踏み越えるブログ

ドキュメンタリー映画監督の原一男先生の本に「踏み越えるキャメラ」がある。
自分はドキュメンタリーを撮るためにキャメラを武器に他者とかかわっていくという宣言だ。
むかしだいぶ影響を受けたことがある。
ブログはセルフである。わたしがやっているようなセルフブログはおもしろい。
なんの権威もないしろうとの社会批評ブログとかつまらんでしょ?
ブログは日記文学、私小説、セルフドキュメンタリーのおもしろさを
正統的に受け継いでいるのである。
匿名で家族や職場仲間のことを書いたって、
そんなものはどこにでもある世界なわけだからつまらない。
山田太一信者のあいどんが匿名でも実名でも発言内容の意味は変わらないと
うそぶいていたけれど、そんなことは絶対ないわけで。
いつかあいどんの実名を知りえて公開したら、
あの人はネット世界に発表したほとんどの駄文を削除するのではないかと思う。
セルフである。セルフ(実名)ブログである。ハンドルネームではなく、実名世界である。
実名で自分の思ったことを世界に向けて書いてみたらどうなるか?
書かれたほうはたまらないと思う。
人を書くというのは、ほぼ人を傷つけると同義(おなじ意味)である。
それでもなぜやるのかという理由がどこにあるのか。
やっぱりつまらないというのがあるねえ。現実って本当につまらないじゃない。
個人が世界になしうることはほとんどない。人間は無力だ。
しかし、セルフ実名ブログを書いたらどうなるか。
世界がわずかでもおもしろくなるのである。
そんなことやっていいいのかという倫理性はわからない。
けれど、わたしがブログを書いていることで傷ついた人が多数いるいっぽうで、
本当に生き生きとした解放された笑顔を見せる人もいるわけだから。
金曜日に職場で小さな事件のようなことが起こったけれど、
そのとき元バイトリーダーのMさんや現リーダーのNさんが、
どちらもわたしよりはるかに年下の若者だが、じつにいい笑顔をしていた。
目が笑っていたというか、身体全体でわたしに笑いかけていた。
どうしておまえはそんなことができるのかっていう話だが、
なにか起こってもなにをされても、怒鳴られても脅迫されても、
それをブログに書いてしまえばいいわけだから。
職場である権力上とても偉い老人男性パートさんから、
今度おれに逆らったらオリコンであたまを二回ぶったたくぞ(どうして二回なの?)
と言われたが、いいなあと思った。
人からオリコンで殴られたらどんな気持がするんだろう。
こう思えるのは、わたしが長年ブログを書いていて、少数ながら読者がいるからである。
危ないところにもブログ(書く行為)があるから飛び込んでいける。
もちろん、職場が大きな意味でやさしい寛容性、多様性を持っていることもあるだろう。
みんなに助けられてこのブログを書いているのである。
みんなで演じてみんなで楽しもう。現実をわずかでもドラマチックにしよう。
喧嘩のようなものをしよう。恋のようなものをしよう。生き生きしよう。
月曜日に会社に行くのが怖くてたまらないが、
きっと行ってしまうのはブログがあるからなのである。
なにが起こってもいい。それを書いてやる。
わたしが生き生きしたい。あの人に生き生きしてもらいたい。
みんなつまらない人生にあきあきしているわけでしょう。
あの人に笑ってもらいたい。あの人の笑顔が見たい。
あの人を変えたい。わたしが変わりたい。

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07/12 00:39
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