「法華経」

「法華経」(横超慧日編訳/「仏教聖典」平楽寺書店)

→いまさっき気づいたのだが、法華経は考えるなって言っているんだよなあ。
たしかにそうで人間はいろいろ考えるから不安になったり、うつになったりするんだ。
朝から晩まで働いてメシを食ってテレビを見て寝る。
これを毎日繰り返しているのがいちばん健康的な生活なのかもしれない。
しかし、我われは考えてしまう。もっと収入の多い仕事があるんじゃないか。
もてないのはどうしてなんだろう? 婚活を始めたほうがいいかしら。
老後の貯金はいくらあっても足りないっていうし、いったいどうしよう。
人間にとっていちばんよくないのは不安だけれど、不安は考えることから生じる。
考えるとは、疑うことである。本当はそうではないのではないかと。
毎日テレビを見ながら、なにも疑わずに働いて結婚して子育てして死ぬ。
それでいいんだよね、結局。考えちゃいけない。疑っちゃいけない。
だって、法華経にそう書いてあるもん。

「汝(なんじ)ら智あるものは、これ[法華経の教え]を疑ってはならぬ。
疑いはあとかたもなくすて去れよ。仏の言葉に偽りはない。
医師が狂ったわが子を治さんため、巧みな方便をもって、
実には生きていながら口には死んだといったとしても、
それを虚言(うそ)いつわりとは言えぬであろう」(P838)


いやあ、それはウソっしょ。ついていいウソでもウソはウソ。
説明すると、医者の子どもたちが狂っちゃったんだ。
治す薬があるんだけれど、子どもたちは服用しようとしない。
このため医師は一時的に外国に行って、自分は死んだという手紙を送った。
そうしたらそのショックで一瞬正気に戻った子どもたちが
父からもらった薬をのんでよくなりましたとさ。これは間違いなくウソである。
法華経の仏はすげえって言葉しか出てこんよ。
おれの言うことを疑うなよと言った舌の根も乾かぬうちに、
自分がウソをついたエピソードを披露するのだから、おまえヤバいって。
むかしからいわれていることらしいけれども法華経の教えというのもよくわからない。
一般的には諸法実相(しょほうじっそう)とされている。
これは唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)だから、仏と仏のみ知ること、つまりわからない。
また諸法実相は十如是(じゅうにょぜ)ともされているから、
これはまあ、宗教評論家のひろさちや先生の受け売りだけれど、あるがままでいい。
だとしたら法華経を信じるってあるがままの「わからない」を疑うなってことになっちゃう。
あるがままの「わからない」を疑うな。
あるがままの「わからない」を信じよ。
ああん、いったいこれから人生どうなっちゃうんだろうなあ。
いかん、いかん、将来どうなるかなんて絶対にわからないんだから、
あるがままの「わからない」を信じることにしよう。

(関連記事)
「法華経」(紀野一義訳/「大乗仏典」/筑摩書房)

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