「自我と無意識」

「自我と無意識」(C.G. ユング/松代洋一・渡辺学訳/第三文明社レグルス文庫)

→河合隼雄の大ファンなので、氏が権威を借りているユングを読んでみる。
どうせ河合隼雄はユングを曲解して、うまいように料理しているだけだろう。
ユングの本は難解として知られるが、
そこをうまく利用して河合隼雄は成り上がったところがあるのである。
だれもユングのことなどわからないから、
紹介者という形を取ることで河合隼雄は好き勝手なことを言えるのである。
これはわたしの意地悪な意見ではなく、
晩年の河合はユングの名を借りて自分のやりたいことをやったと白状している。
ならば、もう河合隼雄の本は読み尽したといってもよいのでユングに手を出してみた。

ユングは精神科医で患者を治療するために独自の心理学を構築したのである。
心の悩みを持った人をどうしたら回復させることができるかを考えた。
ぶっちゃけ、ユングは時給850円のパートには関係ない話をしているとも言えよう。
ユングのところに診察に訪れるものは社会的成功者や金持ばかりだったのである。
あるいは、そういう富裕層の妻や娘たちだ。
彼ら彼女らとの診察経験からユングは自分が新発見したと思ったことを書いたのである。
ペルソナ(仮面)のあまり強くない人には関係ない話と言えなくもない。
ペルソナ(仮面)というのは社会的役割のことである。
われわれは社会生活を営むうえでみなみなペルソナ(仮面)をつけている。
医者、弁護士、教師、牧師、僧侶、経営者、作家、会社員――。
われわれはペルソナ(仮面/社会的役割)にしたがった言動をしなければならない。
それも四六時中いつわりであるペルソナを演じなければならない。
ペルソナはかならずしも不自由であるというわけではなく、
われわれはペルソナがあるおかげで守られているとも言いうる。
ペルソナにそった発言をしていれば社会で安全でいられる。
いざとなったらペルソナに隠れてしまえば危険な問題から逃れられる。
ことさら上級の社会的地位が高いペルソナを持つものは、
ペルソナの誇らしさのあまり本来は仮面たるペルソナを自分自身だと思ってしまう。
ところが、ペルソナの陰に隠れた自分というのもいるはずである。
あまりペルソナにばかり依存していると、仮面の裏の自分が反逆してくることがある。
精神異常、心の病というのは、
ペルソナに対する自分の反抗ではないかとユングは経験的に学んだのである。

たしかにユングの本はお経のようなものでじつにわかりにくい。
しかし、これまた仏典とおなじでたまに意味のわかるところがあるのである。
そういう理解可能な箇所をつなぎ合わせるとユング心理学のようなものがわかる。
相手の足もとを見るような意地汚いユング解釈をしてみよう。
ユングというのはきっととても偉そうな医者だったのである。
いつでもどこでも医者としてのペルソナを使用し堂々と振る舞い人々に助言していた。
婦人にはじつに紳士然として応じる立派な医者だったことだろう。
だが、ある魅力的な婦人を診察しているときに、ペルソナが壊れたのだろう。
「うわあ、このねえちゃんきれいだよ。やりてえ、犯してえ、ものにしてえ」
しかし、ペルソナは医者だから、本音は抑圧するしかない。
ところが、どうペルソナの圧力を高めても「この女性患者をおもちゃにしたい」
という性的欲望は消えない。ここにユング心理学の誕生があったのだと思う。
これはとても恥ずかしいことだからユングは文章としては書いていないが、
意地悪な視線で文章の裏を読みとると、そのようなユングの経験が見えてくるのである。

そろそろわたしもユングの権威を借りるとするか。
ユングはけっこうきついシビアな本音を言っているのである。
われわれふつうの人にユングはどうしろとも言っていないのである。

「寝た子を起こすな quieta non movere」(P143)

これがもっとも重要な真理であるとさえ言い切っている。
うまくペルソナを使いこなせて社会的に適応しているものはそのままでいい。
ペルソナとか自己とか意識しないで死んでいけばそれでいいと言っている。
ほんの少し心を病んでしまったものにはどういう提言をしているか。
べつにことさら精神分析などしなくてもよろしい。

「無意識に対抗するのに効果的なものがひとつだけある。
それは、疑う余地のない外界の必要である」(P83)


この言葉の意味は難しくもなんともない。
あとで具体的に説明しているが、野良に出ろということだ。
汗水流して百姓仕事をしたら、
軽い心の病程度なら消えると身もふたもないことを言っている。
その次は新興宗教である。
心の異常というのは、ペルソナに対する自己(本当の自分)の反乱である。
本当はみんな自分のことを偉いと思っているけれど、
ペルソナがあるためにときにはペコペコしなければならないし屈辱も味わう。
本当の自分は偉いのだがペルソナが邪魔をして本音を言えない。
この際、本当の自分はなにかと精神分析で分け入っていくのは、
金も時間もかかるし、なにより本人が相当の苦しみを経験しなければならない。
このため、そういう骨折りをしたくない人は預言者(教祖)の託宣にすがるのである。
さすがに本当の自分は預言者(教祖)なみに偉いと思い込める人は少ないらしい。
創価学会の第三文明社の本なのに、学会批判とも読めなくもない文章があるのだから、
もしかしたら創価学会というのは
かなり批判を受け入れる包容力のある民主的な優良団体ではないか。
ペルソナよりも本当の自分のほうが価値がある(偉い!)ことに気づいたとき、
人はどうするか。

「預言者[教祖]になるのもいいが、そのかたわらからもうひとつ、
もっと狡猾で見るからに理にかなった喜びが秋波を送ってくる。
それは預言者の使徒になる喜びであって、これこそ大多数の人にとって、
まさしく理想的な処世術なのだ。(……)
そのときひとは[自分の]価値を失う。
慎み深く「師」の足元に座して、自分自身でものを考えないようにする。
精神的な怠惰が徳になる。(……)
師の神格化によって、ひとは一見それと気づかず、自らが高みへと伸びてゆく。
その上なにしろ偉大な真理を、自ら発見したのではないにしても、
少なくとも、「師」御自身の手から、受けとっているのだ。
もちろん弟子たちは、常にたがいに寄り添い合う。
しかし、それも愛からなどではなく、集合的な調和を生み出すことによって、
骨を折らずに自分自身の確信を深めることができるという、
もっとも至極な計算からなのだ」(P88)


言い方を変えれば新興宗教に入ってしまうのが、いちばん楽でおいしいのである。
最近、ある人から「もう創価学会へ入っちゃえば」とすすめられたことがある。
その人は創価学会をあまりお好きではないようなのだが。
信者(使徒)になるとなにがいいのか。どう楽しめるのか。

「自分自身は単なる使徒にすぎないが、しかし、
そうであることによって師が掘り出した偉大な宝の共同管理者になれるのだ。
ひとは、そのような職務に申し分のない威厳とずっしりした重荷を感じて、
ちがう考え方をする人を片はしから誹謗し、改宗者をつのり、
全人類の上に光を掲げることを、
最高の義務であり道徳的必然性であるとみなすようになる――
まさしく自分自身が預言者その人であるかのように、
そして平生は見るからに控え目なペルソナの背後にもぐり込んでいたような、
まさにそんな人々が、集合的心との同一化によってみるみる肥大しはじめ、
突如として世間の前に姿を現す。
預言者が集合的心の原像であるように、預言者の弟子もまた一つの原像だからである。
どちらの場合にも、集合的無意識による自我肥大が生じ、
個性の自立性が損なわれる。
しかしすべての個性が、自立への力をもっているわけがないのだから、
使徒願望はことによったら、やはり、個性になしうる最良のものかもしれない。
それならば、それにともなう自我肥大の快感は、
精神的自由の喪失に対するせめてもの代償ということになる。
それにまた、本当の預言者やそう思い込んでいる人間の人生が、
苦しみと失意と窮乏に満ちたものであり、
したがって熱烈に彼をたたえる使徒の群れが、
補償の役割を果たしているということも見過ごしてはならない。
これらのことはすべて、人間としてごく納得のいくことであって、
もし何か別の成行きになったとしたら、そのほうが驚くに値するだろう」(P89)


これまでのユングの主張をまとめておこう。
1.ペルソナ(仮面)を疑わず円滑に社会生活を営めるのならそれがいちばん。
2.野良仕事をして大地と格闘したらくだらない悩みなんて霧散するぞ。
3.宗教に入って教祖さまの教えにしたがい敵を迫害するのもまあ悪くない。
1.2.3がどうしても不可能な人に向けてユングは独自の精神分析を行なった。
くれぐれもお金持相手の精神分析であることを忘れてはならない。
ユングもひどいことを言っている。
厄介な患者が来たときは「あいつの金もしだいになくなるぜ」など同僚と噂したらしい。
さて、ユング心理学は心を病んだインテリ富裕層にどのような道を指し示すのか。

「それは個性化の道である。個性化とは個性ある存在になることであり、
個性ということばが私たちの内奥の究極的で何ものにも代えがたいユニークさを
指すとすれば、自分自身の自己になることである。
したがって、「個性化」とは、「自己自身になること」とか、
「自己実現」とも言い換えることができるだろう」(P93)


いまの日本ではしもじもの人間まで「自己実現」を求めているけれど、
ユングのそれはインテリ富裕層のみが苦労してなしうる道のようなものだったのだ。
このブログ記事はわたしのために書いている。
この本を読んで思ったのは、まずきちんとしたペルソナを作らなきゃなってことだ。
ペルソナさえないのに(アルバイト)自己実現もなにもないって話だから。

「ペルソナを備えた男には、内的実在[精神世界]が存在するという視点は
もとよりまるでわけが分からない。
それはペルソナを欠く人間に、世界の実在性が少しも分からず、
世界も彼にとっては、単に興味をそそる幻視的な遊戯場でしかないのと
まったく同じことである」(P136)


ああ、偉そうなペルソナがほしいけれど、もう無理かなあ。
ペルソナがないところで自己もセルフもなーんにもないんだから。
けれども、山田太一さんのようなすばらしいペルソナをお持ちでも、
裏側ではいったいどうなっているのか。
ユングはじつに人間くさい経験を書いている。

「私は、かつて、尊敬に値する男性と知り合いになったが、
この人こそまさに聖人と呼ぶに値した――、
私は、まるまる三日、彼をあれこれ眺めまわしたが、
およそ死すべき者のまぬがれぬ不完全さが彼には何一つ発見することができなかった。
私の劣等感は、おそろしいまでに高まり、自分を改善しなければと、
ほとんどまじめに考えるまでに至った。
しかし、四日目に、彼の奥さんが、私に悩みを打ちあけにきたのである……」(P127)


最後にユングの名言をちょろっと拾っておこう。この人、偉いんでしょ?

「およそ創造的な人間であれば、意のままにならないという点こそが、
創造的な思想の本質的な特徴であることを知っているはずである」(P112)

「中道における対立物の一致こそは、もっとも個人的な事実であると同時に、
生命存在一般の最も普遍的で合目的的な意義達成なのである」(P146)


「こうした事柄は、自分自身で経験してみないかぎり、本当に分かるものではない。
だから私は、知的な公式を立てることよりも、
そのような経験の方法と可能性を示すことの方を選ぶのである。
知的な公式など、経験が欠けていたら虚ろな言葉の綾に終わるだけだ」(P156)


さあ、いまから時給850円の労働を経験しに行こうと思う。
誤字脱字、失礼いたします。帰宅したら直すのでご勘弁を。

COMMENT

東方不敗 URL @
08/29 12:29
Yonda?さんにアドバイスしてくれた方へ. >最近、ある人から「もう創価学会へ入っちゃえば」とすすめられたことがある。

貴方は本当に友人を大切に思っているのですね。

とてもよいことだと思います。
これからもそのような気持ちを大事にしてください。
! URL @
08/30 16:49
. >言い方を変えれば新興宗教に入ってしまうのが、いちばん楽でおいしいのである

なぜ「新興」宗教限定? ユングがそう言っているのか。伝統的な古来の宗教でもいいだろう。
みずほ URL @
08/31 02:09
. 奥さんの悩みが何だったのか気になります...。
Yonda? URL @
09/12 21:42
!へ告ぐ. 

HNは毎回おなじものを使ってくれ。
Yonda? URL @
09/12 21:54
みずほさんへ. 

ご自分で本を読んでたしかめられたらどうでしょうか?
なーんていうのは意地悪ですね。
奥さんの悩みは守秘義務のためか書いていません。
ちなみに勝手な推測では、
これはかつての師、フロイトのことを言っているのだと思います。
みずほ URL @
09/15 02:58
. 書かれていないのですか、残念です。ご回答ありがとうございます。他のコメントにもご回答いただき、ありがとうございます、楽しく拝見しました。








 

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