「母」

「母」(ゴーリキー作/グラゴーリン&リュビーモフ脚色構成/佐藤恭子訳/「現代世界演劇3詩的演劇」/白水社)

→いまはもう完全に忘れられたのがロシアの文豪ゴーリキーである。
この芝居はゴーリキーの長編小説「母」(とても長いらしい)を第三者が脚色、
および舞台化したもの。まだ社会主義が輝きを放っていた時代の作品である。
戯曲マニアの当方からしたら、あまりいいお芝居とは言えない。
しかし、胸を打つものがないわけでもなかった。
社会主義、共産主義を正当化する思想内容を持った、いわばプロパガンダ文学である。
プロレタリア演劇であり、プロパガンダ演劇。
そこに共感しちゃうってところがちょっとあった。
いろいろ追いつめられて差し迫って時給850円の底辺肉体労働者になったからだろう。
昨日はしんどい持ち場を振られたので、いまも腰、両肩、右ひじ、右手首が痛い。
底辺労働者はかくも身体的に苦しまなければならないのかということを
身をもって知っている(ええ、本当に知っているか?)のがこの記事の書き手である。
労働者ってなんで連帯しないのかって思う。
時給が安いとか仕事がきついとか不公平だとか不満を耳にすることがある。
だったら、みんなで連帯して上に抗議すればいいじゃないか。
我われパートがいっせいに働かなくなったら会社はつぶれるんだぞ。
これは本当にまったくの真実で、
みんなが意を決して仕事を放棄したらどこの会社も社会的信用を失い1日で終わりだ。
どうして底辺労働者って、みんなで連帯しないで、
その代わりに古株が威張って新人を威圧して、
そんなくだらないことで満足を得ているのだろう。
どうして労働者はお互いの悪口を言い合うだけで連帯して上に抗議しないのだろう。
わたしは左翼とか大嫌いだから(宣伝カーや宣伝マンが拡声器でうるさいから)、
そして連帯って群れることだし、群れるのは吐き気がするほどいやで、
まあいまさら左翼活動を賛美したり、そこに参加したりするつもりはまったくない。
基本的に自分さえよければいいんじゃね、っていうスタンスだし。
正しくは、そういうスタンスだったし。
しかし、いま「どん底」(ゴーリキー)の職場で底辺労働をしているうちに、
うっかり他人の気持になってしまい、
共産主義や社会主義の価値を遅ればせながら知ったとも言えるのかもしれない。
共産主義や社会主義はもう終わった思想である。
あんなものはあの世を頼む浄土信仰みたいなものだろう。
浄土(社会主義)が現実になったら逆に地獄になってしまうという。
いまわたしとおなじ職場で働いている人はスーパーラッキーとも言えなくもない。
社会主義と資本主義をどう乗り越えたらいいのかという最先端の実験場にいるのだから。
こういう実験ができるのは、インターネットが普及したせいである。
わたしは時給850円で働く底辺労働者だが、それでも本を読んで学ぶことを知っている。

「禁止された本を読んでいるんだよ。
おれたち労働者の生活の真実を書いた本なので発売禁止になった。
これはそっと秘密に印刷されてるんだよ。
この本がおれのところにあることが、もしばれたら、おれは牢屋にぶちこまれる。
ほんとうのことを知りたいと思ったために、牢屋にぶちこまれるんだ」(P294)


労働者というのはお互い搾取されている悲惨な身分なのにいがみあうのだ。
底辺労働世界でもどちらが上か下か、偉いか偉くないかで、変な抗争をしている。
おなじ底辺労働者がどうして仲良くできないのか。
なにゆえおなじ底辺を底辺が撃とうとするのか。
いまはもう忘れ去られた社会主義思想は人間愛に根っこがあったのだろう。

「おまえも人間、おれも人間。
おまえ、今日はそんな軍服着ているが、明日にも平服に戻るかもしれねえ。
仕事捜しがはじまる。食わなきゃならんからな。
仕事もねえ、食う物もねえ。
そんなとき、こんなにして、おまえを……撃ってもいいか?
腹すかした人間だからってんで、おまえを殺してもいいか!」(P332)


いま我われ労働者がやっていることである。
経営者は社員の血や汗を一滴でも多く低賃金で搾り取ろうとして、
社員は非正規雇用の奴隷パートをいかに酷使するかを日々考えていると言えなくもない。
そういう解釈もできるが、そうではないかもしれないし、そうなのかもしれない。
労働者というのはいったいなんなのだろう。
労働者同士で会話しているときは、上に逆らおうだの、連帯しようだのと言う。
しかし、一見群れているようでも、じつはちっとも仲のよくないのが労働者である。
労働者の流す汗や涙ほど尊いものはないのだ。
なぜなら、それがなかったら社会はまわらないのだから。
厳しい労働をさせられたら思考力を搾り取られ奴隷ロボットのようになる。
それでも上には逆らえないのが底辺労働者たちである。
さんざん自分たちの労働を誇り、
経営サイドの不満を言っていた使用人の群れは豹変するのである。
あれほど表面上は群れて労働者の権利を語っていたプロレタリアートも、
いざ社長がそばに来たら――。

「彼[社長]を見ると、あわてて帽子を脱いだり、おじぎをしたりする。
彼はそのおじぎに見向きもせず、歩いてくる。
群集しずまり、困惑し、狼狽(ろうばい)の笑顔を見せる。
小さな感嘆の声も上がる。
いたずらをしたあとで、困っている子供の後悔の調子がある」(P303)


このト書きがいちばんおもしろかった。
これは実体験だが、パート仲間で威張っている男女も(少数いるんですヨ!)
そばに社員が来たらペコペコご機嫌をうかがうのである(むろん、わたしもネ♪)。
パート先のいつもむすっとした不機嫌な顔をしている外国人女性もそう。
弱い立場だからそうしなければならないのはわかるが、
黄色い服(よく知らねえが偉いらしいぜ)を着た人が来るとすぐにニコニコしはじめる。
おなじパートたるわたしと接するときとまるで態度が異なる労働者がいる。
その社員さんだって、会社の上の人が来ると動揺してオロオロする。
きっとその上の人だって経営者のまえに立ったらオドオドするのだろう。
経営者(資本家)が最強かと言ったらいまはそうではなく、
マスコミに不正を嗅ぎつけられたら終わりである。
で、そのマスコミ(新聞、雑誌、テレビ)を支持しているのが
我われ(あ、わたしはマスコミ嫌いです)労働者という、このどうしようもない状況。

労働は人間を競争状態、敵対関係に追い込む悪と言えなくもない。
また労働は孤独な人間を結びつける善でもあるのだが。
社会主義とは、私有財産の否定である。

「私有財産は、人の間に分け隔てをつくり、お互いを敵同士にし、
利益のために不倶戴天(ふぐたいてん)の敵対関係を生み、
そうして人間を嘘と欺瞞(ぎまん)と悪意で堕落させるものです。
人間のことを、財産をふやすための道具としかみない社会
――そんな社会は非人間的と言わねばなりません。
わたしたちの敵です。そんな社会が主張する欺瞞、嘘偽りの道徳など、
わたしたちが受け入れないのも当然でしょう」(P334)


あいつばかり金を儲けやがって。あいつばかり楽をするのはおかしい。
労働は人間同士を敵対させる面がある(結びつけもするけれども)。
資本主義世界では、だれかが得をするとかならずだれかが損をするのである。
だれかが稼いだら、かならずだれかが貧窮化する。
パートなどしなくても食っていける古株おばさん主婦が威張ってたくさん稼ぎ、
このバイトを失ったら食い詰めてしまう男性労働者が早く帰れと言われる。
これはおかしいけれど、世界も社会も人間もむかしからそんなものなのだろう。
無力、無力、無力。どうしようもない。ただひとつ、できることがあるとすれば――。

「いまなにが必要かっていえば、おまえさん、大衆が騒ぎだすことなんだよ!
そう! めいめい考えちゃいるんだよ、心んなかではね。
でもね、声に出して言いはじめなくちゃいけない……
だれかが、まず決心することだ……」(P328)


しかし、わたしは大衆とやらを信じることができない。
大衆とかいう多数派連中が支持している朝日新聞が嫌いだからである。
朝日の記者にはいい人もいるのだろうが、大衆を操作しようとする新聞が嫌いだ。
これはわたしが「みんな」よりも「自分」をたいせつに思っているからかもしれない。
大衆とやらはみんな自分のことがいちばんなのに、
さも「自分」だけは「みんな」のことを考えているというポーズを取りたがる。
吐き気がするぜ。そんな自分にもみんなにも。
戯曲の読書感想文でなにを書いているのかって話だけれど。

COMMENT

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07/18 02:26
. 人生終わってる仕事ぶりだなぁ








 

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