「真剣師 小池重明」

「真剣師 小池重明」(団鬼六/幻冬舎アウトロー文庫)

→真剣師(賭け将棋)として名を馳せた小池重明をモデルにした小説である。
作者の団鬼六は、晩年の小池重明と交流があったらしい。
とにかくおもしろい小説で、久しぶりにこれほどのものを読んだという気がする。
ルポやノンフィクションではなく、これは小説だからおもしろいのである。
ところどころ嘘ではないかと思ったところがあるけれど、そこがおもしろいのである。
私小説をふくめてモデル小説というのは2タイプに分かれるのではないか。
モデルを実際よりも悪く書くものと、モデルを実在する人物より大きく書くものだ。
「真剣師 小池重明」はむろんのこと後者のモデル小説である。
さすがに人間・小池重明は、
この小説に書かれているほど破天荒ではなかった気がする。
ドキュメンタリー映画の「ゆきゆきて、神軍」とおなじである。
あのドキュメンタリーのモデルはちょっとあたまのおかしな変人程度なのである。
しかし、映画監督がモデルを実際よりも大きな人間のように劇化して描いているのだ。
とはいえ、「ゆきゆきて、神軍」も「真剣師 小池重明」もまずモデルありきである。
小説ほどではなかったのだろうが、
実物の小池英明もそうとうはた迷惑な破滅型の人間だったのだと思う。
生活上は破滅型で型破りで問題行動ばかり起こしたが、将棋だけは強かった。
小池重明はどのような将棋を指したのか。
対局したことのある団鬼六はこう書いている。

「小池の将棋はこれまでプロの指導を受けていた私の目から見れば型破りで、
筋の悪さだけが目立つような妙な将棋であった。(……)
こんな悪筋な将棋に負けるはずがないと追いこんで行くと終盤まぢかにきて一発、
逆転のパンチを喰わされる。
それを恐れて慎重の上にも慎重を重ねて行くと、
嵩(かさ)にかかって猛攻してくるといったもので
相手の心理を透視する術(すべ)を心得ているのではないかと思われた」(P239)


小池重明がなにゆえ44歳で破滅人生を終えたかといえば、
それはギャンブル(賭け将棋のみならず競馬やサイコロ賭博も愛した)、
女(人妻との駆け落ち歴3回)、酒(酔っぱらって対局に来ることもあった)、
この3つが原因となろう。ひとつに要約したら金である。
小池重明は金銭への執着が人一倍強かった。
しかし、まじめに働かず楽をして大金を得ようとした。
なぜ金があるといいのかといえば、きれいなおねえちゃんといいことできるからである。
なぜ金があるといいのかといえば、いい店でうまい酒が飲めるからである。
種銭がなければ、ギャンブルひとつすることができない。
そして、ギャンブルをしたらはした金が大金になるのである。
こんな楽しいことがあろうか。
本書を読んで小池重明の人間味のようなものに惚れ惚れとした。
もっと金と女への執着を強めなければ駄目だと自分を叱咤したくらいである。
さんざん人生で好きなことをしてスッカラカンになった小池だが、
それでもこの伝説の真剣師には団鬼六という師匠がいたのである。
晩年の落ちぶれた小池は涙声で団鬼六のもとに電話をしてきたという。
あきらかに酔い泣きしている。そして、なんと言ったか。
おそらく小池重明は団鬼六にもだいぶ不義理を働いたことだろう。
それなのになぜ電話をかけてきたか。

「淋しくて、淋しくてたまらなかったんです、僕は。
それを先生に助けていただいた。友もなし、女もなし、金もなし。
それはまあ、我慢できるとしても、
将棋まで指せないこの孤独には耐えられなかった」(P274)


わたしが小池重明のどこに惹かれるかといったら、その強烈な孤独感である。
おそらく団鬼六も小池重明がかもしだす孤独に魅せられたのだろう。
ふたりの人間が命の次に大事な金を賭けて真剣勝負をしたら、
勝つのはより孤独なほうである。
しかし、人は勝つことで孤独になっていく。勝利は孤独を深める。
それでも小池重明は勝とうとした。孤独になろうとした。
そして、44歳で生活保護を受けながら田舎の汚い病院で孤独に死んだ。
自分でチューブ管を引きちぎったというから、あるいは自殺だったのかもしれない。

COMMENT

- URL @
07/18 22:57
管理人のみ閲覧できます. このコメントは管理人のみ閲覧できます








 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/4209-22180d9e