、
いくら踏切が壊れていても電車が来ればわかるはずで、まあ投身自殺だろう。
後藤が最初に殺傷事件を起こし逮捕されたのは二十歳になったばかりのころ。
「よーし、ちょっと男を上げるか」と反目するヤクザ団体の幹部を日本刀で斬りつける。
このとき「死ぬのが怖いとは思っていなかった」というが、
それはおそらく母親のけがれた血が遺伝しているからではないかと思われる。
本書でいちばん驚いたのは、財産と地位(名誉では断じてない)を得、
贅沢を知った後藤がのちに肝臓ガンになったとき、
死にたくないと心底から思ってアメリカまで肝臓移植に行ったことである。
人間って変わるもんなんだなあ。
天文学的レベルの裏金をアメリカの病院に支払い、移植の順番を早めてもらったらしい。
このとき本来はアメリカに入国できない前科者の後藤が渡米できたのは、
FBIとの裏取引があったからだと本書に書かれている。
後藤は書いていないが創価学会インタナショナルのコネもあったのではないか。
後藤忠政は自分の命ほしさに仲間の山口組情報をFBIに売ったそうだ。
これはチンコロと呼ばれるヤクザ世界でいちばん軽蔑される行為だが、
二十歳のときは「死ぬのが怖いとは思っていなかった」後藤が
そうまでして生きたいと思うようになった理由が知りたい。わからない。

わたしはヤクザの親分になどなりたくないが、どうしたらなれるのか。

「世の中の人たちは、ヤクザの親分というのは、
若い衆が稼いできた上がりを取ってメシを食ってると思ってるかも分からんけど、
そんなことをしてたら若い衆は逃げるだけだ。
二十代の頃の俺なんて、有名な親分でも何でもないし、もっと簡単に言えば、
俺が飲ませたり食わせたりしてるから、人が集まるんであって。
「おい、お前」とか言って身内にたかってばかりいたら、
逃げられるに決まってるよ(笑)」(P56)


池田大作さんがじゃっかん32歳で創価学会三代目になることができたのは、
当時大蔵商事(高利貸し)で大金を稼いで、
ヤクザの親分とおなじことをしていたからではないかと思う。
そして、池田名誉会長は32歳以降、
ずっと友人がひとりもいない超絶孤独を味わってきたような気がする。
子分と友人は違うのである。
彼の味わったであろう本物の孤独を考えると、
どんなに勲章をもらっていても池田先生がうらやましいとは思えない。
元後藤組組長で現在はカンボジアで伯爵をなさっている後藤忠政はいう。

「ただ、人間一生のうちに、本当に腹を割って話をしたり、
胸の内を包み隠さず見せたりできる相手は、2、3人もいれば充分だ。
あとは多かれ少なかれ、どこかに欲があったり、
この人と付き合っていれば、何か得だろうという打算の関係が大半なもんでな」(P134)


創価学会員って友人がたくさんいる社交的な人が多そうだけれど、
もし自分が脱会したらそのうち何人がそれでも友人でいてくれるだろう、
とか思い悩んだりすることはないのだろうか。
創価学会の芥川賞作家、宮本輝はエッセイにこう書いている。

「私はときおり、たまらなく寂しいときがある。
私には親友がいないという気がするからである。
親しい友人はたくさんいるが、真の友はひとりもいないなと思う」(「命の器」)


いったいなんの本の感想だかわからなくなってきたが、
いちおうブログカテゴリー「創価学会」の記事だから許してください。
後藤忠政のベストセラー「憚りながら」で西郷隆盛の名言を知る。
そうそう、後藤とかいう元ヤクザは本書で池田先生のことをボロクソにいっていたぞ。
学会の若い衆はどうしてカンボジアまで仇を討ちに行かないのか不思議である。
西郷隆盛の名言――。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。
此の始末に困る人でなければ共に天下の大事は語れない」(P161)


後藤忠政はいまそういう人がいなくなったと嘆いているけれど、
わたしはひとりそういうヤバい知り合いがいる。
彼はカンボジアに行ったこともあり土地勘もありそうなので先ほど電話してみた。
「カンボジアはメシがまずいからいやだなあ」だってさ。
彼なら元ヤクザの老いぼれカンボジア伯爵をこらしめてくれるのではないか、
と期待しているが果たして。

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