飛び火

ネットはなにを書いてもいい。よくも悪くも(悪いよネ!)言論規制がない。
このため、楽しいこと(迷惑なこと)も起きうる。
わたしがブログになにかを書くでしょう。
その記事に影響を受けたべつの人がブログやツイッターでなにかを書く。
さらにそれに影響を受けた人が思ってもいなかったことをしてしまう。
そういうことが世界的規模で起こっているわけである。
自分の書いたことがぐるりと一周まわって返ってくることもあるだろう。
じつは世界というのは見えない網でおおわれている。
あなたのひとりごとや目配せが本当は世界を変えている。
権威づけに利用するとこれは大乗仏典の華厳経に書かれていることなのだが、
まさしくインターネットは華厳経の世界をまざまざと体現している。
だって、いまの職場でだれかがわたしに笑いかけてくれるとするでしょう?
それに影響を受けたわたしがブログ記事を書くわけだ。
それを読んだだれかもかならず影響を受けてなにかのアクションをするわけだから。
職場でだれかから大声で怒鳴られたというわが経験も世界全体に波及する。
それはかならずしもマイナスではなく、プラスかもしれない。
人間関係は好かれたら好く、嫌われたら嫌うという、それほど単純なものではない。
好かれたら嫌う、嫌われたら好く、ということもけっこう起こっているのではないか。
いままで好かれていた人にこちらから好きだと言ったら逆に無視されちゃうというか。
これまで嫌っていた人から胸倉をつかまれ怒号を浴びせられたら、
反対にその人に興味が出てきちゃうというか。
あいさつをする関係よりもあいさつができない関係のほうが深いこともあるわけでしょう。
たとえば、職場でコンドーさんは3人いるから、
そのうちだれかはわからないと期待して書く。
わたしはコンドーさんのことが好きである。
むかし「おれに話しかけてくんな」と言われたから、
それ以降はあいさつもしないようにしている。
でも、ぜったいコンドーさんはわたしのことを嫌いじゃないもの。
あいさつはしないけれども、どこかで心の会話をしているような気がする。
表面上のあいさつをしあう関係よりよほど深い関係があるのかもしれない。
そういうものは求めてもめったに得られないものだろう。
しかし、得がたいものこそほしいと思うのが人間である。
あいさつをするよりあえてあいさつをしないほうが勇気があるのかもしれない。
わたしはヘナチョコだから、みんなにヘラヘラあいさつしちゃうけれど。
このブログ記事に書いたのは、もしかしたら新しい考え方かもしれない。
どこかに飛び火しないなかあ。

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07/12 01:53
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