「ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ 団鬼六語録」

「ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ 団鬼六語録」(団鬼六/祥伝社新書)

→いまは亡きSM作家の巨匠の名言集を、
酒をちびちびやりながら快楽の極みとして読む。
ほろ酔いで他者(書籍)と、
とろとろに向き合うことほど生きる楽しみを感じることはない。
巨匠は巨匠だから男女関係の色恋の機微をうまく表現するのである。

「ホントのエロとは、ひとことでいえば、
女性はひたすら隠し、
男性はひたすら隠されたものを見ようとするところから
生まれるものなんです」(P37)


スカートをはいた女子がなかの下着を価値あるものだと知ったとき、
ホントのエロが生まれるのだろう。女は、まず隠せ!
隠して隠して隠微(いんび)したものをチラリと見せるのがエロである。
ハプニングがおもしろいのかもしれない。
いままで隠されていたものがハプニングであらわになってしまったときの時めき。
日々の安定ほど退屈なものはないとも言えよう。

「……安定してしまうと、何となく毎日が面白くないんですよ。
こんなちまちま暮らしとっても仕方がなという気になってくる」(P66)


世間的な幸福は、恋愛成就、家族円満、健康長寿であろう。
これは法律で決まった幸福感とも言えなくもない。
団鬼六はそこに反旗をひるがえす。

「俺やったら楽しいことがあったら
明日死んでもええやないかとダーッとやるのが幸せなんやな」(P80)


SMプロ作家、つまりその道のプロが意外なことを白状するのだから。

「実践派だから学問的なことはわかりませんけれど、
僕には本当の恋愛もなかったし、最高のセックスもないんです。
いつも欲求不満だから書く」(P233)


著者はSM世界という男女の処女地を開拓したパイオニアである。
多くの批判も受けただろうが、さぞかしいい思いもしたことだろう。
いったいどうしたら新しい分野に一番乗りできるのか。
人生で多少なりとも人とは違ったおいしい思いをしたいならどうすべきか?
団鬼六は言う。

「新しく出ていく者が無謀をやらなくて一体何が変わるだろうか?」(P235)

いままでだれもしていないことをするのは楽しい。それは快楽である。
楽しければなんだっていい。
女をいじめても縛ってもいいし、逆に女からビシバシ鞭を受けるのがいい人もいよう。
きれいな人が羞恥心にもだえながら汚れていき、
「ああ、もうやめて」というときの色気ほどゾクゾクくるものはないのかもしれない。

ただ遊べたら。どこまでも楽しみのみを求めて。遊んで遊んで、そしてまたさらに遊べたら。

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