「創価学会亡国論」

「創価学会亡国論」(幸福の科学 広報局編/幸福の科学出版)

→最近SGI妄想がひどくてさあ。
周囲のあの人もあの人も学会員ではないかという気がして。
でもね、聞くわけにはいかないじゃない。
まったく本当にこのごろSGI妄想が激しくて自分でも困り果てている。
バイト先でライン(流れ作業)横の中国人女性ふたりが
名誉会長の話をしているという幻聴があったり。
入庫場でベトナム人の男の子が社員から先生のビデオを見せられた、
とわざとつたない日本語で言っているのを聞いたような、しかし幻聴だろう。
被害妄想ではなく反対の妄想なのである。
集団ストーカーではなく、SGIからあたたかく見守られているような病的妄想がある。
これって重要なんだけれど、集団ストーカーはそう悪意をもって見るから、
そういうふうに見えるわけで、プラスから見たら見守られているってことでしょ?
行為というのはプラスから見るかマイナスから見るかで変わる。
ある他人に対する行為は、親切でもあり意地悪でもあり、それは解釈者しだい。
ものごとや行為に善悪はなく、それは見るものの心が決めているのかもしれない。

本書は幸福の科学が書いた創価学会の悪口本である。
創価学会はこんなに悪いことばかりしていますよという。
しかし、それはそういう目で見るからそうなのであって、
創価学会という団体や組織活動は善でも悪でもなく、受け手しだいではないか。
わたしはこの1年半でSGIを好きになったから、
選挙では次回から公明党に入れようかと思っている。
けれども仲間と肩を組んで学会歌をうたえるかといったら、
それはわたしをひと目見た人ならわかるでしょうが、かなり難しいのではないかと。
世間は創価学会はよい、あるいは悪いと是非を論じる。
しかし、もしかしたら善悪なんてどうでもいいんじゃないか?
禅問答のようだが、なんで善だとよくて悪だといけないのだろう?
楽しいんだから悪いこともたんまりしようじゃないか、
絶対的な善悪なんてないんだから(人間にはわからないのだから)――。
SGIのそういうところが好きである。
ひとつわからないのは、師弟不二というなら、
どうして池田大作の師である戸田城聖を先生と仰ぐものがいないのだろう。
本書から二代目会長、戸田城聖の名言を引く。

「今日末法(まっぽう)の時は釈迦仏の時ではないのである。
釈迦の法はもう死んだ法で、なんの利益もないのである」(P100)


ちげえねえ。釈迦なんていったいなにがどうして偉いのか?
これを言ってもいいのかわからないが、わたしは釈迦が嫌いである。

COMMENT

名無し URL @
10/02 01:54
. 私も学会員ですが、このブログのぶっ飛んだ感性に触れると新鮮な気持ちになりますね
本当、面白い
Yonda? URL @
10/06 20:51
名無しさんへ. 

このブログは一般の学会員さんが思っている本音を
代弁しているから面白いと感じられるのではないでしょうか。
学会員さんとしては、わたしを折伏したいけれど、
しかしいまのままでいてほしいというか。
矛盾。ダブルバインド。
当方だって学会員さんを脱会させようなんて
さらさら思っていませんから。
学会員として生まれたら、あるいは学会員になったら、
そのままで生きるほうが「いい」と思っています。








 

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