「再会」

シナリオで二度読んだことのあるものをジェイコムにて視聴する。
平成13年(2001年)にTBSで放送された単発ドラマである。
5年まえに男をつくって家族を捨てて駆け落ちした倍賞美津子が、
3年まえにその男にも死なれ、尾羽打ち枯らして(落ちぶれて)、
家族のところにすがたを現わせる。
娘はもう結婚していて小さな子がいる。息子は葬儀会社に就職が決まった。
女房に逃げられた長塚京三はひとりぼっちである。
まえから何度も書いてきたが、山田太一ドラマのテーマはいくつもあるが、
主要テーマは人間の孤独である。
エゴイズムを突き詰めると人間は孤独になるが、孤独はさみしい。
先日見た山田太一ドラマ「もうひとつの春」の主題歌は脚本家が歌詞を書いていた。
その一節で記憶に残ったのは「ひとりとひとり、あっちとこっち」というものだ。
お互いひとりはさみしく、まさにあっちとこっちの国境があるように、
人間はそれぞれ分断されている。これをどうしたらいいか。
ドラマ「再会」では結局、
ひとりの長塚京三のもとにかつて不義理を働いた倍賞美津子が戻ってくる。
決め手になった長塚京三のセリフはこうである。

「お互い一人だ。年のとった」
「淋しくないならいい」


お互いひとりでさみしいから、年を取った男女はよりを戻すのである。
恋愛とか家族とかいまいちよくわからないところがあるけれど、
あれはみんなひとりでさみしいから行なう幻想的行為なのかもしれない。
「ひとりとひとり、あっちとこっち」で人はさみしいので、
恋愛ごっこしたり、家族ごっこをするのかもしれない。
「会社の顔」(ペルソナ)ではなく、
少しでも「本当の自分」に近い顔を出したいという願望もあるのだろう。
恋愛したらさみしさは多少薄れるが、今度は相手からの干渉が待っている。
「彼氏なんでしょ。もっと逢ってよ」「おまえもおれの彼女ならこっちの都合を考えろ」
家族がいたらさみしさは多少薄れるのだろうが、恋愛同様、いやそれ以上の干渉が待つ。
「お父さんはもっとお父さんらしくして」「お母さんがそんなことしていいの!」
子どもはどのみち思うようには育たない。
しかし、だれかといっしょにいるとさみしくないから恋愛や家族はいいのだろう。
「ひとりとひとり、あっちとこっち」でさみしくてたまらないから、
みんな恋愛をしたがり、家族にあこがれを持つのだろう。
テレビは恋愛ドラマやホームドラマを放送して、大衆の目標を示してやる。
とりあえず恋愛をしとけ。家族はいいぞ。
その裏にある本音は「ひとりとひとり、あっちとこっち」の孤独はさみしすぎるということだ。

「ひとりとひとり、あっちとこっち」はさみしい。
しかし、これは人間の本当のすがたと言ってよい。
「本当のこと」から逃れたくて、人は恋愛をして結婚して家族をつくる。
しつこく「本当のこと」を繰り返せば、人間は「ひとりとひとり、あっちとこっち」にすぎぬ。
テレビライターの山田太一は「本当のこと」からいっときも目を離さず、
どこか醒めているともいえる、名もなき庶民の恋愛ドラマ、ホームドラマを書いた。
「ロミオとジュリエット」は書かない作家であった。
会社は金を稼ぐ場所だが、なかにはさみしいから会社に行く人もいるのだろう。
むろん、山田太一がよく知っていたことである。
人間のあらゆる行動の根源にあるのは
「ひとりとひとり、あっちとこっち」でさみしい――孤独の感情なのかもしれない。
山田太一ドラマばかり見ているとそんなことを考えさせられる。

(関連記事)
「再会」(山田太一/「テレビドラマ代表作選集2002年度版/日本放送作家協会)
「再会」(山田太一/「月刊ドラマ」2002年3月号/映人社)

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