「三万年の死の教え」

「三万年の死の教え チベット『死者の書』の世界」(中沢新一/角川文庫ソフィア)

→中沢新一はチベット仏教の修行をしたことがあるから、
よくわからないけれど「偉い」んでしょ? 宗教学者と名乗ることができる。
おれもどこかへんぴな外国に行って、そこの現地宗教でもかじって帰国したら、
空海や中沢新一のように偉ぶれるのだろうか。
チベット仏教はあまり日本人に知られていない。怪しげでよくわからない。
このため解説者として中沢新一が威光を帯びるのだろう。
よくわかんないものって、なんだかすごそうな気がするしねって話。
中沢新一の文章はわかりにくく、だから「偉い」ということになるのだろう。
・死出の旅には財産も地位も持っていけない。
・終わりである死に際してようやく自分の輪郭(りんかく)がわかる。
・人生は夢のようなもの。
このような常識もチベット帰りの宗教学者が書いたらありがたいのだろう。

「死というものが、どんなに身近なものなのか、
死体はすでに自分の中にも住んでいて、死を遠ざけて生きることなどはできないこと、
死がいつやってくるかは不確かで、でもそれがやってくることは確かだということ、
死んでしまうと生きているときには大事なもののすべてが意味を失ってしまうことなどを、
この体験[チベット密教修行]から学び取ろうとしてきたのです」(P75)

「死はあらゆる人間の前に、自分という存在の本性を、あらわにしてみせます」(P130)

「どんな生命も、自分の生命システムにとって意味のある世界の中を
生きているときには、まるで夢や幻想を生きているのと同じです」(P129)


死というのは、じつのところおいしい商売になるのかもしれない。
あの最強で常勝の創価学会員だって、死にはビビるわけだから。
人生で大勝利した創価学会員も死には勝てないわけだから。
とはいえ、死に勝つ方法はないわけではない。
死ぬまで生活を忙しくして死を見ないようにしたら人間は死に勝てる。
よくわからない「死」の権威をもって著者は偉ぶろうとしているようだが、
じつは死なぞぜんぜん大したことはないのかもしれない。

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