「やっぱり、人はわかりあえない」

「やっぱり、人はわかりあえない」(中島義道・小浜逸郎/PHP新書)

→往復書簡集。よく知らなかったけれど、小浜逸郎って人が嫌いになった。
この人は造語になるが、庶民派インテリとでも言おうか。
やたらインテリぶって有名哲学者や有名文学者の権威を借りるのである。
しかし、自分は庶民の味方で大衆寄りで「普通の人」がいちばん偉いと公言する。
身もふたもないことを言うと、庶民派や大衆寄りってずるいんだよねえ。
あれって弱者の味方ぶっているけれれど、
本当に汚らしいことを言ってしまえば、庶民や大衆というのは圧倒的多数派でしょ?
「正しい」というのは数の論理(正義は多数決で決まる)なのだから、
庶民派ぶったり大衆を擁護したりするのは計算高い証拠と言えなくもない。
いまの日本でいちばん偉いのは庶民や大衆ではないか。
政治家も金持もテレビも新聞も庶民や大衆を批判することができなくなっている。
みんな庶民の味方ぶっているけれど、大衆は愚かだというのが本音でしょ?
だから、庶民さま、大衆さまとやっておけば、あいつらは満足して騒がない。
へたなことを庶民さまや大衆さまに言うと、おれらを見下すのかと激憤するから怖い。
この点、おのれを庶民や大衆と同一視しながら(うそこけ爺さん!)、
そのくせ無知蒙昧な下層民が恐れをなすだろうと姑息にも計算して、
有名哲学者や有名文学者、古典の内容をやたら引き合いに出す小浜逸郎にはげんなり。
うまいこと人生の甘い果実を食い散らかした団塊世代の象徴が小浜逸郎ではないか。
中島義道が小浜逸郎をこう評している。

「……小浜さんの武器(言葉)は案外素朴で、どんな戦闘でも、
いろいろ配慮はしているが、結局自分はほぼ完全に正しく、
相手がほぼ完全に間違っているとなる」(P20)


本書でもまったく意味のない論争のようなものをしているが、
あえて勝敗をつけるならば小浜逸郎に軍配が上がるだろう。
なぜなら庶民派ぶった大衆擁護の論客(笑)だからである。
多数決を取ったら、庶民や大衆は小浜逸郎に票を入れるだろう。
結果、民主主義的に小浜逸郎なる庶民派インテリが「正しい」ことになろう。
愚鈍な庶民とか大衆とか、そのリーダーの小浜逸郎は、
本気で人と人はわかりあえるとか信じていそうでブルブルッとするぜ。
「話せばわかる」とか狂信に近いレベルで思い込んでいそうで恐ろしい。
論争したっていくら議論したって、
それぞれ自分は「正しい」と思っているふたりは決してわかりあえないとわたしは思う。
ブログをやっていていちばん迷惑なのはコメント欄で議論を吹っかけられることである。
議論の結論は「あなたは正しいし、わたしも正しい」しかないにもかかわらず。
あるいは「あなたも善で、わたしも善」というほかなく白黒なんてつかない。
中島義道は論争好きな小浜逸郎のことがわからない(理解できない)。

「……私にとって「善い」とは「好き」とさして変わりありませんから、
小浜さんのように、
さまざまな論客との論争が(少なくとも真剣には)できないのでしょうね。
俺は自分の感受性に基づいて「善い」という言葉を使うから、
おまえも自分の感受性に基づいて「善い」という言葉を使えばいい、
オワリ、という具合です。
言い換えれば、すべては趣味の問題に行き着くように思われます」(P88)


どうして学会員さんは池田先生が「好き」と言わず、
絶対的に「正しい」とまったく感受性が異なる他人を折伏しようとするのだろう。
好きか嫌いかを問われたら、
ダークヒーロー的な意味合いで池田さんのことは少なくとも嫌いではないが、
SGI会長の言うことがすべて「正しい」とはわたしは思わない。
けれども、そう思う人がいてもいいし、
その人の意見を他人が変えることなどできないことをわたしは知っている。
あっ、最後に断わっておくと、わたしは庶民で大衆で下層民だから。
だって、中島義道や小谷野敦の本を読むインテリなんているはずないっしょ♪

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