「無量寿経」

「無量寿経」(幡谷明編訳/「仏教聖典」平楽寺書店)

→いったいだれが仏国土なんて考えついたんだろうなあ。
仏さまの国のことである。
この世の民の救いようのなさに完全にあきらめきったものが、
この世ならぬあの世を創作したのだと思う。
この世で人は救われないけれど、仏さまの国で救われるからいいじゃないか。
これがいちばんわかりやすい無量寿経の説明である。
で、その無量寿経というのがどうしてできたかというと、
法蔵菩薩という人がすべての人を救いたいという願(目標)を立てて、
信じられないくらい長いあいだ修行したから。
結果、法蔵菩薩は西方浄土で阿弥陀仏という仏さまになった。
おかげで我われはこの世では救われないけれど、
死んだら阿弥陀仏の西方浄土へ往きそこで救われることができる。
――とお経では釈迦が説いたことになっている。

だれがどう考えたって釈迦がこんな教えを説いたはずがないっしょ?
そこらへんのところを当時大谷大学教授だった幡谷明氏は、
どうごまかしているのかというと。

「およそ、人間の相対有限な思想や言葉を超えた真実の宗教的世界を
リアルに表そうとする場合、それは神話的象徴的な形をとらざるを得ないことは、
多くの人々によって承認せられているところである。
無量寿経に説かれた、この法蔵説話も、釈迦牟尼仏陀の深い瞑想の中に、
始めて見出され得た宗教的世界を表わすものに他ならない」(P847)


おおお、あくまでも釈迦が説いたことにしてしまっているのである。
大谷大学は浄土真宗系の大学だから、そうしないと困るのはわかるが、
そこに真実を求めるような学究的な真摯さはないのだろうか。
やっぱり真宗の門徒さんたちって、
釈迦が浄土の教えを説いたとか本気で思っているわけ?
わたしは前世も来世も、浄土らしきものも存在するような気がしているけれど、
その根拠は考えてみたら釈迦が説いたからというものではない。
実感として、そういうのがないとおかしいように思うからである。
やべえな。教祖さまみたいのに近づいているのかしら、おえっ。
この場合、弟子ができたら尊師で、できなかったら狂人になってしまう。
くわばら、くわばら。
あんまり仏典なんかに首を突っ込まないほうがいいのかどうか。
変なオーラが出ているのか、バイト先でもみんなに怖がられているような気がして、
自分でもどうにかしなくちゃいけないと思っているのだが、自意識過剰かも。
だれも興味なんてないでしょうが、
このお経の詳しい説明は過去にしているので、どうかよろしく。

(参考記事)
「大無量寿経」(早島鏡正訳/「大乗仏典」/筑摩書房)

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