師匠はいた

釈迦は師匠がいないのに悟ったから(無師独悟)、
師匠なんて必要ないのかもしれない。
いっときは芥川賞選考委員の宮本輝先生や
朝日賞作家の山田太一先生こそわが師匠と思ったこともあった。
しかし、師匠の師匠や、師匠の弟子たちを見ると、なんだかなあ、という気がして。
わたしは師匠や先生なぞという偉そうなやつらは大嫌いである。
だが、最近ある人との会話で気づいた。
わたしの師匠はやはりいたのである。
むかしは映画監督をしていて、いまは大学教授におさまったH先生である。
師匠の悪口はさすがに弟子としては書きにくいのでイニシャルでお許しください。
「もっと過激に、もっと自由に」がH先生の教えであった。
いまわたしがしていることはH先生の教えそのままだったのである。
友人からはHさんよりも自由で過激ではないかと言われた。
むかしはH先生と逢うとき、怖くてたまらなかった。
いまはH先生と逢いたいとも思わないし、
逢っても「大学の教授先生がねえ(笑)」と逆に見下した態度を取るかもしれない。
いまのH先生に怒られてもまったく怖くない。反対に叱り飛ばしたいくらいなのだから。
すっかり体制派べったりでツイッターでお仲間となれあっている。
海外の映画祭に招待されたことを、過去の人のくせにものものしく自慢したり。
かつての師匠が発明したとされているのが、セルフ・ドキュメンタリーだ。
映画版の私小説である。自分を撮る。
先日ふと気になって元師匠の名前で検索してみた。
弟子の「ファザーレス」くんも「アヒルの子」さんもパッとしていなかった。
むしろ、それどころか、まったく正反対で、
「ファザーレス」作者も「アヒルの子」作者も
セルフ・ドキュメンタリーを撮ったことを後悔しているそうだ(YouTube動画より)。
おれもあたしも人気者になって大学教授になれると思っていたのだろうか?
彼女の実家はお金持でかわいいんだから、セルフなんか撮らなきゃよかったのに。
お兄さんから性的虐待をされたとかいう物語を無理やりつくりあげて不幸ぶって。
小説ならなにを書いてもいいが、映画は当人の顔を映してしまうのである。
ご家族、とくにお兄さんの気持を考えるといたたまれない。
「アヒルの子」作者とかいまH先生を殺したいほど憎んでいるのではないか。
あんな恥ずかしいものを世間さまに公開することになったわけだから。
結局、弟子はうまみがないのである。師匠になったほうがよほどおいしい。
師匠ほどうまみのあるポジションはない。
もしかしたらわたしがもっともすぐれたH先生の弟子なのかもしれない。
セルフ・ドキュメンタリーなんか絶対に撮ろうとはしなかったからである。
弟子が師匠を超えるとしたら、それは師匠に逆らったときでないか。
師匠の致命的な裏話を知っているが、あれは墓場まで持っていく。

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