「たまたま」

「たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する」(レナード・ムロディナウ/田中三彦訳/ダイヤモンド社)

→米国のサイエンスライターが書いたベストセラー。
発売時には全米で話題になったという(2008年米アマゾン科学書トップ10)。
こちらの関心をズバリ直撃するたいへんおもしろい読み物であった。
みなさまは忙しくお読みになる時間はないでしょうから、
内容をわかりやすく噛み砕いたうえでわたしが紹介させていただく。
この本はおもしろかった。

内容を要約したら、
われわれはランダムネス(偶然性)に支配されている世界を生きているにもかかわらず、
なおコントロール幻想にひたっているのではないかという問題提起である。
交通事故や難病、自殺、犯罪というのは、毎年決まった確率で統計上出現するもの。
どんなにドライバー全員が交通安全に気を配っていても、統計的に交通事故は発生する。
いくら健康な生活を送っている人でも、統計的に難病にかかる人は数パーセントいる。
精神病罹患率は1%くらいともうはっきりしていて、
百人にひとりくらいはあたまがおかしくなって、なかには自殺するものもいよう。
当人や周囲は納得できないだろう。
どうして自分が交通事故に遭遇して下半身不随にならなければならなかったのか。
なにゆえ優良ドライバーの自分が子どもを殺してしまう羽目におちいったのか。
いったいどういう理由でよりによって自分が進行性の難病にかかってしまったのか。
なぜ愛する家族は自殺してしまったのか。あれはどうしたら防げたのか。
前世やなんのといくらでも因縁話をつくることができるだろうが、
科学的に見たらそれは統計上の必然的結果であり、
確率的にはあるパーセンテージでかならず出現することが定められている偶然である。
「どうして?」の答えは「統計的必然」であり、「確率的偶然」ということになろう。

いままではマイナスの話をしたがプラスの世界はどうなっているだろう。
世の中には人からうらやまれる成功者やスターというものがいる。
愚民はこういう華やかな人にあこがれ、その努力や能力に感嘆する。
成功者も得意げに「どうして自分は成功できたのか」の苦労話をすることだろう。
だが、科学的に見たら、その成功譚はかならずしも「正しい」わけではない。
稀有なる成功者もまた統計上かならず出現する標本点(事例)のひとつに過ぎない。
成功した理由は「統計的必然」であり、また「確率的偶然」だろう。
どういうことか? たとえばコインを10回投げたとする。
成功者はこの裏表を10回連続で当てられる超能力者のような存在である。
「すごい先見の明」がある人と周囲から讃嘆されるかもしれない。
しかし、コインの裏表を10回連続で当てられる確率というものがある。
1/2×1/2×1/2×1/2×1/2×1/2×1/2×1/2×1/2×1/2=?
いま携帯電話の計算機で計算してみたら約0.05であった(違う?)。
ということは、2500人にひとりは10回のコイン裏表を当てられるのである。
統計的には1万人集めたら、
かならずそのうち4人くらいが超能力のようなものを発揮する。
科学的に見たら、いわゆる成功は努力の結果ではなく「統計的必然」
あるいは「確率的偶然」と言えなくもないのである。

アメリカでおもしろい実験をしたそうである。
コインの裏表を10回当てさせる実験を学生(被験者)にしてもらった。
実際は「やらせ」で全員に半分当たったという結果報告をした。
被験者のうち40%がこれから努力(練習)すれば、
コインの裏表を当てる確率が高まると答えたという。
最初の5回を当たったと伝えた学生は、自分は未来予測するのがうまいと回答した。

本書には書かれていないが、わたしが考えた身近な話をしよう。
偏差値55の高校生が早稲田や慶應に入りたかったらどうしたらいいのか。
金にものをいわせて可能なかぎり多くの学部を受験するのが科学的に「正しい」。
現役でダメなら浪人しておなじことを繰り返したらいい。
確率は計算していないが、偏差値55でも10回くらい試行したら受かるのではないか。
そして、いざ入学したら人間は結果から判断され、あの人は優秀だということになる。
偏差値50でも三浪する覚悟があれば、早稲田程度なら入れると思う。
わたしは一浪早稲田一文だが、あれは偶然性のたまものだと思っている。
反対のことを言えば、
偏差値75でも東大に落ちることは確率的統計的にありうるのである。
日本シリーズ(7試合のうち先に4試合勝ったほうが優勝)くらいの
少ない試行回数ならば、
本来弱いチームが強いチームに勝つことも十分ありうるということだ。

本書におもしろいエピソードが載っていた。
飛行機訓練の教官は、生徒をほめると悪くなり、怒鳴るとよくなると信じているらしい。
しかし、科学的に「正しい」とされるのは、
動物実験の結果から判明したように叱るよりもほめたほうが伸びるのである。
いったいどうしてこういう矛盾が生じたのか著者は分析する。
たまたま訓練生がうまい飛行をするときがある。これは確率的現象である。
しかし、「平均回帰の法則(大数の法則)」により、
うまく飛行した次の回はいつものような飛行に戻ることが多い。
このため教官はうまい飛行をしたときに訓練生をほめても意味がないと結論づける。
反対に訓練生が飛行でひどいミスをしたときはどうか?
教官はこれでもかと教え子を叱り飛ばすことだろう。
で、次回の飛行は「平均回帰の法則(大数の法則)」により、
いつものような飛行をするケースが多いだろう。
以上のような現象から教官は訓練生をほめても意味がなく、
大声で怒鳴り叱ったほうがよくなると信じるにいたったのではないかと著者は分析する。
教官はランダム(偶然)に起こっていることを(飛行の巧拙)、
コントロールしている(指導の結果)と勘違いしていたということである。

DNA鑑定の話もおもしろい。
犯罪や親子関係の証明のためDNA鑑定がなされることがある。
DNA鑑定の精度(確率)は異説はあるが99.8%くらい「正しい」とされる。
ネットで調べてみたら親子鑑定の場合、「0%」という結果が出ることもあるらしい。
しかし、著者はじつに鋭い指摘をしている。
専門家によると、人によってばらつきはあるが、
人間はおなじことを繰り返していると約1%の確率でミスをするという。
試験薬の取り間違えや置き間違えといったようなことがどの研究所でも起こりうる。
その確率がだいたい1%くらいとされているらしい。
百回に1回くらいなら、けっこうあってもおかしくない事象(事件)ではないか。
だから、著者の説を信じるならば、
DNA鑑定が「正しい」のは百回のうちの99回である。

そろそろ優秀な著者の言葉を借りよう。
上記したように偏差値50でも早慶に合格することは確率的にありうるのである。
努力嫌いのスペックの低い人間でも成功者になることは統計的に起こりうる。
だとしたら、そうであるならば――。

「このことはわれわれに何を教えているのだろうか。
それはスコアボード[学歴、肩書]を見るよりも能力を分析して
人間を判断するほうが信頼できるということである。
あるいはベルヌーイが言ったように、
「結果をもとに人の行動を賞賛すべきではない」ということである。
少数の法則に逆らうには気概が必要だ。
というのは、ゆったりと椅子に座り、
結果を証拠として指し示すことは誰にでもできるが、
ある人間の本当の知識、本当の能力を評価することは、
自信、思慮、的確な判断、そしてそう、根性(ガッツ)がいるからだ」(P151)


世界をコントロール可能なものとしてではなく、ランダムなものとして見たらどうだろう。
われわれは少しばかり因果関係に目をとらわれすぎているのではないか。
ランダムに起こっていることはたまたまで原因のようなものはない。
どうしてわれわれはすぐ原因を考えるような思考法に毒されているのだろう。

「スポーツの世界――あるいは、その他の世界――
の並外れた偉業に目を向けるとき、
われわれは、並外れた事象が並外れた原因なしに起き得ることを
心に留めておかなければならない。
ランダムな事象はしばしばノンランダムな事象のように見えるが、
人間的な事象を解釈するときその二つを混同しないように注意する必要がある」(P33)


著者のみならずランダムネスの強い支配に気づいたものは成功者のなかにもいる。
長年映画会社の社長を務めたデイヴィッド・ピッカーがこう言ったという。

「もし、私が突っぱねたすべてのプロジェクトにわたしがイエスと言い、
私が採用したすべてのプロジェクトに私がノーと言っていたとしても、
結果はそこそこ同じだったろう」(P20)


ノーベル賞受賞経済学者のマートン・ミラーも似たようなことを書いている。

「もし株を眺め、勝ち馬を選ぼうとしている人間が一万人いれば、
一万人のうちの一人は偶然だけで成功する。それが起きていることのすべてだ。
それはゲームであり、それは偶然の作用であり、
人びとは何か意図的なことをしていると考えているが、じつはそうではない」(P269)


著者が本書で何度も繰り返しているのは、
科学的見地からのランダムネス(偶然性)の重みである。
われわれは世界をコントロールなどしておらず、コントロールできるわけもなく、
ただただランダムネスに翻弄(ほんろう)されているだけかもしれない。
ランダムに起こったことをコントロールの結果と見誤っていることがいかに多いか。
科学的に見ても人生において小さなランダムネス(偶然)がいかに重要か。

「科学者は通常、あるシステムの初期条件がわずかに変化したら、
そのシステムの展開もわずかに変化すると考えている。
つまるところ、気象データを収集する人工衛星はデータをせいぜい
小数点以下二桁か三桁までしか測定できず、
0.293416と0.293の差のような小さな差を捉えられるわけではない。
しかしローレンツは、そのような小さな差が
結果に大きな差をもたらすことを発見したのだ。
この現象は、
蝶がはばたくときに引き起こされる程度のほんのわずかの大気の変化でも、
その後の大域の気象パターンに大きな影響をおよぼす可能性があるという意味で、
<バタフライ効果>と名づけられた。
そのような概念はばかげているように思えるかもしれない――
ある朝あなたが飲むコーヒーのおかわりがあなたの人生に大きな変化をもたらす、
と言っているようなものだから。
だが、実際にはまさにそういうことが起きている。
たとえば、残業したかどうかで、将来の連れ合いと駅でばったり出くわしたり、
赤信号を走り抜けた車にはねられそうになったりする」(P288)


先日、自転車に乗っていたら角から現われたべつのチャリと衝突した。
一時停止を守らなかったわたしが悪いのだが、怖いと思った。
あれは一瞬の差であたまでも打っていたら、
いまよりもっとクルクルパーになっていたかもしれないわけだから。
一瞬の差が人生をわけているという残酷な現実をランダム理論はうまく説明する。
われわれは思っている以上にランダムネスに左右(支配)されているのではないか。
ちっとも世界をコントロールなどしていないし、そもそもコントロールできないのではないか。
本書に結論めいたものがあるとすれば以下引用部分であろう。

「ランダムネスの研究は、出来事に対する水晶玉的見解は可能だが、
残念ながら、それができるのは唯一出来事が起きてからであることを教えている。
われわれは、ある映画がなぜうまくいったのか、
ある候補者がなぜ選挙に勝ったのか、なぜ嵐に襲われたのか、
なぜ株価が下がったのか、なぜあるサッカーチームが負けたのか、
なぜある新製品が失敗したのか、なぜ病が悪化したのか、
を理解していると信じている。
しかしそうした専門知識は、ある映画がいつうまくいくか、
ある候補者がいつ選挙に勝つか、嵐がいつ襲うか、株価がいつ下がるか、
あるサッカーチームがいつ負けるか、
ある新製品がいつ失敗するか、病がいつ悪化するか、
を予測するうえでほとんど役に立たないという意味で、空疎である」(P299)


ランダムに選ばれた人が成功者やスターになっているだけかもしれないのである。
それはまるでランダムに選ばれた人が進行性難病にかかってしまうようなもので。
もしそうだとしたら、時給850円労働者のなかにも、
たまたまランダムに選ばれなかったが、素質はあるものがいるのかもしれない。
そういう人にもこれからランダムに幸運が舞い込んでくるかもしれない。
この記事を書いたことがランダムにどう影響するのかを考えると
少し怖いような気もしなくもないが、
ランダムネスは人間の手にはおよばぬ領域なのだからあれこれ考えても仕方がない。

COMMENT

みずほ URL @
08/20 01:40
. 未来のAIはもしかしたら"ランダムネス"を"コントロール"できるようになるのかな、とか妄想してしまいます。
Yonda? URL @
08/23 15:06
みずほさんへ. 

ある程度のコントロールは可能かもしれませんが、
絶対コントロールは不可というのが、いわばわたしの信仰です。
みずほ URL @
08/23 23:22
. 私も妄想はするけれど、そもそも完全なコントロールというのがどんなものか想像つかないし...。とりあえず2045年まで待ってみますかね。
Yonda? URL @
08/25 23:36
みずほさんへ. 

> とりあえず2045年まで待ってみますかね。

ところが、あなたは明日死んでしまうかもしれない。
「待つ」という選択肢はわたしがもっとも好きなものですれど。
結局、死ぬまでなにかが来るのを待てばいいような気がします。
あるいは、死を「待つ」のが人生だとも。

異論はあるでしょうが、
わたしは科学などひとつの宗教に過ぎないと思って(信じて?)います。
「正しい」答えがあるのは、おそらく数学だけでしょう。
確率(運、ツキ、偶然)は、
数学から発生した異端思想というところがおもしろいです。
最近、確率の一般書をけっこう読みました。
ちかぢか感想を書きます。
非常にアクセス数の少ないブログなのですが、
みずほさんがたまにでも読んでくださるのなら嬉しいなあ。
みずほ URL @
08/28 02:23
. Yonda?さんは死を待って死にたいですか?ご自身の死が「待てない」、「予期せぬ」ものであってほしくないというような願望はありますか?
Yonda?さんのおっしゃる「科学」とは、自然科学(物理学とか)のことでしょうか?だとしたら、Yonda?さんは宗教と自然科学の区別についてどのように考えますか?
と、私が勝手に思ったことを質問形式で色々と無遠慮に書いてしまいましたが、お答えいただかなくてもいいのですが、ちょっと聞いてみたいと思い書いてしまいました(過去ログで既に書いてらしたらごめんなさい)。

Yonda? URL @
08/28 21:52
みずほさんへ. 

人生「なんでもあり」で「なんだっていい」と深々と思います。
いまこの瞬間に死んでもべつに構いませんね。
どのみち、なんかに生まれ変わってくるのですから。
「科学」は最大派閥の宗教にすぎません。
40近くまで幸運にも生きのびられた男の真理は、はい、
どうにでもなりやがれ!
みずほ URL @
08/31 01:55
. なるほど。長々と書いてしまいすみません、いつもありがとうございます。








 

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