「パパ帰る’96」

単発の山田太一ドラマ「パパ帰る’96」を違法動画サイトにて視聴する。
画質は最悪だったし広告がひんぱんに出てくるので、
ジェイコム馴れした目にはきつかったがドラマ自体はおもしろかった。
とても実験的なドラマで、
96年でも山田太一のネームバリューがあればここまでやりたいようにできるのかと驚く。
手品が好きだったパパが3年半ぶりに帰ってるという設定だ。
映像がどこか非現実的で幻想的な色合いで、
これは本当のところパパは死んでいるのではないかという疑いを
ドラマ中盤まで捨て切れなかった。
妻、娘、息子、家のローンを残して3年半まえにパパはいなくなった。
けっこういい会社に勤めていて出世コースにも乗っていたにもかかわらず、である。
最後の連絡は電報だった。「スマナイ。ジョウハツスル」
蒸発して3年半ぶりに帰ってきた手品好きのパパを演じるのは風間杜夫。
これもまた風間杜夫でなければ断じてこなしきれない役であろう。

あたかも大成功したかのような風体の風間杜夫がおもしろいのである。
蒸発したのを詫びるどころか、
静粛な図書館で陽気に人の迷惑も考えずタンゴを踊るのである。
息子の堂本光一が図書館でパパから逃げようとしたら、
タンゴを踊るぞと風間杜夫は言う。
まさか踊らないと息子が思っていたらパパは本当に大声を出して踊ってしまうのである。
図書館員から注意されるが、ちっとも気に留めていない。
それどころか、こんなことまで言う。タンゴを踊ってよかったんじゃないか。
今日図書館にいたやつらは、家で変やつがいたって話すんじゃないか。
だったら、タンゴを踊ってよかった。そうだろう?
なんにもないよりはおもしろかったに決まっている。
一見、成功者ふうに見える風間杜夫は息子の堂本光一に言う。
おれが蒸発して、そんなに悪いばかりか?
なにもない人生に語るべきものが生まれたんじゃないか。
おれが蒸発しなかったら、おまえはどこにでもいるふつうの高校生だった。
それがいまではどうだ? 
塾にも行かずに(学費の安い)国立大学を目指してがんばって勉強している。
専業主婦だったママだってそう。
ママはいま下着メーカーのトップセールスレディーになっている。
おれが蒸発したから、ママの新しい才能が目覚めたとも言えるのではないか。
娘の鶴田真由だってそうとも言えないか。
むかしは部屋の掃除もしなかったのに、
いまではきちんと就職しながら家事までして家に6万も入れているそうじゃないか。

なんにもなくて毎日平穏に過ごせればそれでいいのか?
苦労や不幸ってもんは、なけりゃいいってもんじゃない。
苦労や不幸ってもんは、なけりゃ幸せってもんじゃない。
パパが蒸発していいことばっかじゃないか。完全に開き直っている風間杜夫である。
風間杜夫パパはある日、満員の通勤電車に乗っていて蒸発することを決めた。
はたとまざまざと気がついてしまったのである。好きなことをまったくしていない。
取り引き先の部長のいつも人を見下したような顔は本当にいやだ。
自分をひいきにしてくれているという重役のことだって本当に自分は好きなのか。
言うことを聞かない部下のどいつをおれは好きだと言うんだ。
したくないことばかりしている。
仕事は好きな振りをしているが、好きだと思っているが、本当に本当に好きなのか。
今日会社に行けば会議があるだろう。しかし、おれがいなくても会社はまわる。
どうして好きなことをできないのか――家族がいるからである。
会社はおれがいなくてもなんとかなるだろうが、家族はどうなるかわからない。
蒸発したパパが三年半ぶりに戻ってみたら、家族もなんとかなっていたのである。

「お金どのくらいあるんだろう」と娘の鶴田真由が家族会議でつぶやく。
なぜかといえばシャネルのスカーフをプレゼントしてくれたからだ。
高そうな車にも乗っていた。
パパに捨てられていちばん苦労したママの最大関心事もまたお金である。
金がなければ生活できないのだから、これは当たり前である。
本当はどうなっているのか? パパは金持なのかどうか?
本当のことがばれてしまう。
風間杜夫は成功者でも金持でもなんでもなく、
師匠から見切りをつけられ追い出された素寒貧のロクデナシだった。
3年半師匠のもとで修行しても手品の才能は開けなかった。
好きなことをしろと成功者はよく言うが、
風間杜夫は家族や会社を捨てて好きな手品に没頭したがものにならなかった。
成功したパパなら家に戻ってくる場所があったのだろう。
パパが失敗したとばれるとママは風間杜夫を家から追い出す。
パパがいなくなってマンションのローンをどれほど苦労して払ったか。
302万4千円の貯金で一家これからどうしようかみんなどれほど困ったか。
息子の堂本光一は正論を言う。
「まるでお金があればよくて、なければダメみたいだ」
ママはこれに対してこう答える。
「そうよ。お金は大事でしょ」

じつのところパパが蒸発していいことばかりでもなかった。
ストレスから娘の鶴田真由は病的な万引き依存症になってしまった。
どうしてか失敗したパパのもとに娘や息子が寄りつくのである。
貧相な友人の四畳半に居候するみじめな風間杜夫であるにもかかわらず。
そんな風間杜夫を励まそうとゴロツキの仲間がカラオケに誘ってくれる。
どこから見てもホームレスのような人たちだが、みんなよさそうな人で、
むかしエリートサラリーマンだったパパにこんな仲間がいて、
パパもこんな楽しそうに歌っている。
エリート予備軍だった堂本光一は新たな世界を知ったような気分になる。
稼がないパパはいけないのだろうか?
ママが稼いでいればそれはそれでいいのではないか?
「私があなたを養ってあげる。でも、もう手品はしちゃダメ」
ママからそんなことを言われ、「パパ帰る」は成功するかに思われる。
しかし、祖父の提案で最後にもう一度、風間杜夫に手品をしてもらおうという話になる。
大晦日に三年半の修業の成果をみんなのまえで披露してもらおうじゃないか。
川岸で風間杜夫は大仕掛けの手品をしようとするがうまくいかなかった。
このとき「失敗してもいい。パパだからいい」
と失敗した風間杜夫に家族が駆け寄るのは印象的なシーンだった。

お正月にもう一度チャレンジしたらどうかという話になる。
このままではあんまりじゃないか。
正月の川岸における手品は見事に成功して、風間杜夫は川の中州へ瞬間移動する。
最初の話に戻るが、これはどうしても風間杜夫の死をイメージしてしまう。
家族のために残業を繰り返した会社員が電車のホームから線路に飛び込むような
痛ましい事件がある。
自死遺族はみんな死ぬくらいだったら、会社を辞めて好きなことをしてくれていたら、
と思うことだろう。いや、きっと思うはずである。
しかし、実際にその自殺者が家族や会社を捨てていたとしたら、
家族や社会は彼を厳しい口調で断罪するのである。
遺族は死ぬくらいだったらと死後に言うだろうが、
本当に死の直前まで行ったお父さんが
家族を捨てて好きなことを始めたら非難するのである。
世のお父さんって辛い立場だよなあ。
わたしはあるとき、遺族が思うであろう「死ぬくらいだったら」を逆手にとって、
人生好きなことばかりしてやるぞと決意していまにいたっている。
死ぬくらいだったら、社会的信用など投げ捨てて好きなように遊んでしまえ。
しかし、毎日家族のために一生懸命働いている多数派のパパは立派である。
どちらの考えが「正しい」とも作者は言っておらず、
それは視聴者自身がそれぞれに考えればいいと我われに任せてくれている。

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