「最強確率論」

「最強確率論 ――「絶対無敗」の法則」(石橋達也/学研新書)

→なんとも怪しげな本(2010年刊)を買うばかりではなく読んでもしまう、あはっ。
著者は「あの人はいま?」状態になっている、むかし流行ったパチプロとのこと。
ほんとうにパチプロなんているのかなあ。
大学教授の谷岡一郎氏はパチプロは存在可能で、
30日労働で月収30万の世界だとある本のなかで書いていた。
教授は30万ごときといった感じで書いていたが、30万ももらえるならやりたいなあ。
でも、ぼく、パチンコはやったことがないし、たぶんセンスがないと思うから。
さて、パチプロの著者は大学教授と正反対の主張をしているのである。
パチンコは胴元が中抜きしていない、控除率がないと――。
競馬は胴元が控除するというところは両者の共通見解である。

「……パチンコは胴元とプレイヤーとの直接の勝負。
釘の調整次第では胴元が損をする場合もあり得るのだ」(P17)


これはぼくにはわからないのね。パチンコをやったことがないから。
でも、そっかあ。そうだよなあ。
パチンコはプレイヤーと胴元の一対一の勝負のような気がする。
うまく玉の出る台を見破れば常勝することも可能なのかもしれない(よくわからんが)。
だとしたら、あの大学教授が計算したという控除率はなんなのだろう。
それは全体としてはパチンコ店は儲けているのは理解できるけれど。
とてもインチキくさい著者が確率を否定しているのだが、それはぼくも考えたことがある。
大数の法則への違和感をパチプロの著者は表明している。
大数の法則とは、短期間(10回とか)ではサイコロの出目はデタラメだが、
1万回サイコロを振ったら出目はそれぞれ1/6ずつになるという確率の大原則だ。
むかしパチプロで有名だった著者は大数の法則を果敢にも否定する。

「次は自分なりに考えた「大数の法則」について説明しよう。
「確率が調整されることは決してない!」。
その理由は、サイコロに記憶装置がないからだ。
1が3回続けて出た後も、1が20回続けて出ていないときも、
サイコロ自身はそういった過去の履歴は覚えていない。
だから「神様が確率を調整する」というのはまったく確率学的な考え方ではないのだ。
では大数の法則をどのように理解すればいいのか?
個人的には、まったくの「無」と考えるようにしている。
だから調整する第三者もいないと思っているし、
法則としてさえ捉えないようにしている。
今では大数の法則よりも大切なモノがあるとすら思い始めている」(P46)


電波が入っているような気がしなくもないが(いや電波むんむんだが)、
著者の言うところを理解できないわけでもなく(うん? ぼくも電波系か?)、
大数の法則にしたがうならば確率的にパチンコで勝ち続けることはできないが、
統計学的にはパチプロも必然的に存在するということになるのだから。
生存確率1%の手術でも成功する人はいるし、
90%安全な手術に失敗して亡くなる人もいるわけだ。
そもそも確率というのは過去の統計データを参考にした数値である。
もし過去の統計データに存在しないような人間が現われたら彼に確率は適応できるのか。
過去の統計から未来の事象を予測しようというのが確率である。
しかし、過去の統計データにない事象の未来予測はできないし、確率も計算できない。
本当に新しいものは将来どうなるかわからないし確率もわからないのではないか。
著者が指摘していることだが、インターネット。
20年まえにネットがいまのようになるとはだれも予測できなかった。
もし予測できていたら(成功確率がわかっていたら)大儲けしていたのである。
しかし、おそらく20年まえにネットで成功する確率は1%くらいだったのではないか。
あれえ、あれえ、本当は未来予測に関するかぎり確率は当てにならないのではないか。
過去の統計にないことに関しては確率はわからないのである。
怪しげなビジネス書の煽(あお)り文句のようだが引用する。

「稼ぐ人はとにかく今を生きる。
隙間に入っていって儲けるヒントをわしづかみにするのだ。
ネットのように大きなうねりは10年に1回くらいの変革だが、
様々な業界で特需は生まれる。特に新しい業界、新しい試みの場合、
それをいかに敏感に察知し行動を起こすかだ。
先駆者となれば、そこで儲けが生まれる」(P160)


確率や統計というものは、個人差をまったく認めない数学的発想である。
太郎と花子の差を認めず、みなひとつのおなじ標本点として扱うのが統計学である。
しかし、太郎と花子は違うだろうという言い方もまたできるのではないか?
これを書いているぼくと読んでいるあなたはぜんぜん違うわけでしょう?
それを一緒くたにして統計的にとらえ、
そのうえで確率を計算する数学的発想で果たして人間や人生を把握しえるのか?
以下の引用で著者はそういうことを言っているのではないかと思う。
著者は麻雀の話をしている。

「超能力的にツモが強いという人がいるとする。
その人が、ネット麻雀で同様なヒキを発揮できるか?
どう考えても常に強いツモがくるとは考えられない。
自分は麻雀はヘタだがネット麻雀となると話は別。
ツモも別段、超能力的なものを感じずランダムに来るように感じる。
少なくとも普段雀荘で打っている感じとは異なる。
威圧感、不安感のなさがそう思わせるのだろう。
邪馬台国を率いた卑弥呼など「いるだけで圧倒的な存在感」があったと思われ、
当時ならば一種の超能力といえる」(P175)


食べても食べても太らない人っているよねえ。
大酒のみでヘビースモーカーなのに長生きしてるクソじじいとかもいるいる。
そういう存在は科学的(数学的)には「統計上の揺らぎ」なのだろう。
しかし、いるものはいるんだから。
確率や統計ってどこまで信じられるのだろうか。わっかんねえなあ。

COMMENT

東方不敗 URL @
08/28 22:47
親指無宿. 昔、先輩とパチンコ打ちに行ったなぁ

先輩が大勝して高級ソープに連れてってくれたのは、いい想い出。

寺山修司「偶然をはらまない人生に、何の生甲斐があるものだろうか?」
Yonda? URL @
09/12 21:38
東方不敗さんへ. 

それはたいへんいい想い出ですねえ。








 

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