ネット新時代

無力ではないのかもしれない。
大衆や庶民はいち個人として無力ではないのかもしれない。
おおむかしは貧農がなにを思おうが政(まつりごと)には影響しなかったわけでしょう?
むかしは新聞や雑誌の投稿欄が大衆の声を代弁していたと信じられていた。
ちょっとむかしはテレビが大衆の声を拾っているという共同幻想があった。
でもさ、むかしから新聞もテレビも情報規制はあったわけである。
底辺の人間の声をなまのままそのままおおやけにするメディアは皆無だった。
さて、いまインターネットという化け物がどんどん勢いを増している。
法整備もままならぬままにスーパーフリーなカオス世界が展開している。
これは一部古株権力者にとってはゆゆしき事態だろう。おまえら調子に乗んなって話だ。
とはいえ、底辺にとっていまは革命的な移行期ではないか。
うちのブログのアクセス数など微々たるものである。
ほとんどだれにも読まれていないという意味では便所の落書き以下といってよい。
しかしながら少数の読者さまがいらっしゃる。
万が一にも上のほうの権力者さまがわたしの考えをお読みくださり影響を受けたら、
彼の権力によって世界は少し底辺向けのものに変わるかもしれないのである。
ドラマ脚本家などのフィクション作家は物語をつくるときに取材をすることもあるという。
取材しない人もいるそうだが、そっちこそ「正しい」かもしれず、
いくら報酬をもらおうが取材対象の庶民は作家先生に本音などそうそう話さないのである。
ところがインターネットには虚実ないまぜの本音にあふれている。
うちのブログはアクセス数こそ少ないが、
けっこう見識のある「上の人」たちから読まれているような気がするのである。

わたしの病的妄想だろうが、
いまの職場で自分たちの声を上のほうへ届けたいために
生意気な後輩である当方へいろいろ教えてくださる先輩がいる。
いまこのブログを書いているのはわたしではなく、
時給850円の職場仲間(社員さんもふくめて)全員のような気がするのはこのためである。
影響力の強いブログと言われたことが何度かある。
底辺は無力のように思われがちだが、無力ではないのかもしれない。
ほんの少しなら世界を変えられるような力を持っているのかもしれない。
もちろん、変わるのがいいことがどうかはわからない。
既得権益をお持ちのかたにはただただ不愉快なことに違いない。
新しい実験をしているという壮大な錯覚がなくもない。
なんだかんだ言って、このブログを読んでいるのはみなさま楽しいからでしょ?
――なんでもおもしろがっちゃおう。笑っちゃおう。泣いちゃおう。
それが生きるってことかもしれないのだから。

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07/11 22:58
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