「ブロードウェイの天使」

「ブロードウェイの天使」(ラニアン/加島祥造訳/「瞳」百年文庫/ポプラ社)

→仕事まえに小説なんか読んで感動するのはよくないのかもしれない。
ほかの仕事はわからないけれど、いまのバイト先はだれでもできる単調単純労働。
感動するというのは人間らしくなるということだから、ミスを連発しかねない。
感情の動きのないロボットのような人ほどうまくこなせる単調単純労働ゆえ。

人を好きになるっていうのはなんてすばらしいんだろうという短編小説である。
因業な競馬のノミ屋(賭博師)のところに5、6歳くらいの少女が置き去りにされた。
馬券代の代わりに父親から渡されたのである。
ところが、父親は帰ってこない。
ノミ屋はベソ公と呼ばれ、このあたりいったいの嫌われものだった。
ベソ公は大金を隠し持っていたが、いつもしみったれた顔をしていた。
彼はとにかくケチで金払いが悪く、ちぢれ耳のウィリーという
ベソ公を拳銃で一発やってやろうと思っている男もいたくらいである。
そのベソ公がどうだ! 
愛らしくだれにでも微笑みかけるマーキーという少女は、
ベソ公やその周囲の連中とはまさに正反対の世界から飛び込んできたように思われた。
ベソ公はそんなことははじめてだったのだが仲間に相談したあと、
マーキーを家に連れ帰り、ひと晩じゅう腰かけたまま、マーキーの寝顔に見入っていた。

「それからどうなったかというと、ベソ公はこの子供をめっぽう気に入っちまうんだ。
これにゃあみんなもえらく驚く。
以前のベソ公は、人間どころかどんな物にだって興味を示さなかった。
それがその夜以来、マーキーを好きになって、
手放すことなんて夢にも考えられないほどになったんだ」(P20)


人間嫌いだったベソ公が変わった。
いつも孤独に金のことばかり考えていた男が、
マーキーを連れてナイトクラブに行くようになった。
そこで踊るマーキーのかわいらしいこと。
マーキーという少女を媒介にして嫌われものだったベソ公も仲間と打ち解けはじめる。
人は変わる。だれかを好きになれば人は変わる。

「とにかくベソ公は以前には死にものぐるいで金をためこんでたのに、
いまはそれを湯水みたいに使うようになる。
その金の使い方がマーキーのことだけじゃないんだ。
『ミンディ』やほかの店でも、ひとの勘定まで払うようになるんだ。
他人におごるなんて、以前のあいつのいちばん嫌いなことだったんだけどね。
そりゃあいまでも少しは金に未練があるんだろうけど、
それでも以前と大違いさ、それにそのおかげかどうか、
やつの顔つきもすっかり違ってきたぜ。
以前のようにもの哀しげで意地悪の下品な口つきじゃあなくなって、
時には気持のいい顔だと思うことさえある。
たとえば少し笑いながら「やあ」って大声でみんなに言うときなんかだ。
そんな変り方を見ると、ベソ公をこんなに明るくするマーキーには、
市長が勲章を出すべきだなんて言いだすやつもいるよ」(P26)


別れは突然にやって来る。
雪の降る夜にもかかわらずマーキーはナイトクラブにいるベソ公に会いに来た。
これがよくなく重い肺炎にかかってしまったのである。
マーキーという少女はこの界隈の人気者になっていた。
やさぐれたチンピラのような男女しかいないうらぶれた町に舞い降りた天使。
それがマーキーだ。だれが入院先の病院に見舞いに行かないことがあろうか。
かつてはギスギスしていた連中が一致団結して有名な医者を呼びに行く。
死ぬな、マーキー。マーキーは弱っていくばかりである。
ある夜、もうダメかと思われた晩、マーキーはうっすら目を開き、みんなに笑いかけた。
開いた窓から近所のナイトクラブが流すダンスミュージックが聞こえてくると、
ベッドのマーキーはスカートを持ち上げて踊りはじめようとするではないか。
そのとき破局は違ったかたちで現われる。
一時的な記憶喪失にかかっていたというマーキーの実の父親が、
姉をともなってこの場に乱入するのである。
やはりマーキーはこんなさびれた繁華街とは縁のない上流階級の子女であった。
そのときベソ公がまた元に戻ってしまったのである。
意地悪で卑しい顔つきに戻って、二度とほかの表情は見せなくなった。
みんなが見ているまえでベソ公は父親に冷たく言う。
みんなのなかにはベソ公が大嫌いで殺そうとしたこともある、ちぢれ耳のウィリーもいた。
みんなが注目するなか、天使のいっときの父親だったベソ公はなんと言ったか。
以前の金は返せよ。金さえ帰してくれたらあんたとはそれきりだ。

「そう言ってベソ公は歩いて病院を出ていく。やつは二度と振り返らないぜ。
やつが出ていくとき、その背後にいるおれたちはまるっきりしんとしちまった。
その静けさを破るのはすけこましの鼻をすする音、
それからおれたちのうちの何人かがすすりあげる声だけさ。
ああそれから、いまよくおぼえてるけどね、
あのときおれたちのなかでいちばん悲しそうにすすりあげたのは、
ほかでもないあのちぢれ耳のウィリーだったぜ」(P48)


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