「民族化する創価学会」

「民族化する創価学会」(島田裕巳/講談社)

→創価学会っておもしろいよなあ。
日本戦後史を語るうえで欠かせないのは創価学会だけれども、
だれにも正体はわからず黒い噂も多くタブーになってしまっているわけである。
わたしは創価学会が善か悪かはわからないが、とてもおもしろい宗教だと思っている。
好きか嫌いかと問われたら、どちらかといえば好きと答えるような気がする。
というのも、よくわからないところがあるからである。
いままで一度も人生で学会員と逢ったことがない。
この人は99%学会員だと思う人には接したことがあるけれど、
まさか宗教は聞けないでしょう。学会員は正体を隠すことが多いし。
とはいえ、いままで学会員っぽい人に親切にされてきたなあ、という思いはある。
これはおそらく本当のことだけれど、学会員でも学会のことはよくわからないと思う。
なぜなら、あまりにも巨大になりすぎてしまったからである。
おなじ学会だって地域によってそうとう違うはずである。
そのうえ熱心な学会員は活動で忙しいから学会に関する本を読む時間がない。
スリープ(未活)の人はそもそも学会にあまり興味がないからスリープなわけで。
結局、著者とかわたしのような外部の人が内部の人より学会に詳しい、
といったような状況も起こりえないわけではないと思う。

忙しい学会員はこんな本を読む暇がないと思うので恩返しもふくめて要点を書く。
というか、あんまりおもしろくない本である。
知っていることも多く、得るところが少ない。
このため、要点は簡潔にまとめられる。創価学会の特徴は――。
・おなじ日蓮系の立正佼成会や霊友会とは異なり出家者集団とのパイプがあった。
(いまは切れてしまったが、必要がなくなったらハシゴを外す手腕は巧みだと思う)
・先祖供養がない。
・スピリチュアルな部分がない。
(この点が真如苑との違いで著者はこれからは真如苑が伸びるのではと予測)
・熱心な学会員は250万人だと著者は言い切っている。
(わたしはもっと多いと思うし、未活の人の多さが学会の強みだと思う)
・宗教団体にはめずらしく一度も分裂を起こしたことがない。
(池田先生がすごいのか、ブレーンが優秀なのか、どちらともだと思う)

わたしが創価学会に興味を持つのは実際に功徳も罰も起こせる仏教団体だからである。
本書の言葉を借りよう。

「創価学会は、「現世利益」の実現を掲げて、組織の拡大に成功したわけだが、
こうした公明党議員による住民相談は、
まさに現世利益の実現に結びつく活動である」(P91)


公明党議員って本当によく住民の相談に乗ってくれ、実際に解決してくれるらしい。
それに「三人寄れば文殊の知恵」というけれど、
学会に入ればどこの病院がいいとか、こういう国からの支援があるとか、
いろいろな人がいるからお互いに知識を伝達しあえるわけでしょう。
それぞれ得意な分野、不得意な分野があるわけだから、
群れるのは人間として戦略的に「正しい」(得である)。
よく知らないけれど、学会に入って仕事を紹介してもらった人もいるだろうし。
創価学会は大所帯だから、実際に現世利益があるといえよう。
創価学会の恐ろしいところは仏罰も起こせてしまうところである。

「佐々木順子という女性の場合には、自分は学会員ではなかったものの、
母親が学会員で、毎日のように家で折伏[勧誘]された。
また、職場の同僚からも、毎日学会に入るように口説かれていた。
それでも、彼女は学会員になろうとはしなかった。
ところが、家庭や職場での折伏が続いたため精神的に追いつめられ、
ノイローゼになり自殺未遂をはかった。
すると母親を含め、周囲の人間たちは、「それ、出たぞ」と、
彼女の不幸をむしろ喜んだという。
この背景には、初代会長の牧口常三郎の説いた「罰論」の影響があった。
「出た」とは、罰が表に出たという意味である。
それから佐々木は、母親や周囲の学会員に可愛がられるようになり、
自身熱心な学会員になっていったという」(P96)


学会員は脱会者にとても厳しいことで有名である。
集団でいやがらせをして実際に仏罰を人の身に起こせてしまうところが学会のすごさだ。
わたしは根が下劣だからか、学会員のこういう人間くささがとても好きである。
嫌いな人が不幸になるのって楽しいよねえって話。
偽善者は人の不幸を聞くと同情したふりをするけれど、
それが嫌いな人だったらむしろ喜ばしいと感じるのが人間として当たり前というもの。
嫌いな人の不幸をせせら笑うような人間味が学会員のよさともいえよう。
では、なぜ学会に入らないのかというと、
そもそも入れてくれないだろうし、だれも一対一で折伏してくれないからである。
タイプのかわいい女の子から交際を条件に誘われたら一も二もなく入信するだろう。
しかし、いざ内部に入ったら以下のようなことはいえなくなってしまうのである。

「日中国交正常化には、池田の功績は必ずしも大きくはなく、
むしろ公明党、とくに当時の竹入委員長の功績が大きい。
にもかかわらず、創価学会と公明党は、竹入をおとしめることで、その功績を奪い、
もっぱら池田の功績に仕立てあげようとしている。
創価学会と公明党は、竹入が経歴詐称していたと非難しているものの、
ここには、意図的な歴史の作りかえが見られる」(P208)


著者は外部の人だからこういう、
まあ(おそらく)客観的な意見を書いても聖教新聞でたたかれないが、
内部でこんな発言をしたら屈強な青年部に囲まれつるし上げを喰らうのである。
竹入の次に粛清されたのは矢野だが、狂信的な青年部ほど怖いものはないという。
少しでも池田先生に逆らったら、何時間も大声で怒鳴られ土下座を強要される。
こういう優秀(?)な弟子が大勢いるのが創価学会の強みであろう。
いままで著者のことを宗教性を持たない宗教学者だと軽んじていたが、
以下の引用を読んでこの人は宗教の力学(仕組み)を
よく理解しておられるとひとりで拍手した。宗教は師匠ではなく弟子がつくるものである。

「師匠が弟子のことについて語ることはない。
語ったとしてもそれほど意味はない。
重要なのは、弟子が師匠のことについて語ることである。
師匠は弟子によって作られるともいえる」(P268)


わたしは師匠の親鸞の千倍以上、唯円のほうが優秀だったと思っている。
ぶっちゃけ、イエスなんて狂人で、
よくできた弟子が師匠をうまく英雄化したわけでしょう。
釈迦は廃人で、弟子や(むしろそれよりも)没後弟子の法華経創作者のほうが偉い。
創価学会でいえば、
二代目会長の戸田城聖なんてアル中のクズに過ぎず(そこが好きなのだが)、
どう考えたってこれだけ信者を増やした三代目の池田大作のほうがカリスマ性は高い。
同様、池田先生は偉いのかといったらかならずしもそうではなく(怒んないで!)、
日本全国にいる個々の学会員のほうが師匠よりもはるかに偉いのである。
正直いって、わたしは池田大作名誉会長よりも
人格的にすぐれていると思う学会員(っぽい人)をいく人も知っている。
創価学会という組織には、末端ほど立派な人がいるような気がしてならない。
だからといって、いまの学会員が戸田城聖をそれほど尊敬できないように、
それとまったくおなじように、わたしも名誉会長のことをそれほどそれほど……。

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