「危険な宗教の見分け方」

「危険な宗教の見分け方」(田原総一朗・上祐史浩/ポプラ新書)

→2013年刊の元オウム真理教の上祐史浩と田原総一朗の対談本。
おりしもタイムリーというべきか、
現在まだオウム真理教(現アレフ)に所属している信者さんから、
ブログに長文の鍵コメントが入っている(昨日8/20)。
うちのアウトルックエキスプレスの不具合で、
コメント欄記入のメールアドレスはどうしてか開けないので返事は書けません。
ことさら熱心に反応を求めているとも感じませんでしたのでご了解を。

本書でおもしろい仏教説話を知った。
わたしは読んだことはないけれど、出典はどこなのだろう。
いちおうジャータカ物語(釈迦前世譚)でブッダが
自殺も殺人も肯定しているのは知っていた。
小舟に乗っていて殺されそうになったら相手を殺すではないかという文脈だ。
詳しい内容はリンク先をご参照ください。
本書で上祐史浩が紹介しているのは、もっと過激な殺人肯定の仏教説話だ。
少し長くなるけれど、たいへん印象深かったのでみなさまにもお読みいただきたい。

「なぜ殺人を正当化するような教えが出てきたかというと、
仏教の悟りというのは「慈悲」、つまり他者を愛することに関係する、
ということに結びついています。
たとえば、こういうお釈迦様の物語があります。
お釈迦様の神通力によって、ある男がまもなく五百人の人を殺すことを知った。
残念ながらそれを防ぐ手立てがなく、五百人を救うにはその男を殺すしかない。
だが、殺せば自分は地獄に落ちる。
こうしたときに、五百人を殺させないために、
お釈迦様はその男を殺し地獄に落ちることを選んだ。
それは深い慈悲で、自分は地獄に落ちても、
五百人を救いその男が地獄に落ちないようにした。
こうして、仏教の慈悲の教えの中で、殺さなければ救えない人たちは、
自分を犠牲にしても殺すのだという論理が成り立っているわけです」(P106)


不謹慎なことを書くと、
死んだ人はみな仏(善人)になってしまうような風習が日本にはある。
死んだらみんないい人みたいな。
なんだかんだあったけれど、いまから考えたらいいところもあったよ、みたいな感傷のこと。
でもさ、正直に心の底を見つめたら、
だれでも死んでほしい人のひとりやふたりはいませんか?
これまた不謹慎なことを書くけれど、
例の津波で死んだ人で嫌われものもいたわけでしょ?
むかしいじめられてチン毛を燃やされた恨みが忘れられなく、
あいつが死んでくれてヤッターと思った人とか絶対にいないわけではないと思う。
外見上はどんないい人でも、みんなから好かれている人間というのは極めて少ない。
人間には相性というものがあるから、どうしても一部の人間に嫌われてしまうのである。
繰り返すが、死んだ人はみんな善人(仏)になるという通念がこの国にはある。
けれども、死んだ人を憎んでいた人がいる可能性は否定できないのである。
そうだとしたら、殺人は絶対の完全悪だと言い切れるだろうか。
殺人というマイナスにも小指の先ほどならプラスの意味合いがあるのではないか。
死刑を肯定している人というのは、殺人にプラスを見出しているわけでしょう?
危険なことを危険と知りつつ非難を恐れずに書くと、
地下鉄サリン事件で死んだ人がもしお亡くなりにならずその後も生きていたら、
交通事故を起こして多くの小学生を轢き殺していたかもしれないのである。
もしそうだとしたらオウム真理教の地下鉄サリン事件は絶対悪と言い切れるのか。
詭弁(きべん)という自覚はあるけれど、
遺族感情を無視して世間からの批判を恐れずに「本当のこと」を書いてみた。
地下鉄サリン事件のことはもう忘れてしまったが、
死んだ人のおかげで会社でのポストが上がった人もいたことだろう。
そして、死んだ人のなかに将来悪事をする人がいなかったとは、
だれにも断言することができない。
むろんのこと、だから人を殺してもいいという論理に直結するのは安易だし、
断じて地下鉄サリン事件を肯定しているわけではない。

しかし、将来少女を連続レイプしそうな男がいたとしたらどうだ?
その男は殺してもいいのではないか? それとも人権とやらが尊重されるべきなのか?
死というのはマイナスばかりではない。
だれかが死んでくれたおかげでそのポストが空き出世する人が現われるのである。
反対から言えば、だれかが死んでくれないとなかなか人は出世できない。
これは政治家の世界では暗黙の了解のようになっているのではないか。
だが、どうして男というものは(自分もふくめて)出世したがるのだろう。
上祐史浩がオウム真理教に入った動機はこうだ。

「これは私だけではなく、新実智光[死刑囚]もそうだったようですが、
普通の組織に行くと、すでに先が見えると感じていたんです。
組織の中で、十年二十年三十年とコツコツ働いて、ようやく部長程度になれる。
世の中に対して、頭打ちの印象を持っていた。
一方、麻原は我々に、「今入った者は将来の大教団の大幹部だ」と言うわけです。
私や新実、村井とかはオウム真理教が出家者を集めはじめたときの人間ですから、
ある意味で創設メンバーです。
新実も、それ以前はそれなりの企業に勤めていたのですが、
「このまま働いても、先が見える」と言っていました」(P32)


野心ある二十代の青年の本音だろう。
いまアルバイトをしている職場にも二十代と思しき社員さんがおられるが、
先が見えたような気がしていやにならないのだろうか。
本当にいまの仕事を天職だと思っているのか聞いてみたいところがある。
さて、麻原彰晃はすごかったと言えなくもないのである。
どうしてかと言うと、ノーベル賞を受賞したダライ・ラマと親友だったというのだから。
ノーベル賞を取るまえから麻原はダライ・ラマと深い親交関係にあった。
上祐の証言では、麻原彰晃はダライ・ラマから尊敬されてもいたという。
少なくとも麻原彰晃に先見の明があったことはたしかだろう。
もちろん裏の話はあって、麻原彰晃はダライ・ラマに2億円近く寄付したらしいのだが。
しかし、言い方を変えればノーベル賞のダライ・ラマもその程度の男なのである。
もっと言ってしまえば、ノーベル賞もさして権威を持っていないのかもしれない。
金とコネというのは、ものすごい力を発揮するのだと本書で知った。
オウム真理教は1億円以上の金をロシア高官に払った。
すると「偉い人」をいろいろ紹介してくれ、ロシア国営放送の30分枠までもらえたという。
テレビで放送されているのだから本物だろうと、
ロシアにオウム真理教の信者が大勢発生してしまったという。
いかに地位のある人に近づきうまく裏金を渡すかが世渡りの秘訣なのだろう。
社会主義国はとくにそういう傾向が強いのかと思われる。
有名人の田原総一朗の言葉も拾っておこう。

「たとえば『資本論』のマルクス。マルクスの資本論は、
「経営者、資本家が労働者を搾取して、奴隷のごとく扱って、
自分たちだけが豊かになっているが、いつの日か労働者が革命を起こす。
革命は絶対に正しい」という主張。
革命が絶対に正しいなんていうから、革命を起こした国、
ロシア、ソ連、あるいは中国、北朝鮮などでは、
政府を批判したら監獄行きという状態になってしまった。
それはおかしいというので、
「絶対正しいなんてことはない、真理も真実もない」
というのが今の相対哲学なんです」(P187)


上祐史浩はいま「ひかりの輪」というセミナーを主催しているという。
言い方はよくないが、オウム真理教ほど効き目はないのではないかと思われる。
薬は毒なのである。副作用の強い薬ほど患者を癒すという面を忘れてはならない。

(関連記事)
「オウムをやめた私たち」(カナリアの会/岩波書店)

COMMENT

東方不敗 URL @
08/21 21:06
フォースと共にあらんことを. 
たしか、尊師って虚業家の康芳夫にアドバイスされて、開眼したんでしょw

弟子は暗黒面に堕ちてしまった。

Yoda vs Sidious - YouTube
東方不敗 URL @
08/22 00:56
. >ジャータカ物語(釈迦前世譚)でブッダが
>「お釈迦様はその男を殺し地獄に落ちることを選んだ。」

イソップ物語のハチとヘビの話しみたいw

オモロイw








 

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