「人生問答」

「人生問答」(池田大作・松下幸之助/「池田大作全集8」聖教新聞社)

→やたら長いだけのきれいごとばかり書かれた内容スカスカの本であった。
最後のほうは特技のひとつ、飛ばし読みを敢行したが、
それでも最後まで読むのが辛かった。
本には内容がたいせつな本と世に出たことが大事な本にわかれるのだと思う。
池田大作と松下幸之助の対談本はまさしく後者で、
内容はどうでもよくふたりが手を組んだということを満天下に示すことが目的だった。
ふたりが対等に話したというのではない。
経済界の超大物である松下幸之助80歳が、
30以上も年下の巨大新興宗教団体のトップにあたまを下げて教えを乞うた。
昭和50年の話である。
昭和50年に刊行された原本の「はじめに」にはそう書かれていなかったかもしれないが、
平成5年に出版されたこの池田大作全集ではそうなっている。
経済界の重鎮が50にもならぬ新興宗教の会長にひれ伏して教えを乞うている。
この事実の意味することを理解できる人と理解できない人がいるだろう。
学問ばかりしてきたインテリは理解できないだろうが、
明日の金に困ったことのある庶民なら本を読まなくても本の意味がわかるだろう。
本当のことは書かないほうがいいので「そういうことなのだよ」とだけ記しておく。

ちなみにわたしは松下幸之助を偉いともなんとも思わない。
そもそもよく知らないけれど、まあたくさんお金を稼いだ人ってことでしょ?
で、晩年、人生わけがわからなくなったふりをして(本当は秘密の目的があって)、
池田大作という当時いまの何倍も恐れられた新興宗教のトップに土下座した経済人。
偉さ(権威)というのは、群れたりつるんだり手を組んだりすることでしか得られない。
10人の作家が群れて賞を作って、それを毎年順番に与えたら権威が生まれる。
偉いとされる人と偉いとされる人が手を組んだら、みんなに偉いと思ってもらえる。
麻原彰晃は裏金を渡してダライ・ラマと仲良くなったから偉くなったのである。
本書では、松下幸之助が教えを乞うているから池田大作が偉くなる。
池田大作も松下幸之助を持ち上げているから、この財界人も偉いことになる。
詳細はわからないが、
この対談の背景になにかの裏取引があったのはほぼ間違いない。
いろいろな表に出せないことが世の中にはあるのである。
だれにでも弱点があり、そこを突いたら大半の人が落ちてしまうのである。
おそらく松下幸之助関係の金では揉み消せない不祥事を、
創価学会が世の中の明るみに出ないように抹殺してあげたのではないか。

本書はそういう本だから、内容をうんぬんしても始まらない。
おそらく、どちらもゴーストライターが書いたものだろう。
あるいは池田サイドは、他の池田本からの焼き直しをメインにまとめたのかもしれない。
これは創価学会員だけではないけれども、どうして男の子って大物ぶるんだろう。
学会員さんはとくにその傾向が強いのである(そうではない人もいる)。
あれは知的コンプレックスの裏返しなのか、博識ぶりたがる人って多いよねえ。
たくさんものを知っていることが偉いと思い込んでいる。
本書で池田大作と松下幸之助は、
宇宙から教育まであらゆる分野について語り合っている。
しかし、その内容がきれいごととしか思えぬ空疎な博識自慢ばかりなのである。
繰り返すが、どうして男って(とくに学会男子は顕著)威風堂々と大物ぶるんだろう。
そうではない人もいて、そういう人は本当に尊敬に値すべき人物だと思うけれど。
肩で風を切るというか、おれを舐めたら怖いぜ、みたいな滑稽な振る舞いをする。
博識自慢をあきらめたものは妙に世知長けたふりをしていろんな人と表面上交際する。
池田大作さんをふくめて学会員さんは人間くさいんだ。
学会員が人間くさいのはそれぞれがミニ池田大作になっているから当たり前なのだが。

さて、わたしは松下幸之助はちっとも尊敬していないが(むしろ嫌いだが)、
日本最大の権力者である池田大作氏には興味を持っている。
本書から池田大作の言葉を拾って勝手に対話をしてみたい。
学会員さんも池田先生の言葉を盲目的に信じるのではなく、
対話をしてみたらいいのになあ。

「欲望は、人間の負っている苦悩の原因であり、悪の根源ともなりますが、
また逆に、人間の喜び、人生の楽しみ、そしてあらゆる善の根源もまた、
欲望にあるといっても過言ではありません。
欲望は、自己の生命を物質的・精神的にささえ、維持し、
さらに拡大するために生命が本然的にもっている力・エネルギーといえます。
存在は、それ自体において善でもなければ悪でもないのであって、
ただ他の存在に対してどのような作用をするかによって善悪が生じます。
したがって、欲望も、それ自体は善でもなければ悪でもない。
しかも善にも悪にもなりうるわけです」(P45)


いまのわたしの悩みは欲望が薄れてきたことなのである。
いちばん人が気にする「他人からの評価」を求める欲望さえ消えつつあるような。
いや、まだかろうじて消えていないのか。少なくともむかしほどではぜんぜんない。
さて、おまえはなにさまかって話で、とても偉い池田先生のご発言に物申すが、
池田の仏教レベルはいまだ善悪にとらわれているのではないか。
存在それ自体は善でも悪でもないことはご理解なさっているようだが、
存在が他に作用するところで善悪が発生するというご見解をお持ちのようだ。
わたしはその作用段階において発する善悪もまたわからないと思う。
欲望の結果の善悪めいたものも、
それは存在そのもので善でも悪でもないような気がする。
たとえば、わたしは職場でいじめられているのかロッカーの名札を3回も
剥(は)ぎ取られている。3回目は社員さんがかなり強力に接着しておいてくれたのだが、
あれを剥がすのはよほどの工夫が必要だったのではないか。
しかし、わたしはそれを悪とも思わない。
まあ嫌われているのはわかるが、その行為が善か悪かはわからない。
というのも、その人は善だと思ってやっているわけでしょう?
こいつを職場から追い出すことが善であると信じて名札を剥がしている。
だったら、それは善でもあるし悪でもあるし、善でもないし悪でもないし、
結局、名札のないロッカーという存在そのものでしかない。
わたしがこのような善悪観をいだいているのは親鸞と一遍の影響である。

池田先生は欲望充足による幸福の虚(むな)しさもご存じのようで、
真の幸福について以下のように論じておられる。

「このような、欲望の充足という次元で感じられる幸福に対して、
もっと広く社会的視野にたって自分自身の目標を定め、
それに向かって主体的に自己の生命を燃焼させることによって
生命の充実を感じていくのが真の幸福です。
前者が他に依存した受動的な幸福であるとすれば、
後者はより積極的であり、主体的であり、
より永続性のあるものになると思います」(P78)


「広く社会的視野にたって自分自身の目標を定め」というところが気に食わない。
それは社会的評価、他人の評価を意識した目標設定になるのではないか。
他人の評価を求めていると、他人の評価なんてころころ変わるものだから、
真の平安や満足は得られないような気がする。
「目標を定め」それに向かって「生命を燃焼させる」(努力する)のもいやだ。
どうしていまのまま、あるがままの自分ではいけないのだろう。
目標を定めてしまうと、その目標に達していないいま現在が苦になってしまわないか。
目標というのは危険な誘い文句でもあるのである。
あなたになにか目標があったら、
それは新興宗教や自己啓発セミナーのカモになる可能性があるということだ。
「その目標をかなえるいい方法があるのよ」と接近してくる集団がいる。
しかし、創価学会の場合、巨大なコネがあるから、
本当に目標がかなってしまうこともありえよう。
このため、かの団体は軽んじられないのである。
目標がなくてもいまが楽しければいいじゃん、という考え方もあることだけ書いておく。
どちらも「正しい」のである。
目標に向けて努力するのも「正しい」し、
どうせ死んでしまうのだしそれは明日かも知れぬのだからいま楽しむのも「正しい」。

池田先生は正義についてどうお考えになられているのか。
正義は時代によっていとも容易に変わることを深くご存じのようだ。
永遠不変の正義は果たしてあるのか。

「さて、そこで、時代や人によって異ならない正義は何かという問題ですが、
それはひと言でいえば、生命の尊厳、人間が人間として生きるための
基本的な条件を守り抜くところにこそおくべきであると思います。
私は、この「生命」を尊厳ならしめる、あらゆる活動、
逆に、生命の尊厳を踏みにじるあらゆる勢力に対決することこそ、
万人に共通する正義であると思います」(P248)


池田先生とは異なり、わたしは正義は存在しないとどこかで思っている。
正義というのは、いみじくも池田先生がおっしゃっているように、
敵方をつぶすときに自陣に目立たせる旗印でしかない。
正義はかならず悪役や敵役を必要とし、
このためわざわざ悪や敵をつくってそれを倒そうとする。
正義は、喧嘩、抗争、戦争の思想なのである。
正義が人と人の争いを発生させているとは考えられないだろうか。
悪をつくるのは正義なのである。正義がなければ悪もなくなる。
正義のためならなにをしてもいいという考え方は非常に危険だと思う。
正義の人、池田大作は直後に恐ろしいことを言っている。

「正義はそれを裏づける力とは切り離せない側面を持っています。
正義を主張する者がなんの力もなく、不正を抑えることができなければ、
その正義がいくら正当であっても、弱者の泣き言に終わってしまうのが常です。
ここに、正義は不正と悪を屈服させうる力をもつ必要があるように思います」(P253)


池田先生こええよ! 池田先生が悪と認識したものは、
創価学会が全勢力を傾けて屈服させようとしてくるのか。
正義の創価学会が悪とみなしたものは、力によって打ち倒さなければならない。
悪がなければ正義もないのであれば、
正義と悪は共依存の関係にあるのではないか。
おのれの正義(善)を誇りたいがために悪役を必要とする人々がおられる。
まさか創価学会がそのような団体だとは言い切れず、
わからないと言うにとどめる。
本当のところはわからない。真実や真理はわからない。
池田先生は真理をつかんでおられるのだろうか。

「もちろん私自身は、究極の真理は一つであり、
その真理への迫り方は種々ありうるにせよ、
現代の時代に、地球人類にとって、最も有効な道を教えた宗教を選ぶべきである、
そして「最も有効な」という以上、それは一つであると確信しております」(P277)


ものすごく傲慢なことを書くが(ごめんなさーい!)、
わたしは池田が確信している究極の真理を理解してしまったような気がするのだ。
池田が悟った究極の真理とは「究極の真理なんてどこにもないこと」ではないか。
「究極の真理など存在しない」ことが池田の悟った究極の真理だとは考えられぬか。
池田の名言に「ウソも百遍繰り返せば真実になる」というものがある。
どのみち真実などないのだから、百回繰り返したウソが本当になってしまうのである。
究極の真理(真実)など存在しないのだから、いかに大勢で大声でウソをつくかが勝負だ。
わたしは「絶対的真理はない」と信じているが、これはおそらく河合隼雄もそうだったが、
池田大作もまた「絶対的真理はない」という「究極の真理」を知っていたのではないか。
大勢で大声で主張した内容が、真実であり真理であり本当のことである。
世界のすべてがウソであるならば(究極の真理はない)、
多数決の法則により大勢で言ったことが真実になり、
さらにまた威圧感の問題でより大声で主張したことが真実になるのである。
学会員さんって不安になると群れて大声を出すけれど、あれは「正しい」のだろう。
その学会員のうちどれほどが
池田大作の悟った「究極の真理」に気がついているかはわからないけれども。

最近、ブログには書いていないこともあり(書いていないことのほうが多い)、
創価学会という組織のすごさはよくわかった。
さて、創価学会に入るかどうかの問題なのである。
たまに批判もする創価シンパくらいのスタンスのほうが双方にとっていい気もするが。
・聖教新聞を取らなくてもいい(新聞全般が嫌いだし、聖教さんはとくにちょっとあれは)。
・法華経や題目を唱えるが、念仏も同時に唱えたい。
・集団行動が苦手なので、集まりにはめったに行かないと思う。
・功徳(現世利益)も仏罰も信じておらず、すべてはランダムだと思っているけどいい?
・たまにブログに学会批判を書くかもしれないけれど笑って許して。
・仕事紹介へのキックバックだと思って財務(寄付)の1口1万円はしぶしぶ支払う。
・政治はどうでもいいので、かならず公明党に入れることを約束する。
・池田大作よりも戸田城聖のほうが好き。
・創価学会に入ったことは恥ずかしいので秘密にする。
こんなふざけた態度でもよければ……。

(関連記事)
「法華経現代語訳(上中下)」(三枝充悳/レグルス文庫/第三文明社)

COMMENT

東方不敗 URL @
08/30 22:56
白ウサギを追え. 「心」が変われば、「態度」が変わる。

「態度」が変われば、「行動」が変わる。

「行動」が変われば、「習慣」が変わる。

「習慣」が変われば、「人格」が変わる。

「人格」が変われば、「運命」が変わる。

「運命」が変われば、「人生」が変わる。
東方不敗 URL @
08/30 23:00
Yonda?さんへ. イエスマン "YES"は人生のパスワード(字幕版) (予告編) - YouTube
仕事にもプライベートにも「ノー」「嫌だ」「パス」と答える極めて後ろ向きの男

この映画オススメです。
いつでもいいので、TSUTAYAで借りて見てください。
宜しくお願いします。
みずほ URL @
08/31 01:45
. 仕事紹介へのキックバック...。創価に入ったらライターとして優遇されたりするのでしょうか?あるいは他の職種で?
URL @
09/01 11:49
はじめまして. はじめまして。
時々ブログ拝見しております。
私は平成9年から10年位を学会員として過ごし、現在は日蓮正宗法華講員です。所謂2世3世ではなく、古本屋で仕入れた本を情報源として、こういう信仰遍歴をしてきた変わり者です。
高校生の時「人革」「御書」を読み、社会人となって学会に入りました。昔はネットとか情報も少なく、若くて人生経験も無かったので、学会の組織の「魅力」と現世利益にひかれたのです。
学会の組織の表面的な「あたたかさ」「強さ」は、それに入る前はとても魅力的に見えますが、入った後は、否応なく「組織悪」が押し付けられてきます。
たくさん本を読まれていらっしゃりますが、本が好きな方、それに、まじめな方や、物を考えがちな方は尚更に「学会向けの顔」と「それ以外の顔」とのギャップに苦しまれることになると思います。
学会に入ったからといって、仕事の優遇はありません。あったとしたら、それなりの見返りが要求されます。
どうか早まらないで下さい。自分の経験から申し上げますが、学会に入るのは慎重に考えて下さい。というよりも、お勧めしません。学会に入らなくても本は読めます。学会活動は学会の為の組織活動に過ぎません。まだ法華講の方が「仏教的」だし、末寺によって個性はありますが、まともな感じです。とはいえ、法華講も問題がないわけではないので、無条件に勧めることはできません。学会であれなんであれ、ある団体に入るのは、それなりのリスクがあります。学会はリスクが大きすぎます。
いきなりの長文で、本当に失礼致しますが、どうか学会に入るのは重ね重ね熟慮をお勧めいたします。



東方不敗 URL @
09/01 23:10
カムパネルラ. 
Yonda?さんのイーハトーブが見つかりますように。
Yonda? URL @
09/12 21:48
東方不敗さんへ. 

わたしは東方不敗さんに読んでほしい本も、見てほしい映画もありません。
わたしは東方不敗さんがどう生きてもいいと思います。
なにを信じてもいいし、なにを批判してもいい。
なぜなら人は自由だからです。
Yonda? URL @
09/12 21:50
みずほさんへ. 

創価学会に入って優遇される人も搾取される人もいるのではないでしょうか?
組織ですから上に気に入られるかどうかが問題だと思います。
詳しいことはよくわかりません。
Yonda? URL @
09/12 22:05
坊氏へ. 

学会はいったん入ると抜けるときにきついんですよねえ。
いやがらせをされたり。
でもまあ、創価学会のほうがわたしを入れてくれないと思いますよ。
なにか組織を破壊する業のようなものを持っているようで。
一対一で対面してわたしを折伏できる学会員はいらっしゃるのでしょうか。
「正しい」ことはないと思っていますから、そもそも論争になりません。
かわいい女の子目当てで入ることはあるかもなあ。
池田大作さんが学会の集まりに行ったきっかけも、
かわいい女の子目当てなんですよねえ。
組織活動、集団行動はできません。
可能なのは公明党に一票入れるくらい。

おコメントありがとうございます。
コメント欄で宗教戦争が起こるのかとちょっとドキドキしました。
おいしい思いができるのなら、どの宗教でもいいんです。
複数の宗教に入ってもいいと思います。
アントニオ猪木なんていくつ新興宗教に入っているのか。
わざわざ親身なおコメント、どうもありがとうございます。








 

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