「パワー・オブ・フロー」

「パワー・オブ・フロー」(チャーリーン・ベリッツ+メグ・ランドストロム/菅靖彦訳/河出書房新社)

→アメリカのうさんくさいスピリチュアル本を半笑いで読む。
人生はたまたまの偶然が大きく個人に影響を与えるだけの、
極めて理不尽、不公平、無意味、無目的なひとつの芝居と言うことができよう。
まったく個人の能力は不平等だし、貧富の差もただただ理不尽な現象としか思えない。
そして、大半の人間にとっては長生きくらいしか生きる目的はない。
(どうでもいい話だが、わたしは本当に無目的で長生きさえ興味がない)
こういう索漠たる人生模様に耐えられないものがスピリチュアルにすがるのだろう。
なにかの団体に入ったりして群れなければ金がかからないから、
ひとつの趣味としてそれほど有害なものではないと思う。
あたしはいま成長しているのよ、
とか勘違いして周囲を見下すくらいなら許してあげてもいいだろう。
どのみちつまらない人生ゆえ、どんな幻想(虚構)を生きるのもありだと思う。
フローというのは、人生のいい流れくらいの意味になるのかな。
フローに乗れというのが本書の主張である。
そもそものフローなるものを本書にはっきりと定義していただこうではないか。
以下、少し長いが引用する部分はかなりよく書けていると思う。
どうかがんばって最後までスピリチュアル調にお付き合いください。

「フローはわたしたちの努力とは無縁の自然な人生の開花であり、
わたしたちを他者や宇宙と調和した葛藤のない人生に導く。
フローに浸されていると、偶然が次々におこり、
出来事が収まるべきところに収まり、障害が消え去る。
人生は無意味な戦いではなくなり、納得のいく目的と秩序の感覚に満たされる。
フローは人生を変える莫大な力を秘めている。
というのも、躍動的なエネルギーに満ち、
人生にまちがいなく喜びと活気をもたらしてくれるからだ。
たいていの人間はフローに生きた経験を持っている。
フローに生きているとき、わたしたちは適切な場所で適切なときに、
適切なことをしているという感覚を抱く。
心はうきうきするが平静であり、
自分自身を超えた偉大ななにかにつながれていると感じる。
人生は意味と目的に満たされ、魔法のような出来事が頻発する。
わたしたちは生命力にあふれ、生き生きとし、楽しくなる。
しかし、たいていの人にとって、そうしたことはまれにしかおこらない。
たとえおこったとしてもそれほど長続きはしない。
フローの光をかいま見ても、すぐにそれは消え失せてしまうのだ」(P11)


はいはい、どうもお疲れさんです。
みなさんもそうでしょうが、わたしもフローのようなものは経験したことがある。
プラスフローではなく、マイナスフローもじつのところ存在するのだが
(やることすべて裏目、なにをしてもダメ)、そのことには本書は触れない。
(プラス)フローの日があるといってもせいぜい1日でよくて1週間だろう。
フロー状態はたしかにたまにあるが、あまり長続きするものではない。
このため、本書は多くのレッスンやプラクティスを読者に課す。
どの自己啓発書にも書いてあるような善行をすればフローに乗れるとうたっている。
しかし、それは嘘である。なぜなら、そもそものフローの定義を考えてみればわかる。
重要なので赤字で書こう。

「フローはわたしたちの努力とは無縁の自然な人生の開花」

フローはわれわれの努力とはいっさい関係のないものなのである。
いくらレッスンを繰り返しても夏や秋、冬に桜が咲くことはないだろう。
ならば、自然な人生の開花たるフロー状態もレッスンやプラクティスとは無縁とわかろう。
秋から桜を咲かすレッスンをするのも、趣味は人ぞれぞれだからいいとは思うが、
4ヶ月後に桜が咲いたとき、これは自分のレッスンのおかげと誇るのはおかしい。
いや、そう信じていたら本人は幸福なのだから、それはそれでいいのかもしれない。
毎日レッスンをしていても、反対に怠けていても、
開花時期が来れば桜は咲くし、かといってずっと咲き続けることはなく、
散るときはあっさり散るものである。
アメリカ人はこんな単純なことも理解できないらしいから、
おめでたい国民性をお持ちの人たちのようでうらやましくないこともない。

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