「容疑者ケインズ」

「容疑者ケインズ」(小島寛之/ピンポイント選書/プレジデント社)

→ネットでの評判はよくないので、あえてだからこのため買ってみたら、
案の定とてもおもしろい本だった。
大衆が感情的に嫌うような本はおもしろいことが書いてあることが多い。
一般読者向けの経済エッセイである。
ケインズはどういう人かというと――。
むかしは市場は放っておけばいいと言われていたわけ。
どうしてかというと需要と供給が自然のバランスを取ってうまく行くから。
たとえば、外国人の若者などが入ってきたため労働者が余っていたら(供給過剰)、
雇用主は労働者を安く買いたたくことが可能になる(需要調整)。
しかし、これではうまく経済市場が活性化しないと言いだしたのがケインズ。
ケインズは国家が主導的に市場を管理したほうがいいという主張をした。
典型が公共事業である。
ときおり近所の荒川土手など意味不明な工事をしているが、あれである。
あれをやれば失業者に金が渡り彼らは消費するから市場はよくなるという考え。
ケインズは一時期、神聖視されるくらい影響力が強かったけれど、
いまでは経済学の世界では名を出したら恥ずかしいような存在になっているという。
ケインズの説は間違っていたのではないかという意見がいまは一般的らしい。
たとえば、こういう批判があり、それは無駄な荒川工事なんかするより、
税収からそのまま特殊な失業保険として与えたほうがましではないか。
ケインズ先生の嘘がばれかかっているが、しかし著者はケインズを再発見する。
ケインズの論理はたしかにずれているところもあるけれど、
発想はとてもすばらしく、
そこから我われはまだ学ぶべきことが山とあるのではないか。
この経済エッセイの骨子である。

以下、本書を読んでおもしろかったところを引用をまじえ逐次紹介する。
みんななにゆえお金をああも欲しがるのか。金の価値とはなにか?
我われは日常生活で「不可知性」を抱えて暮らしているからである。
明日なにが起こるかわからない。明日、子どもが病気になるかもしれない。
こういう「不可知性(まあ不安と言っていいだろう)」への対応策は
お金がかなり有効である。
ということは、本書には書いていないが、
将来への不安が強い人ほど金を貯めこむ傾向にあるのかもしれない。
金は流動性が高いのでよい。金はなんとでも交換できるということだ。
働くということは、おのれの労働力を金と交換するということになる。
金は腐らないのもいい。野菜や情報は古くなると使えないが、金は腐らない。
そのうえ金は決断の留保にも使える。
もっといいスマホができたら買おうというように金によって決断を遅らすことができる。

ケインズと同時代を生きたナイトという人がおもしろいことを言っている。
金融市場や経済活動は、確率が計算できない世界ではないか。

「ナイトは、一九二一年に刊行された博士論文の中で、
経済環境には通常の確率論や統計学は使えない、ということをいいだした。
通常の確率論や統計学が通用するのは、
なんらかの類似性のある現象が反復的に安定的に観測されるような環境である。
病気の罹患率や死亡率は、大量のサンプルがあれば、
ある種の安定性が見られるから、保険という業務が成立する。
大量の部品を工場生産する場合には、不良品の率はかなり安定的であるから、
統計学の技法によって、製品の品質を高度に保つことが可能になる。
しかし、こういう事例は非常に限られたものでしかない。
多くの経済活動は、同一の環境で反復的に行われる、などということは全くない。
置かれた環境は常に変動し、同じ設定が繰り返されることなどありえない。
したがって、通常の確率理論や統計学は出る幕がない。
このような環境をナイトは、真の意味での「不確実性」と呼んだ。
そして、通常の確率を使うことのできる環境を「リスク」と呼んで、
それ[不確実性]と区別したのである」(P75)


確率の読めない不確実性ほど人間の恐れるものはないという。
べつの経済学者がこういう実験をしたという。
ツボAにもツボBにも100個のボールが入っている。
あなたはどちらかのツボを選び、赤か黒か予想して金を賭ける。
当たればたとえば10ドルもらえる。
ツボAには赤が50、黒が50入っていることがわかっている。
いっぽうでツボBには赤と黒がどのような比率で入っているのかわからない(不確実性)。
このとき多くの人が(確率のわかった)ツボAでギャンブルをするのを好むという。
これは著書に書いてあることではなくわたしの考えだが、
ツボAを選ぶと大損もしない代わりに大儲けもできないような気がする。
わたしだったら不確実性の強いツボBをあえて選んでギャンブルしたいところである。
さて、大半の人は不確実性に直面すると最悪の事態を予想するらしい。
確率がわからない局面に遭遇すると最悪のシナリオを考え対策を取るようになる。
これを専門用語でマックスミン戦略という。
みなさまにはどうでもいい個人的な思いを繰り返すと、
わたしにとっては確率のわからない不確実性ほどおもしろいものはない。
そして、あんがい確率のわかっているようなものも、それはじつのところインチキで、
この世は不確実性に囲まれているのではないかという希望を持っている。
多くの人にとっては不確実性は恐怖で絶望だろうが、
どうしてかわたしにとっては不確実性はサプライズのような希望である。

著者はバブルのうまい説明をしていた。
バブルとは実体的な価値よりもはるかにそのものの価値が上がってしまうことである。
これを著者は金持の家から出てきた金庫を具体例として説明していた。
さあ、大金持の家から金庫が見つかった。しかし、開かない。
この金庫には1千万円入っているという予想が一般的だった。
しかし、銀行預金が判明し、金庫のなかには2千万入っていると言いだす人も出る。
するとこの金庫が1千5百万で売買されるようになる。
すると1千7百万で金庫を買うというものが現われる。
金庫のなかに入っているのが実体的な価値ということになる。
この説明はとてもうまいが、
わたしはものに実体的な価値などないのではないかと疑っている。
金庫の鍵は永遠に見つからないのではないか。
金庫のなかにいくら入っているかは未来永劫にわからないのではないか。
たとえば、いまのカップラーメンを江戸時代に持っていったら、
こんな美味はないと小判と取り換えてくれるかもしれないわけでしょ?
反対に鎌倉時代のなんでもない食器を現代に持ってきたらどれほどの価値がつくか。
わたしは著者とは異なり、ものに実体的な価値があるのか疑問に思っている。
もっと言ってしまえば、この世のすべてはバブルではないかとさえ思っている。
仏教の空(くう)を独学したから、こんなおかしなことを思うようになったのかもしれない。

株価の仕組みはどうなっているのかを説明するおもしろい文章があった。
天才投機家のジョージ・ロスは以下のように言っているという。
要約したら、株価というものは未来が現在を決めているということ。
内容補足しながら孫引きさせていただく。

「問題になるのは[現在ではなく]将来のファンダメンタルズ[経済状況]である。
株価が反映しているはずのファンダメンタルズは前年度の収益、
バランスシートおよび配当ではなく、
収益、配当および資産価格の将来の動向である。
この将来の動向は所与のもの[いまの価値]ではない。
したがってそれは知識の対象ではなく、推測の対象である。
重要な点は将来のことがらはそれが起きる時点では、
その前に行われた推測によって影響を受けてしまっているということである。
その推測は株価に表れ、
そして株価はファンダメンタルズに影響を与えることができる」(P98)


ものすごくおもしろいことが書かれているような気がするのである。
各自のご解釈にゆだねます。さて駆け足でいく。
ケインズは株式投資を美人投票にたとえたという。
たとえば大衆紙で百人の美人を掲載して美人コンテストをするとする。
読者たちは6人を選んで投票することができる。
そして、上位6人を当てたものには莫大な懸賞金が出るという。
このようなとき、人は自分が美人だと思う人に投票しない。
では、どうするかというと、みんながだれを美人と思うかを予測にかかるのである。
自分の「好き(美人観)」よりもみんなの「好き(美人観)」を優先してしまう。
株式投資もこれとおなじで、本当にいい銘柄を自分で調査して買わなくなる。
みんなが買いそうな銘柄の株を予想して買うようになる。
みんなに好かれそうなもの(株式)を実体を調査せずに買うようになるのである。
著者は書いているのかいないのかわからないが、
みんなのことなど考えず本当に自分が美人だと思う人に賭けたら、
ときになにかおもしろいことが起こるような気もする。

経済学者のケインズが学位を取った博士論文は、数学の確率についてのものだった。
それをわたしの言葉で要約してみたら(著者の解説も読んだうえで)、
確率とは客観的に存在するものではなく、
ひたすら主観的なものではないか、ということ。
これはべつの学者に批判され、ケインズも誤りを認めたという。
しかし、その批判した学者もケインズのこの発想は非常に高く評価していたという。

「確率は個人の内面にある主観であり、それは行動結果として表出する」(P129)

COMMENT

膣屋ケンジ URL @
04/02 16:30
. >天才投機家のジョージ・ロスは

ジョージ・ソロスですね。








 

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