「どん底」

「どん底」(ゴーリキイ/神西清訳/角川文庫) *再読

→12年ぶりにロシアの有名近代劇を再読してみた。
むかしはいいと思ったけれど、いま読んだらまとまりがなく、それほどでもない。
いま主観的には断じて「どん底」ではないけれど、
客観的にはだれもが「どん底」と思うのではないかという職場で働いている。
本の仕分けをする時給850円のアルバイトだ。
昨日はさあ、久しぶりにライン(流れ作業)で死ぬほどきつい持ち場を振られた。
大げさなのだろうが、死ぬかもって思うくらい重い本ばかり連続して出た。
この書籍ピッキングは非常に持ち場によって重い軽いが異なり不平等である。
まるで人生のようなものなので、まえまえからおもしろいと思っていた。
人生でも振られる持ち場によって重い軽いが明確にあり不公平極まりない。
で、昨日は重いところを振られて上を恨んでいるとかそういう話じゃなくて(ほんと?)、
MさんもNさんも早く帰されていたし、たまにはきつい持ち場もいいのだが、
気づいたのはあんがいしんどい間口のほうが演戯する余地があるってこと。
これは昨日5ライン上流にいた人しか知らないことだけれど、
わたしはめちゃくちゃなピッキングをしていたでしょう?
わざとゆっくりやったり、異常なほど高速でしたり、ふらふらしたり、荒れたり。
あれは自意識過剰な演戯なわけで、
書籍ピッキングのみならず人生でも持ち場は代えられないけれど、
決められたものをどう行なうかの自由があることを
横の(両隣とも)コミュ障作業員に伝えたかったってことがある。
まあ、あとづけの説明で、いまから言えばの話なんだけれど。

いま肩も腰も手首も痛いし、昨日の疲労のせいであたまがよく働かない。
「どん底」で働くとこうなるんだなあ。
しかし、終わりがあるんだよね。
どんなにしんどい書籍ピッキングでも終わりがある。
芝居にも終わりがあるし、人生にも終わりがある。「どん底」にも終わりがある。
ロシア近代劇「どん底」の舞台は、底辺労働者が集う木賃宿(きちんやど/安宿)。
ここで「どん底」での配役を割り振られた役者どもがそれぞれの思いを口にする。
ゴーリキーにも青年時代に「どん底」労働体験があったから、
この芝居を書きたいと思ったのだろう。
もしかしたら一流会社のドライでクールな人間関係よりも、
「どん底」の職場の人間模様のほうが芝居にするにはふさわしいのかもしれない。
「どん底」の人びとは割り振られた配役の決められたセリフとしてこんなことを言う。

「……働くだと? じゃ一つ、愉快に働けるようにしてもらおうじゃないか。
すりゃおれだって、働くかもしれねえ……そうとも! 働くかもしれねえよ!
労働が快楽なら、人生は極楽だ! 労働が義務になったら、人生は地獄だ」(P24)


役者はかならずこのセリフを言わなければならないいわば宿命の奴隷だが、
しかし、このセリフをどのように言うかの自由はあるのである。
お気楽に言ってもいいし、いまにも死にそうな深刻な声色で言ってもいい。
「どん底」の人たちは死ぬまで低賃金で資本家から搾取されつづける。
しかし、救いがないわけではない。

「大丈夫! あの世に行けば、息がつけるさ! ……もう少しのしんぼうだよ」(P51)

「希望を持ちなさい。……というのは、つまり、死ねば楽になる……
この上もうなにもいらなくなる、だからちっとも心配はないわけさ!」(P58)


とはいえ、まだ若いうちはそうもいかない。若い男女はなかなかそう思えない。
底辺の「どん底」にいる薄幸な少女のナターシャは「待ってるわ」という。
いったいなにを待っているのか。

「(困って笑う)なんてことないけど。……まあたとえてみれば、ほら明日になったら
……誰かがやってくる……誰かしら……特別な人が……なんて思うのさ。
さもなきゃ、何かが起こる……今までになかったようなことが、って。
そうして、しょっちゅう待ってるの……もうずっと前からね。
……でもねえ……実際には――なんの待つことがあるのかねえ?」(P88)


現実は、きっと「どん底」の人はずっと「どん底」のまま。
なにも変わりはしないし、だれも来ないし、なにも起こらない。
「どん底」の人たちが「どん底」なのは、そういう役を振られたからである。
本人たちにはいっさいの責任がない。
しかし、「どん底」の人で妙な自己分析をする人もいる。
その人は役者という役名がついている。

「爺(じい)さん……おれは、もう破滅だ。……なぜ破滅したかって?
自信がなかったからさ。……おれはもうだめだ……」(P55)


この役者はべつの場面でこんなセリフを言う。いや、言わされる。

「ところで天才ってものは、自分を信じる、自分の力を信じるってことなんだ……」(P16)

「どん底」の木賃宿からある老人が去っていく。
わたしがいま勤めている極楽のような、
しかし「どん底」の職場からいつだれが去っていくのだろう。
もう去って行った人は何人もいる。それでいいのだと思う。
社員もみんなきっとそう思っている。
木賃宿の主人は「どん底」の宿泊客をどう思っているのか。
客のひとりから、おまえなんか嫌いだと言われて――。

「だが、おれの方じゃ、お前さんたちがみんな好きだ……おれはこう思ってる
――お前さんたちはみんな、不仕合せな、寄るべのねえ、落ちぶれた人たちだとな」(P20)


いや、「どん底」の人たちにもけっこう仕合せそうな人もいるのである。
そういう人は男性よりも女性のほうが極めて多いけれども。
いまの職場だって本業は主婦の人は、まあ遊びに来ているような感覚だろう。
ゴーリキーはおのれの「どん底」体験を劇作に生かした。
あくまでも「どん底」は本当のことではなく、芝居ゆえ嘘である。
なぜ劇作家は本当のことではなく嘘を書くのか。

「そりゃあね、嘘の方が……ほんとうよかおもしろいからよ」(P88)

「どん底」で働くわたしもおもしろい嘘を書きたいなあ、と思った。
繰り返すが、いまの職場は主観的にはまったく「どん底」ではない。
客観的にはそう見る人のほうが多いかもしれないけれど。

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