「進化倫理学入門」

「進化倫理学入門 「利己的」なのが結局、正しい」(内藤淳/光文社新書)

→小著ながらいろいろ考えさせられるとてもいい本だった。
さてさて、当方が評価する本はネットでたたかれていることが多いのだが、
本書もそのパターンのようで、多数派から感情的な攻撃を受けていた。
わたしは本書の要点を何度も繰り返し読み考えに考え抜いた。
ああ、そういうことか、という発見がある本はめったにあるものではない。
これから紹介するこの本の内容は、それが絶対的に「正しい」というわけではなく、
科学的(生物学的)にそういう見方もできるということである。

人間観はいろいろあるが科学的(生物学的)に見たら人間も動物の一種である。
人間を生物(動物)として考えてみたら、というのが本書の立ち位置だ。
生物は科学的に観察すると、遺伝子の繁殖を目的としているように見えることが多い。
一時期(かなりむかしだが)話題になった「利己的な遺伝子」というやつである。
そのような観点から人間を科学的(生物学的)にとらえると、
(動物の一種としての)人間は「生存」「繁殖」「そのための資源獲得」を
求めるものと言えよう。
遺伝子を伝達するためには「繁殖(子づくり)」しなければならないし、
「繁殖」するためには「生存(とにもかくにも生きていること)」しなければならないし、
「生存」するためには「そのための資源」を獲得しなければならない。
「繁殖」のために必要な「資源」は異性である。
男性はよりよき異性を獲得するため(繁殖目的)に地位・名誉・財産を求める。
女性はよりよき遺伝子を後世に引き継ぐためによりよい繁殖相手を欲する。
「よい」と書いた。人間はより「よい」繁殖相手(性的資源)を求めるものだ。
このときの善悪とはいったいなんになるだろう?
そこから話をさらに広げて、
科学的(生物学的)に見たら動物にすぎない人間における善悪とはなにか?
科学的(生物学的)に見たら、人間の善悪(=道徳)とはいかなるものか?
ここが本書でいちばん衝撃的で啓蒙的で、まさしく目を見開かされた思いがする。

「……道徳[善悪]は、われわれ自身の利害損得と離れて
それと別な根拠で成立しているのではない。
そう意識されていないだけで、本当は[善悪は]利害損得から成り立っている。
道徳の基(もと)は「利益」にあり、善をなすのは得、悪をなすのは損である」(P13)


道徳→「善=得」「悪=損」

われわれ人間は科学的(生物学的)に見たら動物と等しく、
ならばだとしたら「生存」「繁殖」「資源獲得」が存在理由である。
そして、「生存」「繁殖」「資源獲得」のために得になることを「善」、
損になることを「悪」とわれわれは認識しており、それを道徳と名づけている。
ひとつの最高真理(絶対真理ではないが)ではないかと思う。
遺伝子を残すことが生物の存在理由である。
そのために必要なのは「生存」「繁殖」「資源獲得」。
人間はこの三大目的にとって得になるものを善、損になるものを悪と認識する。
自分の利益になるものは善で、不利益になるものは悪ということである。

具体例に入ろう。夫婦は愛しあう「べき」だとされている。
「べき」というのは善を指向するもので、したほうがよいということである。
夫は妻を愛する「べき」で、夫が妻を愛するのは善であるとされる。
これは科学的(生物学的)に見たら、いったいどういうことか。

「……つまり、夫にとっては、妻に利他行為[愛情表現]しないよりも、
積極的にして、夫婦関係の安定と維持を図る方が得である。
もちろん立場が逆でも同じで、夫・妻・恋人などへの利他行動[愛情表現]は、
「配偶パートナーの獲得・維持」、
すなわち、自分の子どもを作り育てるための
社会的・経済的枠組みを確保することにつながっており、
これ[愛情表現]も「自己の利益」に結びつく「利己的」行動だといえる」(P64)


愛しているから結婚するわけではなく、遺伝子を残すために人は結婚願望を持つ。
夫婦は愛しあっているからお互いにいたわるのではなく、
そのほうが遺伝子(子ども)の安全につながるから
(本来は利己的な生物の一員にすぎぬ)人間は配偶者に利他行動を取る。
そうではない場合はいくら「愛する」相手とはいえ利他行動を選択しない。
科学的(生物学的)には、
愛情と名づけられた利他行動なぞ利己的行為にすぎないと見る。
科学者の著者は主張する。異性愛のどこか利他行動なのか。

「では、妻や彼女がたまには新しい刺激を楽しみたいと思い、
夫や彼氏以外の男性とデートしたい、旅行に行きたいと希望したらどうか。
そこでなんとか希望がかなうよう、妻の好みに合うデートの相手を探してあげる、
旅行や旅館の手配をしてあげるような夫や彼氏はまずいない」(P72)


正確を期すならそういう変態もいるのだが、
科学的に人間一般を見たら著者の「愛情」へのシニカルな視線はとても「正しい」。
「愛情」のみならず「友情」もまた科学的(生物学的)に見たらインチキである。
「愛情」や「友情」は利他行動に見えるが、じつのところそうではないと著者は主張する。
「愛情」は遺伝子を残すための弁明だが、では「友情」とは科学的にいかなるものか。
引用文中の互恵(ごけい)的利他行動とは、助け合いという意味だと思ってください。

「友人などに対して人が「相手のため」に振る舞うのは、
まさにこの互恵的利他行動[助け合い]の一環である。
一回一回の行為を行う際にいちいち将来の「お返し」を意識しているわけではないが、
人は基本的にそれを交換としてやっている。
このことは、われわれが、自分に利他行動を積極的にしてくれる相手に対して
こちらも率先して利他行動を行う、「お返し」をしてこない人には
利他行動をしなくなるという事実によく表れている。(……)
血縁関係や配偶関係のない[遺伝子に無関係の]「他人」に対して
われわれが行う親切や支援の多くは、互恵的利他行動としてなされるもので、
その基礎には(お返しによる)「自分の利益」がある」(P85)


一見美しげに思えなくもない友情や愛情は、
じつのところ科学的(生物学的)に見たら自分のためにしている行為にすぎない。
そうではないケースもあることを幸運にもわたしは人生経験から知っているが、
人間一般を科学的に見たら著者の主張は非常に「正しい」と思う。
リアルでもネットでも群れて互恵的利他行動(友情ごっこ)をしているのなんて
あれはそうしたほうが自分の得になるからでしょう?
ほとんどのカップルが愛情などで結ばれてはおらず、
お互いの利害損得のみを考えたうえでの互恵的利他行動と言えなくもない。
どちらかというと、そう言ってしまったほうが真実に近くなるだろう。
人間関係の99%は科学的に見て互恵的利他行動である。
一見、利他行動に見えるものも本当はすべて自分のためである。
科学的に「正しい」生き方は、互恵的利他行動の輪になるべく入ったほうがお得だ。
なぜなら利害も損得も多くの他人からこうむるものなのだから。

「このように、個人の資源獲得に「他人」が大きな影響を持つ人間の生活では、
周囲の人と互恵関係を持てるかどうかが、
ひとりひとりの生活状態に重要な意味を持つ。
周囲の人と物や情報、「お世話」などを交換する関係をたくさん築ければ、
自分の資源獲得機会がそれだけ広がって利益になる。
そうでなくて周りの誰ともつきあいや関係を持たない人は、
資源その他の利益を得る機会がずっと狭まる。
互恵的利他行動に基づく他人との互恵関係は、
各人が生きるための資源をどれだけ確保できるかに直結しており、
われわれの生存・繁殖を大きく左右する」(P86)


ならば、そうだとしたら、どう生きるのが科学的(生物学的)に「正しい」のか。
科学的には、困っている人はなるべく助けたほうがいいことになる。
他人のピンチは自分のチャンスであるというのは科学的に「正しい」思考法だ。
新興宗教信者は、だれかが不幸になったときをねらって勧誘攻撃を仕掛けるが、
それは非常に科学的で理にかなった行為であると言えよう。
死別や失職などで困っている人がいたら、それは優良投資先と言えなくもないのである。

「一方、何かの事情で苦境に入る人、助けを必要としている人に注意を向け、
それに対して自分から利他行動をしてあげようという
意欲を生じさせる感情が「同情」である。
こういう人は、言ってみれば「誰かからの利他行動」を強く必要としている。
そういうニーズを持った人なのである。
なので、そのニーズに応えて必要な助けをしてあげれば、
それだけ強くこちらに「感謝」し、後々利他行動を「お返し」してくれることが見込める。
言うなれば、「困っている人」というのは、
その人のために何かをしてあげれば将来「お返し」が返ってくる可能性が高い、
有望な「投資先」であって、そういう相手を見つけた場合に、
それに対する「投資」を自分に動機づけるのが同情の感情である」(P91)


利益は人からしか来ないのだから、多くの人と互恵関係をむすんだほうが得である。
いちばんの優良物件は、いま困っている人たちである。
いまの成功者に尽くしても相手はそれが当たり前と思ってるからお得ではない。
いま悩んで困って苦しんでいる人に手を差し伸べるほうが科学的に「正しい」し、
利害損得的にもプラスの行為であると結論づけられよう。
この世でいい思いをするために科学的に推奨されることは、
どれだけ多くの人と互恵関係(群れる、つるむ、シンパになる)を結べるかである。
科学的には、いったいどうしたら多くの人と互恵関係を結べるか。
「いい人」ぶるのが、もっとも科学的に「正しい」行為である。
利益を得たかったら互恵関係を他人とのあいだでつくるしか道はない。
これは科学的(生物学的)に「正しい」事実である。

「……他者から互恵関係を結んでもらうには、
「こちらに積極的に利他行動をしてくれる人[=いい人]」
と思われることが絶対の条件であり、そういう評判を得ている人は、
周囲の人と互恵関係を築く可能性が広がる。
そして、そうやってたくさんの人と互恵関係を築けるなら、
こちらが相手から利他行動を受ける機会も増えて、
それは私の利益になる」(P100)


科学的に言って、親切はすればするほどこちらも得をするのだろう。
自分の利益のためになにをしたらいいのか科学的に考えたら、
それは親切行為(利他行動)なのだろう。

「……他者への利他行動[親切]は、将来、
不特定の人たちから「見返り」を得るための「投資」なわけで、
そのために必要な「よい評判」を確保する意味でも、
他者に積極的に利他行動[親切]をすることは、
われわれ自身の利益につながっている」(P102)


親切=利他行動=見返り=お得=善

ということは――。

いじわる=自利行為=仕返し=損害=悪

科学的(生物学的)見地から言えば、現世で利益を得たいならば、
いっぱいいっぱい、めーいっぱい他人に親切(利他行動)をしたほうがいいのである。
なぜならば、自分のためになにかをしても見返り(得)はまったくないけれど、
他人のためになにかをしたら見返り(利益)を得られる可能性が高まるからである。
人間関係は利害関係である。人間と人間を結びつけるのは損得しかない。
これが科学的(生物学的)に見た人間の「正しい」ありようである。
現世利益(げんぜりやく)を得たかったら可能なかぎり他人に親切にしたほうがいい。
親切はお得だから「善」であり「正義」である。
自利行動は損で、利他行動ほど科学的に見て利益が生じるものはない。
この世でおいしい思いをしたかったら、まず自分から相手に手を差し伸べるにかぎる。
人生からプレゼントをもらいたかったら、
まずだれかに贈り物をするのが科学的に「正しい」。
利他行動こそ人生の好循環の秘訣であるのだろう。

「こうした好循環を生むことも含めて、自らに利他行動を動機づけ、
間接互恵における「評判の利益」の獲得に向けて行動するための内的装置が、
「良心」や「思いやりの心」である。
それは、本書でここまで説明してきた「愛情」や「友情」などの感情が、
「自分の利益」確保に向けて作用しているのと同じである。
きわめて逆説的ながら、そのように「自分の利益」を無意識化して
感情によって利他行動をとることが、間接互恵という社会関係の中で
「自分の利益」を確保するために効果的な手段なのであり、
そのための感情を備えてわれわれは行動している」(P109)


いい齢をして、どうして人を殺してはいけないのかずっとわからなかった。
本書のおかげで、ある意味で「正しい」解答を得ることができたので感謝したい。
なぜ人を殺してはいけないのか――それは損をするからである。
殺人をするとその遺族との互恵関係が失われ、復讐されるかもしれない。
自分は報復行為を受けなくても、自分の家族が損害をこうむることがある。
殺人をして死刑にならなかったとしても、
出所してから前科者の職は少なく、これは科学的に見てあきらかに損である。
どうして人を殺してはいけないのかの答えは、
それが悪だからではなく、殺人行為をなすのは当人にとってただただ損だからである。
言い返せば、この世における悪など損の言い換えにしかすぎない。
善といったところで、しょせんはお得だよという意味しかない。
人はやたら善悪(正義)にこだわるが、
それは損得の問題ではないかという科学的(生物学的)知見があることを報告したい。
コメントをいただけるのはけっこうなことでありますが、
議論するのはめんどうくさく、
もしなにか本当に回答を必要とされるご意見がございましたら
ご本名をお書きのうえメールをくださいませ。
まっ、だれもこんな過疎ブログの長文記事など
最後までお読みにならないのでしょうけれど。
いろいろ考えさせられた名著でしたが、べつに人にすすめたいわけではありません。
本書の要約をしたら一行で終わる。

道徳→「善=得」「悪=損」

COMMENT

URL @
09/07 17:46
生物学的に. 逸脱しちゃったのが人間。それが進化カモ。
同棲愛。異性婚でも子供を望まない。得とわかっていてもツルみたくない。
滅びようぜー!
みずほ URL @
09/11 04:23
. 最後まで読みました。
Yonda? URL @
09/12 22:35
犬さんへ. 

わたしは今月いっぱいで滅びる可能性が高いです。
来世に犬には生まれたくない。








 

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