「空海を語る」

「NHKこころをよむ 空海を語る」(梅原猛/ラジオテキスト)

→空海という坊さんは、日本史上まれに見る食わせ者でハッタリ屋、
インチキ野郎なのだが、このペテン師こそあるいは本物の宗教家なのかもしれない。
というのも、これを書いていいのかわからんが、宗教なんてみんなインチキでしょう?
アハハ、ぶっちゃけさ、神や仏なんかいるはずないじゃん。いない、いない。
そんな常識は30年、40年ふつうに生きていたら、わからないやつなんていないと思う。
まじめに生きてきたやつが30半ばくらいでガンになって、
これは使命だとか思い込んで必死にお題目を唱えたって治るわけがない。
なーんもがんばってないやつが親の威光でうまうま生活、
愛人いっぱいでさらにキャバクラ三昧だったりするわけ。
神や仏にいてもらわないと困るから、人間は神や仏を創造しただけで
本音じゃみーんな神仏は存在しないって気づいているよね。

空海はとにかく野心あふれる青年だったのである。なんでもいいから偉くなりたかった。
梅原猛さんではないけれど、権力欲のかたまりのような男だったわけである。
空海も最澄とおなじで早々と組織からドロップアウトする。
なぜなら出世できないからである。
こんなところでちまちま本を読んで勉強していても世界のことはわからないし、
なにより当時出世は結局家柄(いえがら)で決まるから先々が読めてしまう。
金持のボンボン(貴族の子弟)なら勉強なんてまったくしなくても出世できてしまう。
学校で先生の教えを学んでいてもたかが知れているではないか。
そこで空海はどうしたかというと山岳修行者になったわけである。
山のなかで修行をすることにした。
学校のなかにはガリ勉しかいないが、
山で乞食をしているような修行者にはおもしろい本物がいるのではないか。
で、空海が山岳修行者として山に入ってみたら学校にはいないタイプの
おもしろいやつがごろごろしている。
どこかインチキくせえのだが、こいつらは人間味があっておもしろい。
当時の山伏(やまぶし)がどうやって食っていたかというと呪術や祈祷である。
学校のお偉い先生はあたまでっかちなばかりでなにもできないが、
山伏の先輩たちは実際に呪術や祈祷で病気を治したり奇跡を起こすのである。
空海にはインテリの面もあったから異色の新入りとして
山伏集団からかわいがられたことだろう。

あるとき空海はもっとも尊敬する山伏に質問した。
どうして呪術や祈祷で病気が治るのですか? 答えは驚くべきものだった。
もうすぐ治るだろう病人を見分けることがたいせつだ。
寿命が来たやつはおれたちがいくら祈っても死ぬ時期が来たら死ぬ。
これは避けられない。
だが、素人目にはわからないだろうが、治りそうな病人もいないことはない。
そういうときに呪術や祈祷の依頼を受ければいいのである。
それから見てくれが大事だ。
いかにも修業しているというコスプレをするんだ。役者になりきれ。
病人や家族は不安で仕方がないんだ。
そこにおれたちが自信たっぷりで「絶対大丈夫」とお祈りをしたら不安が消えるだろう。
このため病気の治りが早くなり、おれたちの評判は上がり、まあ金が儲かるってわけだ。
空海は質問する。唱えている呪文はいったいなんですか?
屈強な山伏は初々しい空海に
おれのマラ(男根)を口淫したら教えてやると言ったかもしれない。
唱えている呪文はあれはなんですか? 
教えのためなら空海はなんでもやったことだろう。
若い空海はもてただろうから女を斡旋してやったのかもしれない。
あの呪文はなんですか? 山伏のボスは教えてくれた。あれは真言密教だ。
呪文は梵語(ぼんご/サンスクリット語)で意味はおれにもわからない。
しかし、呪文なんて意味がわからないほうがありがたいだろう?

空海はペテン師でヤクザな親分からいろいろ教えてもらう。
雨乞いはどうしたらいいのですか?
親分は空を見ろという。とにかく空をよくみろ。
当時は天気予報などなかったが、山岳修行者は天気予報ができたのである。
そろそろ雨が降るという空気の流れがあるのだから、それを感じろ。
そのときこそ日照りで苦しんでいる村に乗り込んでいくんだ。
おれが雨を降らせてみせると。
そこでもっともらしい雨乞いの祈祷をしたら感謝されるばかりではなく金も儲かる。
お山のボスである親分は学のある空海青年にいちばん重要なことを教える。
もっとも大事なことは、自信を持つことだ。
絶対自分は大丈夫と思え。自分はすごいと思え。自信をなくしたら負けるからな。
山伏同士で喧嘩が起こることなんてしょっちゅうだ。
そういうときは先に視線をそらしたほうが負ける。自信がないほうが負ける。
喧嘩に勝つためには、なにをしてもいいということだ。
敵の味方を買収して裏から襲わせても、勝てばそれでいい。
ここだけの話、秘法があるとすればハッタリだな。いかにハッタリをかますか。
おれは神さまの子どもであるとふかしても、なにをしてもいい。
まず相手を威圧しろ。呑まれるな。相手を呑んでかかれ。
そのためには自分の周囲にある空気をも利用するんだ。

空海は山伏の親玉にもなれただろうが、裏社会のドンは空海に伝える。
おまえはもっと「上」に行ける。おれの教えを表の社会で生かしてみろ。
さて、この肩書はチンピラに過ぎなかった空海がどうして中国留学僧になれたのか。
どのようにして裏社会から表社会へ舞い戻ったのか。
ここは資料がないから、学問ではわからない。
おそらく山伏集団と貴族とのあいだで裏取引があったのだと思う。
具体的には、貴族の表沙汰にはできない秘密をにおわせて脅したのではないか。
だれでも生きていたら世間には公開できないことがあるものである。
とくに社会的地位の高い人ほどスキャンダルを恐れる。
無職が盗撮まがいをしても注意で終わりだろうけれど、大学教授がそれをやったら終わり。
当時もこういうったスキャンダルはあったはずで、
このへんをうまく嗅ぎつけた空海は貴族を脅して
留学僧という地位と大金をまんまとせしめたのではないかと思われる。
空海は最澄とおなじ遣唐使の一団として中国へ渡ったわけだが、
空海がはじめて最澄を見たとき、いったいどれほどの嫉妬を感じたことだろう。
自分は20年も留学しなければならないのに、最澄はわずか2年でしかも通訳つき。
どうして本ばかり読んできたような最澄が自分よりも偉いのだろうか。
ははーん、そういうことか。最澄は桓武天皇のお気に入りだから特別待遇なのか。
結局はいかに「上」から認められるかで勝負が決まる。
空海は思った。くそったれ、最澄の野郎。いまはおれになんか目を向けもしないな。
いいか、覚えておけ、最澄! 
いつかおまえをおれの足元に這いつくばらせてやるからな。

最澄は中国へ着くと、まっすぐ天台山に行ったが空海は異なる。
中国で当時いちばん栄えていた西安に行き、
いまなんの仏教が流行っているのか調べる。
現世利益を呪術でかなえる密教というものが流行していると聞きつける。
空海は大して中国語会話もできなかっただろうが、ヤクザな性分である。
山伏という荒っぽい連中に揉まれてきているから人間力が異常なほど高い。
海外ひとり旅経験者ならわかるだろうが、現地語をよく知らなくても身振り手振り、
それから目つきでコミュニケーションくらいは取れるのである。
空海は知る。どうやら西安の近くに青龍寺というところがあり、
そこに恵果(けいか)という有名な坊さんがいるそうだ。
当方も青龍寺には行ったことがあるけれど、もちろん当時といまは違うだろうが、
なにやらものすごくうさんくさい寺なのである。
空海は期待をはずませて青龍寺におもむき有名な恵果和尚と対面する。
中国側の資料「恵果大徳行状」によると、
このとき空海は桓武天皇の紹介状を持っていたというが、
当時ペエペエの下っ端だった空海がそのようなものを預けられる可能性は少なく、
おそらくこの桓武天皇の手紙は空海が偽造したものであったと思われる。

空海は高僧といわれる恵果に逢って、どのような感想をいだいたか。
なんでこのヨボヨボのじいさんが偉いんだとあきれたことだろう。
周囲の弟子に聞いてみると、この恵果は不空という偉い先生の弟子だから偉いらしい。
ここで空海は権力の仕組みを腹の底まで理解したわけである。
空海は山岳修行で鍛えられたため、人を見る目はたしかである。
恵果は偽物だと見破ったことだろう。では、どうして恵果は不空から認められたのか。
不空には6人の高弟がいたらしいが、そのひとりがこの恵果というのである。
恵果は不空になにをしていまのポジションを得たか。
おなじことを自分も恵果にしてやれば高弟として認められるのではないか。
暴露本を読むと創価学会では財務(寄付)を多くすると、
集団内でのポジションが上がるらしい。よく仏教をわかっている団体だと感心する。
「恵果大徳行状」によると、
空海は桓武天皇からの紹介状だけではなく、大金も持っていたという。
空海はこの大金で大量の密教経典、仏具、曼荼羅(まんだら)を買った。
もちろん、青龍寺という仲介を通して購入したのである。
青龍寺に高額の仲介料が入ったことは疑いえない。

いくら腐敗した僧侶とはいえ、ヨボヨボの恵果にもプライドがある。
金オンリーで高弟の地位を空海に与えるわけにはいかない。
たしかに恵果は空海に密教の真髄を教えたことだろう。
それはなにか? このとき恵果は死ぬ間際であった。
実際に空海に密教の精髄を教えた直後に恵果は死んでいる。
だから、本当に空海は偉い弟子だったのか恵果にたしかめようがないのだが、
そこはまあ触れないで置く。

空海青年「恵果和尚、ぼくは密教の真髄を理解しました」
恵果老人「ほう、なんじゃ」
空海「仏なんかいないってことじゃないですか?」
恵果「……ううむ」
空海「悟りなんかないでしょう。人間は悟れない」
恵果「……ううっ」
空海「『人間は悟れない』ということを悟るのが真の悟りではないでしょうか?」
恵果「……お、おぬし、なかなか」
空海「仏はいない。悟りはない」
恵果「……いやあ、わしの口からはさすがにそれは」
空海「いえ、和尚! 先生はわかっておられます」
恵果「……どういうことじゃ?」
空海「先生は悟っておられます」
恵果「……」
空海「先生はご存じでしょう? 仏などいない。悟りなどない」
恵果「……ああっ」
空海「真理などない」
恵果「……あわわ(こいつはなんという男だ)」
空海「『(絶対的)真理は存在しない』ことが真理である」
恵果「ゴホゴホ(咳き込む)」
空海「ぼくは恵果和尚からその真理を教わったんです」
恵果「……うん?」
空海「ぼくが生意気にも先生に差し出した不浄の寄付金を受納してくださった」
恵果「……あ、あれはな」
空海「先生が真理を悟った人でなければ、ああいう行為はできません」
恵果「……ううう」
空海「先生、ありがとうございます」
恵果「……え?」
空海「ぼくは恵果和尚から真理を教わりました」
恵果「ほほう(と体面を保つ)」
空海「真理は『(絶対的)真理がないこと』『仏などいないこと』『人間は悟れないこと』」
恵果「……(こいつはなんというタマだ)」
空海「先生に出逢えなければ、こうも速やかに真理を悟れませんでした」
恵果「いやあ、おまえもなかなかのものだぞ」
空海「先生! 先生の教えを日本できっと広めてみせます」
恵果「ゴホゴホ(と咳き込む)」
空海「先生、お身体、大丈夫ですか(ともっともらしく肩をさする)」
恵果「もう長くないのは自分でもわかっておる」
空海「いえいえ。でも、万が一のことがあっても、先生の名前は日本で残ります」
恵果「どういうことじゃ?」
空海「ぼくが先生の教えを広めたら、日本の歴史に恵果という名前が残ります」
恵果「……」
空海「先生、先生、先生!」
恵果「よろしい、わかった。免許皆伝じゃ。空海よ、おまえはわしの一番弟子だ」
空海「ありがとうございます(内心で舌をペロリ)」

「真理」を悟ったのだからもういいだろうと空海は20年の予定留学期間を、
自分勝手にもわずか2年で切り上げて日本に戻ってきてしまうわけである。
朝廷としてもこの無鉄砲な下っ端坊主のあつかいに困る。
すると空海はどうするかというと
ハッタリ屋の本領発揮ともいうべき手紙を朝廷に送るのだからすげえ。
自分は唐(中国)でとても偉いとされる不空の弟子・恵果から
中国最高と名高い密教を伝授されてきた。経典も仏具もたくさん持参した。
密教は加持祈祷(かじきとう/呪術)で現実に効果のある役立つ仏教だ。
さあ、どうするかと朝廷に自分を売り出したのである。
当時、朝廷で求められていたのはまさに現世利益のある密教であった。
たしかに密教の一部は最澄も学んできてはいたがそれはほんのわずかで、
空海の持参した密教経典はそれより桁違いに多かったのだ。
こうして乞食の山伏に過ぎなかった空海は朝廷から重んじられるようになる。
いちばん大きかったのは嵯峨天皇から認められたことだろう。
偉くなるには上から認められるほかなく、
偉くなれば彼の教えは「正しい」ものとして流通することが多いのである。

空海は真言宗を開くことを認められる。
いまの空海の目の上のたんこぶはかつて強烈な嫉妬を感じた最澄である。
その最澄が向学心が旺盛なため格上のほうから近づいてきたのである。
空海が持ってきた密教経典を貸してくれないかというのである。
「おれの弟子になればいい」と空海はいったが、
まさか最澄が自分の弟子になるとは、
そういった本人の空海でさえ思っていなかっただろう。
最澄という男はそこまで世間を知らないのか。プライドがないのか。本が好きなのか。
天台宗の開祖の最澄が真言宗の開祖の空海の弟子になるということは、
世間的には真言宗のほうが天台宗よりも「上」であるとみなされるのだ。
最澄のことをバカではないかと空海は思ったことだろう。
自分よりもはるかに読書量の多い最澄が空海ごときを師匠として尊敬してるのである。
この最澄は師匠とか弟子とか、
そういう世間の仕組みをさっぱり知らないのだなと空海はあざ笑ったことだろう。

ならば、もっとクズ師匠の恵果から教わった「真理」をアホな最澄に教えてやろう。
最澄には泰範という美青年の愛弟子がいたのだが、こいつを貸せと空海は命じた。
師匠のいうことは絶対だから最澄はおのれがもっとも愛する弟子を空海の元に送る。
おそらく、空海は泰範に秘密の「真理」を身体で教えてやったことだろう。
当時の坊さんでは一般的なことだが、空海は男色の気もあったのである。
空海はおのれのマラ(男根)を何時間泰範にしゃぶらせたことだろう。
師匠のデカマラを口でご奉仕させていただくマゾの快感もまた
密教の教えのひとつである。
密教はセックス宗教だから、泰範はしこたま性的快感を教えられたに違いない。
もはや泰範は真言密教から離れられない身体に調教されてしまったのだ。
たいへんな美青年だったという泰範は複数の男僧から犯されることもあっただろう。
最澄は泰範に帰ってきてほしいという手紙を書くが、それは無理というもの。
偽造が大好きな空海は泰範になりかわって最澄へ絶交の手紙を書いたという。
しつこく最澄は本を貸せといってくる。こいつは本当に「真理」を知らないんだな。
本を読めば「真理」がわかると思っていやがる。
空海は最澄に大金を要求して、そのうえで自分の奴隷になれと命令した。
おそらく空海はおのれのマラを最澄にしゃぶらせるつもりだったのだろう。
そうすればすべての「真理」がわかる。
あるいは鶏姦(ケツを掘る)するつもりだったのかもしれない。

空海は最澄に「密教は顕教とは違う」としきりにいっていたが、そうなのである。
梅原猛氏もひろさちや氏も指摘しているが、
密教は仏教ではなくヒンドゥー教と思ったほうがいい。
ヒンドゥー教は祭祀、呪術、現世利益を重んじる欲望肯定の多神教である。
密教も大日如来を主神とする、あたまの神仏を認めるこの世の教えである。
大日如来信仰とは太陽崇拝に近い。
自然のそこかしこに不思議な超越能力を認める現世完全肯定の宗教である。
わたしのことばでわかりやすく説明したら、
よく晴れた日に紅葉をながめながら太陽のしたにいると、
「生きているのってなんてすばらしいんだろう」って思うでしょう?
生きているのはすばらしい。性欲も食欲も惰眠もなにもかもがすばらしい。
生きているのっていいなあ、というのが真言密教なのだと思う。
もっと過激なことをいってしまえば、人間は自由であるという。
うるせえ仏や、「正しい」真理も悟りもないんだから、晴天のした人間は自由である。
釈迦の説教なんかうそっぱちなんだから、人間は自由でなにをしてもいい。
なにをしてもいいんだから生きているのってサイコーじゃないか!
わたしはこれが空海の悟った(?)境地ではないかと思う。
こちらの言葉には権威がないので、梅原猛先生のお言葉を借りよう。

「つまり密教というものは、自然の中に仏を見るという、そういう思想です。
普通、釈迦仏教というものは、
何らかの意味で人間を中心とする仏教であるのに対して、
この密教というのは自然中心の仏教でありまして、
それはもともと彼[空海]の性格に似合ったもの、
日本仏教の伝統とも役行者(えんのぎょうしゃ)や行基とつながるものでした」(P90)


真言密教のメインは加持祈祷(かじきとう/呪術/祭祀)である。
わたしからいわせたら坊主のうさんくさいパフォーマンスだが、梅原猛先生によると――。

「加持の「加」というのは、仏[自然]の力が加わるというのです。
その力をじっと待っているのが「待」なんです。
加持というのはふつう加持祈祷といって祈祷のことをいいますが、
本来の意味は衆生[我々]に仏[自然]の力が加わってくる。
それを衆生はじっと待ち続けているという意味です。
そうすることによって、我々は仏[草花]と同じようになり、
仏[太陽]と同じような[不思議な]力を発揮できるというのです」(P128)


空海は大天才だったのか、それとも大馬鹿者だったのか。
ふつう論文の書き方というものがあって、ある権威ある文章を持ち出し、
これの意味はこうであると書き手は独自の解釈を見せるわけである。
たとえば、お経にこう書いてあるが、これはこういう意味であるという形式。
法然の「選択本願念仏集」も親鸞の「教行信証」もそうだった。
身近な例ではネットで見られる創価学会青年部のレポートもそれ丸出し。
御書にこう書かれている。池田先生が、戸田先生が、ガンジーがこう言った。
しかし、梅原猛によると、空海は著書でそれをやらなかったらしいのである。
そもそも読書が嫌いで、
本というものをほとんど読んでいなかったのかもしれないけれど。
梅原猛先生は空海を大天才と見ている。

「大体、日本の学者は昔は中国やインドの学者の教説に弱かった。
明治以降はヨーロッパの教説に弱くて、
こういう外国の人たちの教説を絶対の真理として、
それにせいぜい注釈を加えることを学者の主な仕事としてきたのです。
こういう態度は今も変わっていません。
しかし、空海はそういうふうに外国の経典を引用して、
それを解釈するということをいさぎよしとせず、
自ら作った偈(げ/詩)の解釈を自ら行うという形で真言の教義を語っています」(P123)


話を中国西安の青龍寺に戻そう。
空海が恵果から教わった(?ニヤリ)「真理」とはなにか。
それは「仏などいないこと」「(絶対的)真理がないこと」「人間は悟れないこと」である。
だとしたら、空海の教えとはなんになるのか。
以下のように堂々と厚顔にも叫ぶことができたら、
その人は空海の真言密教を理解したことになろう。

「おれが最高真理だ!」

COMMENT









 

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