「仏伝」

「仏伝」(桜部建・雲井昭善編訳/「仏教聖典」平楽寺書店)

→あまた仏教宗派はあれど
開祖の釈迦(しゃか)は批判しちゃいかんという絶対ルールがある。
釈迦なんか実在しなかったと思われていた時代もあったらしいのだが、
アショーカ王の碑文が見つかって、おお、これはどうやら本当にいたようだと。
このブログにまえまえから書いているように、
わたしは釈迦がどうして偉くて正しいのかわからない。
行き着いた結論は釈迦のことを多くの人が尊敬しているからというもの。
たくさんの人間が釈迦は偉くて正しいと思っているがために、やつは偉くて正しい。
大きな声では言えないが、釈迦ってなんだかうさんくさくねえか。
定年退職した無職の老人やうつ病で落ちこぼれたサラリーマンがさあ、
「釈迦の教え」とか書かれた通俗一般書を読んでマスターベーション(自慰)するのって、
なーんかショッパイよねえって話。
ああ、つまらない人生だったけれども、お釈迦さまに肯定してもらえたから、
ありがたいありがたい、
これからはなにごとにも感謝しながらつつがなく生きていこう、みたいなのってうんざり。

またまあ、釈迦の教えっていうのが使えないんだ。
一般的に釈迦が菩提樹の下で悟ったとされている内容は四諦八正道と言われるもの。
ご存じのかたも多いと思うのでラフな説明をする。
世の中、苦しみばかりで、苦しみっちゅうのは思うようにならないってこと。
じつはさ、これは真理なんだけれど、
苦しみには煩悩(ぼんのう/欲望)という原因があるんだぜ。
この苦しみは消せる、これも真理な。
正しい行ないをしたら、この苦しみは消える、これまた真理ですげえだろ。
しかし、本音を言ったら、どこが真理なんだって話になるわけ。
実例を出すと、いまさっきたったいま、パソコンにつけておいたスピーカーが壊れた。
買ってからちょうど1年くらいで、うまいこと壊れるんだなとムカついている。
土日に新しいのを買いに行くのがめんどくせっ。
釈迦によると、これは思うようにならないという苦しみのひとつである。
世事みな無常(変わらないものはない)という正しい見方をしたら苦しみは消える。
消える? 消えるか? 消えないよ。冗談じゃねえ。

通俗的な仏教一般書では、この四諦八正道こそ釈迦の悟った内容とされている。
だが、じつのところ釈迦の悟りはこの四諦八正道だけではないのである。
釈迦が最初に悟ったのは、「仏伝」によるならば、うさんくせえ四諦八正道ではない。
釈迦が悟りを開いたとき、まずなにが見えたのか。

「このように心が静かに定まっており、清浄で、きよめられてあり、
汚れなく、穢(けが)れなく、柔軟で、軽快で、安定しており、動揺なくてある時、
わたしは心を、前世の生涯を憶(おも)い見る智恵に向けた。
わたしは種々様々な前世の生涯を、そのいちいちのありさまや
こまかい事情をも併せて憶い出した」(P46)


四諦八正道なんかよりも、こちらのほうが重要ではないかと思う。
釈迦は悟りを開いたときに、自分の過去世が見えたのである。
自分の前世、前々世……と永遠にも等しいほどの過去世を釈迦は思い出した。
前世や前々世というものがあって、
いま自分はこうなっているのだと釈迦は悟ったのである。
わたしの話をすれば、こういう短気な性分に生まれついたのも前世や前々世の報い。
永遠にも近い過去世の繰り返しの結果、いま自分がこうして生きているのだと気づくこと。
四諦八正道よりもむしろこちらのほうが真理という呼び名がふさわしいと思う。
釈迦はまず自分についての真理を得たのである。
それから釈迦はなにを悟ったのか。

「このように心が静かに定まって……動揺なくてある時、
わたしは心を衆生の生死を知る智恵に向けた。
わたしは清らかで常人のものを超えた天眼をもって、
もろもろの衆生の死しつつある者、生まれつつある者を見た。
もろもろの衆生が、おのおのの業(ごう)に従って、
卑賤な者となりあるいは高貴な者となり、美しい者となりあるいは醜いものとなり、
よい境界へあるいは悪い境界へ行くのをわたしは知った」(P47)


なんで人間は不公平で不平等なのか、その理由を釈迦は悟ったのである。
過去世の業(行為)の結果として、あるものは貧乏人でまたあるものは金持なのだ。
同様に過去世の善悪の因果応報として、美人とブスにわかれているのである。
不幸な人は、あれは過去世でなんかやらかしたんだなあ。
人生がうまくいって笑いがとまらないやつは過去世でいいことをしたに違いない。
そういうわけで世の理不尽というものが成り立っていることを釈迦は悟った。

重要なことを書くと、釈迦はひとりで孤独な時間を経て真理を悟ったということだ。
釈迦に師匠のようなものはいない。
何回か弟子になったことはあったが、師の教えは役に立たないと見切りをつけている。
繰り返すが、釈迦は真理をみずからおのずから悟ったのである。
釈迦は真理をだれか師匠筋から教わったわけではない。
これはとても大事なことではないかと思う。
前世や前々世の話なんて他人からされてもうさんくさいだけでしょ?
自分で腹の底から納得しないと意味がない。
過去世の結果としていまこうなっていることを自分で認めることが悟りである。
だから、この宿業の思想はだれかに教えられる類のものではない。
その人が気づくのを待つしかないようなところがある。
釈迦が悟った真理は、人に教えられたものではなく、
このため人に教えられるものでもなかった。
考えてみたら、そうではありませんか。
いま苦しんでいる真っ最中に、それは前世がどうのと言われたって、冗談じゃないよなあ。
しかし、自分で腹の底から過去世の存在を認められたらば、
そのとき彼(女)は自分の人生にあきらめがつき、ときに明るくもなるだろう。
ならば、真理とは師匠から教わるものではなく、自分で気づくものなのかもしれない。
釈迦の真似をしたいのならば、だれかに師事するのはおかしいということになろう。
「師弟不二」(創価学会)などという言葉を聞いたら
釈迦は吐き気をもよおしたのではないか。
何度でも繰り返したいが、釈迦には師匠はいなかった。
みなさま、釈迦は聖人君子というイメージをお持ちかもしれない。
ところが、どうやら釈迦はかなり危ないやつだったと思えなくもないのである。
釈迦在世時のインドには(いまもそうだが)修行者がたくさんいたようだ。
そういう修行者にとっては、どの師匠の弟子かというのが肩書になっていたのではないか。
いまの日本でもそうでしょ? 自分は東京大学の◯◯教授の教えを受けた弟子だとか。
おおむかしインドで釈迦に向かって、おまえの師匠はだれかと聞いた修行者がいた。
これに釈迦はどう答えたか。

「わたしは最勝者であり、一切智者である。
わたしは何ものによっても汚されることなく
愛欲も断ちつくし、すべてのものを捨ててさとりを得たのである。
みずからさとったわたしが、一たい誰を師とする必要があろうか。
わたしには師もなく、またわたしに比肩する人とてもない。
またこの人間界や天界においても、わたしに比肩するものはないのである。
わたしこそは世の人から尊敬を受けるにふさわしい者、無上の師である」(P62)


こいつは絶対ビョーキだろ? いまこんなやつが現われたら精神病院へゴーだよな。
ではなにゆえ釈迦は精神障害者ではなく、仏教の開祖とされるのか。
理由のひとつは当時は精神病という概念がなかったこと。
これは小さい理由で、大きな理由は釈迦に弟子がたくさんついたからである。
狂人と教祖の違いは、じつのところ弟子がつくかつかないかだったのである。
あなたの目にはきちがいに見える人でもお布施をしてくれる弟子が複数いたら、
その人は精神病患者ではなくお偉い教祖さまということになる。
具体例を出すのは差しさわりがあるかもしれないが、
苫米地英人氏などわたしにはきちがいにしか見えないけれど、
あんな人でも信者がたくさんいるからきっと天才科学者なのだろう。
さて、とにかく釈迦には弟子が大勢つきしたがったようである。
250人の弟子を釈迦に持っていかれたある師匠が
悔しくて情けなくて血を吐いたというエピソードが本書に紹介されている。

釈迦グループはなにをして食っていたのか。
釈迦をトップとする出家者の群れはどのようにしてメシを食っていたのか。
釈迦を組長とする乞食集団は、在家の信者から布施をしてもらって生きていたのである。
意外と知られていないが、釈迦は「おれルール」を作り広めた人物でもある。
乞食の群れのボスである釈迦が作った「おれルール」とは――。
生き物を殺すな。盗むな。セックスはほどほどに。嘘をつくな。酒をのむな。
以上は五戒と呼ばれるものだが、
これは釈迦が作った「おれルール」に過ぎなく、この決まりの根拠はないと言ってよい。
そして、はっきり言ってふつうに生きていたら守るのが無理なルールである。
生き物を殺すなと言われたってうっかり虫を踏んじゃうことはあるだろう。
酒をのむなって言われても酔っぱらうほど楽しいことはないのだから。
嘘をつくなって言われたら社交ができなくなって困るに決まっているじゃないか。
ところが、釈迦は「おれルール」を在家信者に強制するのである。
釈迦は自作の「おれルール」を守れば、財産や名声が得られると言っている。
「おれルール」を守れば死んだあとに来世でいい思いができるとも、天界に生まれるとも。
もし釈迦考案の「おれルール」を破ればどうなるか。
ちなみに釈迦の「おれルール」は戒(かい)と呼ばれている。

「更にまた、家主たちよ、戒を犯した破戒者は、身体が壊れて死んで後、
悪処、悪趣、険難処、地獄に生じる」(P136)


「おれルール」を破ったら地獄に落ちるぞと釈迦は善良な在家信者を脅していたのである。
「おれルール」を守れば金持になるが、「おれルール」を破れば貧窮し地獄に落ちるぞ。
じつのところ、あくどい新興宗教の教祖のようなことを釈迦もやっていたのである。
というか、そういうことをしないと生産活動をしない無職の人たちはメシを食えない。
ひどい言い方をしたら、釈迦というのはニートの親分のようなやつなのである。
もしかしたらニートって楽しいのかもと気づいた人たちが釈迦の弟子になったとも言える。
ニート釈迦を見ていて「働いたら負けじゃね?」と気づいた人が出家したのかもしれない。
ニート釈迦は自信たっぷりに「おれルール」を守れば金持になると主張する。
その代わり「おれルール」を破ったら金に困り死んだら地獄に落ちるから覚悟しとけ。
かといって、在家の人は生きていたら最低限の嘘はつかなければならないのである。
とはいえ、地獄に落ちるのは怖いから、
釈迦が組織するニート集団にお布施をしたのではないかと思われる。
新興宗教が嫌われる理由は
インチキくさい現世利益(功徳)と仏罰(堕地獄)ゆえだろうが、なんのことはない、
仏教の開祖の釈迦からしてそれをやっていたのである。
それをやらないと釈迦もニートの弟子たちを食わせていくことはできなかったのだろう。

身もふたもないことを言ってしまうと、この「仏伝」からして怪しいと言えなくもない。
というのも、「仏伝」はニートたちが書いたおのれが働かない言い訳と解釈できなくもない。
仏弟子たちは威張りたいだろうが、そのためには釈迦が偉い人でなければならない。
師匠が偉ければ偉いほど、弟子たちはデカい顔をしてのさばることができるという理屈だ。
釈迦の老年期には、
弟子が多いからという理由で釈迦の弟子になったものもいたのではないか。
人気は人気を呼び、釈迦ファンクラブは増大していくばかりではなかったかと思われる。
なんでもない言葉でもカリスマから言われると感激するのがファンというもの。
あんなに多くの弟子を従えた釈迦というのは、
きっとすごい人なのだろうとみんながみんな思ったことであろう。
「おれルール」を押しつけてくる尊大な姿勢に庶民は恐れをなすものである。
釈迦の弟子たちもさぞかし甘い汁を吸ったのではないかと思われる。
組織が巨大になるといざこざを起こすのが人間というものである。
釈迦グループのなかでも順位というものがかならず発生したはずだ。
どのファンクラブでも古参というのは威張りたがるものなのだろう。
このため「仏伝」によると死の直前に釈迦が高弟のアーナンダに
こう言ったことになっている。

「アーナンダよ、新参の若い比丘(びく/修行僧)は、年老いた比丘によって、
名または姓によって、あるいは『友よ』という語によって呼ばれるべきである。
年老いた比丘は、新参の若い比丘によって『尊い方よ』とか
『尊い者よ』と呼ばれるべきである」(P152)


釈迦が年功序列を肯定していたことに「仏伝」ではなっている。
出家集団においては古参ほど尊い(偉い)と釈迦が説いていた、
と古株の高弟が「仏伝」に書いている。
新参よりも古参のほうが偉くて正しいと古株の弟子が「仏伝」に書いている。
それでは年寄りほど偉いということになってしまうではないか。
とはいえ、人間には(宿業ゆえか)能力差というものがあからさまに存在する。
「おれのほうが古株よりも釈迦の教えをわかっているのではないか」
と思う新参弟子もなかにはいたのではなかろうか。
とくに釈迦の死後100年も経てば、存命時の釈迦を知るものはいなくなる。
優秀な新参弟子ほど年功序列の矛盾に苦しんだのではないかと思われる。
釈迦の言ったとされる五戒は「おれルール」に過ぎないと気づいたものもいよう。
釈迦(仏)の教えをいくら守っても、弟子は釈迦にはなれないのもおかしな話だ。
釈迦は師匠から秘儀を教えられたわけではなく、
自分で悟ってブッダ(目覚めた人)になったのである。
そうであるならば、自分たちもまたブッダ(仏)になれるのではないか?
真理というのは教えられるものではなく、みずから悟るべきものではないか?
以上のように考えるにいたった弟子たちが創造したのが大乗仏典だと思う。
釈迦に師匠はおらず、みずからおのずから悟りを開きブッダになったのである。
ならば我われもまた、みずからおのずから悟りブッダになればいいのではないか?
これが古株集団(小乗仏教)を乗り越えようとする大乗仏教の始点だと思う。
本当に釈迦を真似たいならば、
正しい真理を師匠から教わろうとするのはおかしいのではないか?
悟りを開くというのは極めて能動的な行為で、
教わるという受動的行為とは正反対である。
最後に繰り返して強調するが、
釈迦に師匠はおらず彼はみずからおのずから悟りを開いた。

(参考記事)
「仏伝」(中村元訳/「原始仏典」筑摩書房)

*スピーカーは電源プラグが外れていたためと判明。
おっちょこちょいなのは過去世のせいだからぜんぜん気にしていないよん。

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