「チベットの死者の書」

「原典訳 チベットの死者の書」(川崎信定訳/ちくま文庫)

→お経マニアのわたしがチベット密教の仏典を読む。
なーんかチベット密教とか聞くと(目にすると)すごそうな気がするじゃないですか!?
理由は、チベットがどこにあるのかみなさん正確にはわからない。
ぶっちゃけのところ、白状せよ! 
チベットがどこにあるか世界地図で正確に指せる人は、
読者さまにどのくらいおられますか?
まあ、正解はネパールの上で中国の左のほうなんだけれど(あたま悪そうな答え)。
チベットのみならず密教という言葉もわからなくて神秘的な輝きがあるのでは?
密教は、後期仏教のことで、釈迦(しゃか)の教えとは縁もゆかりもない宗教である。
人間ってオフレコ(裏話/秘密/ここだけの話)が大好きでしょう?
釈迦はオフレコでこういう秘密の教えを説いていたんだというのが密教である。
ここだけの話ね、釈迦は秘密裡にこうしたら悟れるんだと教えていたと称するのが密教。
「チベットの死者の書」は人が死んだらどうなるかが書かれている。
輪廻転生(生まれ変わり)から解脱する人もいれば、
新たな生命のスタートを切る人もいるという。
要約すれば、死は終わりではないということを書いたのが「チベットの死者の書」である。
お経マニアのわたしから見たら、申し訳ないが、それほど大した仏典ではない。
でもさ、チベットや密教という言葉の神秘性にひかれる人がいるのはいいと思う。
人は死んだらどうなるか? わたしは来世のようなものがあると思っている。

――そういうことをちょろっと書いたらベストセラー作家の小谷野敦さんから、
ありがたくも過疎ブログのコメント欄で「オカルトか?」と批判(?)された。
先日、小林秀雄賞作家の山田太一さんのトークイベントに行ったら、
氏も来世の存在について否定的だった。
死んだら無になるというのは非常に科学的に「正しい」と思う。
わたしはこの世で人の不平等、人生の理不尽をどこまでも深く知った。
どうしてこうなのかを考えると、もはや前世の存在しか思い当らない。
前世のせいだとしか、この世の不公平、理不尽は説明できないと思い切るにいたった。
前世があったとしたら来世もあることになろう。
このような思考法で来世の存在を個人的に信じているだけで、
断じてまさかまさか普遍的な真実であると主張したいわけではない。
山田太一さんや小谷野敦さんがそうであると信じているように、
おそらく来世など存在しない。
来世のことを語るのはオカルトで非科学的で意味がない。
だが、多くの人が死は終わりではないと信じたかった。
このため、チベットでこんなお経が創作されたのだろう。

チベット密教とはいえ、仏教である。
すべてのお経に書かれているといってもよい、
人間の苦しみの理由がこの仏典にも正しく書かれている。

「汝(なんじ/あなた)がこのように苦しんでいるのは
汝のカルマン(業/ごう)によって決められた宿命なのである。
ほかの誰かに代わってこれを受けさせるわけにはいかないのである。
汝自身の宿命なのであるから」(P118)


宿命はどうしようもない。そのことを悟るのが仏教だといってもよかろう。
人は宿命ゆえに死ぬが、死は終わりではないと悟るのもまた仏教である。
人間は殺されても死なない。切られても死なない。なにも恐れることはない。

「汝は意識からできている身体であるので、殺され切り刻まれても、
死ぬことはないのである。本当のところ、
汝は空(くう)それ自体が姿をとったものなのであるから、
なにも恐れることはないのである」(P119)


大丈夫。なんとかなるから。死んでも大丈夫。恐れるな。胸を張れ。
死は無ではない。だから、大丈夫。死を恐れるな。生に脅えるな。堂々と生きよ。

COMMENT

みずほ URL @
10/06 01:33
. 密教が釈迦のオフレコって初めて知りました。
Yonda? URL @
10/06 21:12
みずほさんへ. 

学問的には――。
密教は、釈迦の教えである仏教が
土着のヒンドゥー教と融合化して(現世利益=欲望を肯定して)
ある意味で民衆化したもの、というのが定説ではないでしょうか。
学問的にはそうでも、当時の僧侶としては、
師匠からこれは釈迦のオフレコの秘伝の教えだと
伝授されたことはほぼ間違えないと。
「正しい」かどうかなんて、だれにもわかりませんけれど。








 

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