遊びましたか?

みんながわかったものとして早足で通りすぎてしまうところを、
ここがわからないと立ちどまることがときに新しい発見をもたらすことがある。
いや、そんなところで立ちどまるのは効率や生産性を考えたらよくないのだが。
お経を読んでいて菩薩(ぼさつ)が「誓願を立てる」のところで思考がストップした。
「誓願を立てる」っていったいどういうことだろう。
読書を中止して、考えるわけである。
「誓願を立てる」とは「目標を立てる」「かくありたいと願う」ということであろうと気づく。
いまのままよりちょっとでも上等な人間になろうと願うのが「誓願を立てる」ではないか。
ならば、向上心とか現実変革力と言い換えてもいいのかもしれない。

どうして人間っていまのままの自分にはなかなか満足できないのだろう。
そのまんまのあなたをまるごとぜんぶ自分で肯定してあげたらいいのに。
本当はみんないまのそのまんまの自分を、
だれかにすべて肯定してもらいたいわけでしょう。
しかし、そんなことをしてもらえるのは母親から抱かれている赤ちゃんくらい。
だったら、自分でいまの自分をそのまま受け入れるしかないことになる。

ところが、お経を読んでいると、どうやら人間はむかしから
いまの自分に満足するのは怠惰という思い込みがあったようだ。
誓願(目標)を立てて修行(努力)するとか疲れませんか?
このGW中もまったく遊ばず資格勉強に費やした努力家もいらっしゃるのでしょう。
わたしはずっとお経を読んでいたのだが、しかしまだぜんぜん読み終わってない。
いったい自分はどうしてこんなことをしているのだろう。
大学院に所属しているわけではないから、いくら勉強しても上から認められない。
まあ、お経を読むことがわたしにとっては遊びなのだろう。
とはいえ、完全な遊び人というわけではなく
ちゃっかり損得を計算しているのかもしれない。けっこう打算的なのかもしれない。
もしかしたらお経を読んだら功徳が蓄積され、
来世でいいところに生まれるんじゃないかなあ。

どうしてみんな現世での成功や幸福ばかり必死に願うのだろうか。
あんなもん前世からの善根がなかったら無理だと思うよ。
いまの成功者は前世や前々世から功徳を積んでいるんだから、
いくらあなたが現世で死にものぐるいで努力しようがまずかないっこないから。
なら、どうしたらいいのか?
来世での成功や幸福を願っていまのうちからお経を読んで功徳を積む。
もうひとつは、現世での成功や幸福なんてきれいさっぱり断念して、
いまのいま好きなことをする。つまり、遊ぶ。徹底的に遊ぶ。楽しく遊ぶ。
そうしたらいまのそのまんまの自分でもまあいいんんじゃないかと思えるかもしれない。

……辛気くさいお経の読書に戻りまっす。

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