「処女神 少女が神になるとき」

「処女神 少女が神になるとき」(植島啓司/集英社)

→自称人類学者、実際はフリーライターの書いた
「長期フィールドワークにもとづく渾身作」。
「ダライ・ラマのように輪廻転生する、ネパールの生き神クマリ。
神となる少女から、観音菩薩、マリアなど女神信仰の系譜を読み解く」
で、帯には「内田樹氏絶賛」で、ああ、上のほうって、
そういうふうにつながっているのねという。
ネパールには日本の佳子さまのような(?)少女の神がおり、
信仰の対象になっているらしい。
どうしてそういう現象が起きているのかをライターの植島啓司が考えるというエッセイ。
これは研究でもなんでもなく、ただのだらだら長たらしい旅行エッセイである。
だが、エッセイとしてもおもしろくなく、
若くして世に出た植島啓司さんはなにか壮大な勘違いをしているような気がした。
インドでクマリ信仰があるのは、最南端のカンニャークマリである。
ここに行って自分が思った感想を植島は大冒険の大研究の結果として書いている。
けどさ、カンニャークマリなんてわたしでも行けるくらい楽勝の観光地なわけで。
植島は思い出を美化して書いているが、
カンニャークマリは聖地でもなんでもない、汚い観光地にすぎない。
海辺にウンコがぼとぼと落ちているのでろくに歩けもしないという。
クマリの寺院はわたしも行ったけれど、無感動な観光場所だった。
しかし、それを大感動したかのようにももったいぶって書くと、
インドに行ったことのない一般読者は、
なにかすごい話を読んだような錯覚におちいるのである。

植島啓司は本書でもっともらしくクマリ信仰の理由をあれこれ書いている。
しかし、結局答えのようなものには行き着いていない。
わたしの答えは、「わからない」からでしょう?
人生、どうして幸福になったり不幸になったりするのか「わからない」。
だから、その「わからない」理由を美少女に押しつけて、
この生き神をあがめば現世利益があると信じたがる大衆がいる。
そう考えたら楽だから、おもしろいから、ネパールでクマリ信仰があるのだと思う。
かわいい女の子はいいよねって、それだけの話。
アバズレもいいのかもしれないが、
バージンは神秘的でいいよねという万国不変の男性陣の願いが
クマリ信仰にはこめられているのだろう。
単純なものごとを大げさに書いたら学問になるという流儀には、
いくら「内田樹氏大絶賛」の帯がついていても感心できないなあ。

COMMENT

みずほ URL @
10/06 01:19
. 処女神信仰の地は美しくないといけなかったのかもしれませんね、ウンコが落ちてて歩けなかったと書いてあってもそれはそれでおもしろそうな気もしますが笑
Yonda? URL @
10/06 21:06
みずほさんへ. 

みずほさんご自身がお行きになってお感じになったことが真実だと思いますです。旅費&家賃をくださるのならガイドいたしますです。あそこは酒も高いし人もよくないし、わたしとしては最悪の場所ではありましたが。








 

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