「創価学会 負け犬論」

「創価学会 負け犬論」(幸福の科学 広報局編/幸福の科学出版)

→幸福の科学による創価学会批判本である。
幸福の科学と創価学会はおなじようなお客さんを相手にしているわけで、
このためか、なかなかツボを得ている批判も多かった。
で、この本を読んで創価学会を嫌いになったかというと、
むしろ好きになってしまったので困る。
幸福の科学は好きでも嫌いでもなく、いまのところ関心を持つことができない。
本書は池田大作名言集としても読めるのである。
典拠不明なものも多いが、幸福の科学はよく勉強しているというか、
池田大作がいかにも発言したようなイイ言葉がたくさん採られている。
幸福の科学はなにが目的でこの本を出したのだろう?
まさか池田大作ファンをつくるためではないのだと思うけれど。
池田SGI会長はかつてこう言った。

「組織は、つねになんらかの刺激をあたえつづけていくことが大切だ。
会員を絶対にたち止まらせてはならない。
たち止まれば、かならず上を批判してくる。
忙しく働かせれば、批判なんかふき飛ぶ」(P46)


最強の組織論だよなあ。
バイト先にカレーチェーン店ココ◯チの元店長さんがいて話を聞いたらおもしろかった。
本当に「忙しく働かせれば、批判なんかふき飛ぶ」を地で行なっているらしい。
考える暇を与えなければ、社員はやみくもに働きつづけてくれるのである。
そして、その状態こそある種の人にとっては幸福なのである。
ブラック企業の社員さんに「幸福ですか?」と聞いたらイエスと返ってくるだろう。
自分は幸福かどうかを考える時間を与えないところがポイントである。
とても人柄がいいイケメンで長身のココ◯チ元店長さんも、
あのときの自分はどうかしていたと思うとおっしゃっていた。
みんながおなじような感じだったから、批判はおろか疑問を感じる余地もなかった模様。
「忙しく働かせれば、批判なんかふき飛ぶ」はSGI会長の「正しい」名言である。
池田SGI会長ご自身も、たいへん忙しくお働きになっていたではないか。
きっと幸福について深く考える時間もなかったことだろう。
池田大作名誉会長ほど多くの人から尊敬され名誉を勝ち得た人物はいないだろう。
池田大作は人生に勝利したのである。
どうして池田SGI会長は人生に勝てたのか。負けるな、勝て。なにがなんでも勝て。

「どこまでも蛇のように執念深くやるのだ。
勝たなきゃ意味がない。なめられたら、おしまいだ。どんなことをしても、勝てばいい。
要は、勝つことだ。勝てば、あとはどうにでもなる。
なめられないようになるのが『人間革命』だ」(P50)


なめられたらおしまい、というのはよくわかる。なめられたら、おしまい。
自分をなめてくるようなやつがいたら、徹底的におのれの怖さを思い知らせてやれ。
おれをなめたらどうなるか。
善悪なんてないんだから、勝つためにはなにをしてもいい。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」である。
朝日新聞がいまでかい顔をしているのは大衆操作に勝利したからである。
テレビ局社員が高収入でウハウハなのは、
テレビというメディアが大衆洗脳に成功勝利したから、
そこの雇われ人もこれでもかとおいしい思いをたっぷりできるのである。
「勝てば、あとはどうにでもなる」は「正しい」。
弱い庶民がなんだかんだ言ってきても、大企業はいっさい揺るがない。
交通事故のみならず軽微な犯罪くらいなら、いくらでも揉み消せる。
負けたらみじめこの上ないが、勝てばこんなにうまみのある人生はない。
勝てば金が入る。金があれば、なんでも思うがままになる。
勝利して金と権力を得れば、イケメンアイドルを土下座させることも可能だ。
池田SGI会長は言う。執念深くやれ。なめられたら、おしまいだ。
どんなことをしても、勝てばいい。勝てば、あとはどうにでもなる。
偽善を排した、これほど「正しい」ことを言った人がかつて日本にいただろうか。

創価学会の歴史でいちばんのピンチは宗門(日蓮正宗)とのトラブルだった。
創価学会は上納金をおさめて伝統ある日蓮正宗から権威を借りていたのである。
創価学会は日蓮系の団体だが、在家組織のため僧侶がいない。
このため日蓮正宗といやいやながら手を組んでいたのである。
創価学会の信者が払う財務(寄付金)で宗門の坊主がおいしい思いをしていた。
いったいどうして日蓮正宗の坊主ごときがいい思いをできるのだろう?
本当に報われるべきは、日々汗を流して働く創価学会末端信者ではないか。
大人ならそういう本当のことは言わないが、
独創的な池田大作はあたかも子どものように「王さまは裸だ」と言ってしまう。
以下は1990年10月16日に行われた池田の宗門批判スピーチだ。

「ぜんぜん、[坊主の]また難しい教義、聞いたってわかんないんだよ。
ドイツ語聞いてるみたいにね。
それで『おれ偉いんだ。お前ども、信者ども、信者、信者』って、
そんなものはありませんよ、この時代に。
時代とともにやればいい、学会は」(P66)

「七百年間、[日蓮宗は]折伏[しゃくぶく/勧誘]がそんなにできなかったんです。
[宗門は]よーく知ってらっしゃるんです。
今はもう当たり前と思ってね、いばっている人がいる。とんでもない」(P67)


わたしはこの池田大作の言葉を「正しい」と思う。
坊さんの法話は一度だけ聞いたことがあるけれど、意味がわからないのである。
坊主のやっているブログを読むこともあるが、偽善的でうんざりすることが多い。
とにかく坊主どもが偉そうなのには本当に嫌気が差す。
坊主の子どもに生まれたものが坊主になって専門語を覚えて偉ぶる。
そんな世界は最低だろう。冗談じゃない、ふざけんなって話だ。
日蓮関係の伝統宗教だってそうで、どこの坊さんがそんなに教えを広めたかよ。
正義とは多数派のことなら、あれだけ信者を集めた学会は「偉い」のである。
その学会のおかげでナマクラに生きている坊主がおいしい思いをするのはおかしい。
池田大作の「正しい」このスーパー本音発言は大きなトラブルの原因になった。
池田SGI会長は大人なら言ってはいけないことをぶちまけたのである。
一か八かの賭けをした。言ったらどうなるかわからない本当のことを言った。
世間的な見解では、結局宗門(日蓮正宗)が勝つという意見が圧倒的だったそうだ。
まさか伝統ある古株のお坊さんたちに逆らったら池田大作も負ける。
庶民なんてバカばかりだから、袈裟(けさ)を着た坊主の権威に転ぶだろう。
しかし、歴史はどうなったか。池田大作創価学会は勝利したのである。
古株ゆえに偉ぶっていたクソ坊主たちに池田大作創価学会は一矢を報いた。
かねてより池田はこう発言していたという。

「おれはマルチィン・ルターになる。日本では宗教改革の歴史はなかった。
今、それをやるのだ。坊主とケンカするのだ。もしものときでも、
大聖人の仏法をかかげて、外から宗門を攻めていくのだ」(P83)


坊主の葬式利権って、心の底からむかむか致しませんか?
坊主が偉いのって坊主の子どもとして生まれてきたからって理由だけでしょ?
わたしが坊主になろうと思ったところで、
血縁のコネがないから何十年修行しても無給で廊下を拭いている下っ端。
いっぽう高僧の息子として生まれたら、人生おいしくてよだれたんまりよ。
毎日美酒美食でメカケの数人は囲ってジムにも通い健康で、
たまに偉そうな顔をして目下のものに意味不明の説法をすれば尊敬してもらえる。
天皇家よりも偉いのが伝統仏教の高僧坊主たちではないか。
天皇家はご苦労もあるだろうが、坊主たちはいったいなにをしてるのか。

いま時給850円の職場で、先輩にいびられ、
ときに怖い人から胸倉をつかまれ罵声を浴びせられながら、
日本語の通じない外国人の気のいい若者諸君と
気温30度を超えるなか底辺肉体労働をしていると、資本主義の限界に気づく。
かといって、むかしならともかく、いまは社会主義の正体は判明している。
結局、資本主義と社会主義を超える「第三の道」が求められている。
創価学会系雑誌に「第三文明」というものがあるが、本書で第三文明の由来を知る。
池田SGI会長はなにを求めて第三文明に思いを致したのか。

「学会は資本主義でもなければ――資本主義でないということはないが――
自民党思想でも社会党思想でもない。いま必要なのは第三文明です。
……全人類が根底から要求しているところの〝新社会主義”こそ、
王仏冥合(おうぶつみょうごう)の思想であろうと、
わたくしは信ずるんでございます」(P115/「聖教新聞」掲載の公式発言の模様)


資本主義と社会主義を超えるものがあるのかというのは、
まことに稚拙ながらいまごろになってオッサンのわたしが考え始めたことである。
池田大作は60年近くもまえにおなじことを考えていたのか。
本書は一見(いやいやどこから見ても)くだらない他宗批判本に思えるだろう。
しかし、浅学非才(とか書くとへりくだったクソ坊主っぽいよねえ)の
わたしにはかなり鋭いところ突いているように思われた。
おそらく本書の執筆陣は、元学会員で、それもかなりの立場にいたのであろう。
無宗教のわたしがまるで創価学会擁護のような記事を書いてしまった。
本書には、さすがライバルの幸福の科学だけのことはあり、
かなり強烈な(ふむふむと納得する)創価学会批判が書かれている。
幸福の科学による創価学会批判書からの再掲らしい。
秀逸なので孫引きさせていただく。

「創価学会は、欲求不満を闘争心におきかえるという、
もっとも端的な方法をうち出した。
会員は入会まではおとなしい、内気な、
それゆえに一そう劣等感になやんでいたような人が多い。
ところがひとたびシャクブク[勧誘]にあって潜在意識に大きな変化がおこると、
モヤモヤした感情が闘争心にかわり、
全身に勇気がみなぎってくる。
だから義務である他のシャクブクを、喜んで自発的に行なうようになる。
つまり相手をやりこめて自分の闘志をもえたたせ、
精神的暴力を楽しむことによって、直ちに欲求不満を解決するのである」(P40)


わたしは幸福の科学も「正しい」し、創価学会も「正しい」と思う。
幸福の科学の人たちも創価学会員も、
わたしなぞよりはるかに親切で人の気持がわかるいわゆる善人さんでいらっしゃると思う。
どっちがよりよい団体かはわからないが、
少なくとも両教団ともわたしよりは「正しい」のだから、それでいいのではないか。
人からやさしくしてもらったのはけっこう覚えているのだが、
あの人はもしかしたら創価学会員だったのかもしれない。
幸福の科学の人だったのかもしれない。
仏教を孤独にひとり学んでいるものとしては、宗教っていいよなあと思う。
自分たちを「正しい」と標榜(ひょうぼう)しない宗教があればどれほどいいことか。
そういえば、ひとりいた。
おのれを「正しい」とせず、ただみなのものよ「踊れ」と主張した一遍上人である。

COMMENT

東方不敗 URL @
07/19 11:19
我、日本の柱とならん. 人生問答〈上〉 (聖教文庫) 文庫 – 1997/11
松下 幸之助 (著), 池田 大作 (著)

経営の神様との夢の対談本です。オススメです!
いやぁ、素晴らしかったです。驚きました。
日本に哲学者などいないと思っておりましたが、実はいたのです。この本を読んで池田先生と松下先生が哲学者だとわかりました。(ルネサンス的万能人なので哲学者とか当てはまらない)

宇宙論から科学、政治などを自由自在に説き語り、柔軟な精神をもって「真理」へと向かう碩学の思考は、まさに末法の世に咲いた蓮の花のようです。

>資本主義と社会主義を超える「第三の道」が求められている。
和をもって貴しとなす!
威風堂々と行きましょう!








 

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