「崑崙の玉」

「崑崙の玉」(井上靖/文春文庫)

→おなじ作品の感想を二度書くのもまたいい。
「崑崙の玉」は西域を舞台にした井上靖のマイナーな短編小説集である。
宮本輝氏が大絶賛している表題作「崑崙の玉」のよさはこちらが未熟なため
よく理解できなかったが、「聖者」「古い文字」「明妃曲」はおもしろかった。
井上靖は偽物のよさ、嘘の楽しみをよく知っていたのだろう。
真実ってなんだろう、本物ってなんだろう、
という疑念がつねにあったのではないかと思われる。
そこのところが井上靖の死後に弟子を自称する宮本輝氏との相違である。
宮本輝は価値の定まった骨董品を金の力で蒐集(しゅうしゅう)するのが趣味のようだが、
井上靖はどんな高価な骨董でもある日それがゴミになりかねないことに気づいていた。
井上靖は偽物のなかにこそ本物があり、
本物と言われているものも一皮むけばどうだかわからないとおそらく思っていた。
勲章が大好きなうさんくさい新興宗教のトップが、
そのいかがわしさゆえにある意味で本物であると井上靖はみなしていた。
悟り澄ましたようないかにも聖者然とした修行者が偽物であることを見破ることができた。

短編小説「聖者」はみなから尊敬されている村の老人がじつは聖者ではなく、
ただの片輪の老いぼれであることを新参者の青年が見抜くが、
物語の最後でその老人が真実を語る本物の聖者だと読者にわかる仕掛けになっている。
話は飛躍するが歴史の真実とはなにか?
歴史の真実は人間ではなく物であるのかもしれない。

「……人間というものははかないもので、
百年もするとその痕跡すら失くなってしまいます。
それに引きかえて人間が造ったものは、貨幣のような小さなものでも、
千余年の歳月を少しの損傷なく生き延びる場合もあります」(P131)


なにかある物が発見されたら、いともたやすく歴史はくつがえされてしまうのである。
しかし、その物が本物か偽物かどうかはよくわからない。
考えてみたら、いまの歴史も物(史料)によってつくられていると言えよう。
われわれが学校で習った歴史は一見すると人間の歴史のようだが、
じつのところあれは物によってこうではなかったかと推定(創作)された物語である。
もしどれかの物が偽物だったら本当の歴史は違っていたのかもしれない。
茶目っ気のある人間なら歴史を変えてやろうと
自分が死んだあとの歴史のために偽物の史料を作ろうと思うはずである。
それが偽物であるとばれなければ偽物の歴史が本物の歴史になってしまう。

とすれば、本物とはなんだろうか。偽物とはなんだろうか。
石ころと宝石をわけるその鑑定眼の正しさはいったいなんによっているのか。
宝石でも高価なものと安価なものにふるいわけられるが、その差はなんなのか。
たとえ偽物の宝石でもそれは世界一価値のある物だと本人が思って
身につけていたら、それはおのずから本人の自信につながり、
彼女の美しさは倍増しになることだろう。だれが宝石の真贋を見破れるか。
詐欺師から運気が上がると偽物の壺を買わされても、
本人がそれを死ぬまで信じていたらけっこう幸運も舞い込むのではないだろうか。
偽物のご本尊でも偽物のお題目でも十分に効果が上がるのだと思う。
そもそも本物のご本尊や本物のお題目など存在するのかどうか。
このあたりが井上靖の弟子を自称する宮本輝氏の初期作品のテーマであった。
ところが、宮本輝氏は社会的地位の上昇とともに、
本物は偽物であり偽物こそ本物であることを忘れてしまったような気がする。
「高いものはいい、いいものは高い」は最近の宮本輝氏の信念のようである。
見ていないので知らないがネット上でもそれに関する発言を連発しているらしい。
貧乏人から成り上がると金ぴかなものに目を奪われてしまうのは仕方がない。
わが家の小さな庭で見つけた小さな石ころが自分にとっては本物のこともある。
だれも価値を認めていなくても、自分にとっては本物の石ころは存在する。
宮本輝氏はそんな石ころは石ころだとバカにするだろうが、
井上靖は小さななんでもない石ころが本物かもしれないと疑うような
懐(ふところ)の広さがあったように思う。

ある小さな物がひとつ発見されただけで歴史は変わってしまう。
短編小説「古い文字」は、そういう内容の小説である。
研究員の大乃岐は新妻と旅行中に、
地中海近くの小さな村である印章を現地の子どもが持っていることに気づく。
印章には古い文字が書かれていたのだが、それを見て大乃岐は仰天する。
この印章の存在が知れたら世界が騒然とするからである。
なんとか小金をつかませて大乃岐は印章を手に入れることに成功する。
この印章は言うなれば世界の秘密のようなものである。
大乃岐だけが世界の秘密を知ってしまった。
そのときから大乃岐は監視妄想や追跡妄想に襲われるようになる。
夜ベットに身を横たえてもまったく眠ることができない。

「大きな津波のようなものの中に、大乃岐は揺られ続けていた。
世界の学界がこの印章一個のために騒然とする筈であった。
ただ現在はまだ騒然としていなかった。
一個の小さな石の面にインダス文字が二個刻まれ、
しかもそれに対応するアッカド文字が並んで刻まれているのである。
そうしたものがコルドバのホテルの一部屋にあると言っても、
世界中の学者の誰が、それを信ずるだろう。
しかし、実際にそれはあるのである。現にここに自分が持っている。
大乃岐は寝台の毛布の下で自分の首から吊り下げられてある
小さな宝物をまさぐった。確かにそれはあった」(P165)


物の価値は人によって変わることの典型例であろう。
結局、物語はどうなるのか。真実は明らかになるのか。

「若い考古学者大乃岐光矩がセビリアから五二キロ離れたカルモナの町の城門の
附近で心臓麻痺のために倒れたのは、五年前の秋である。
百合枝夫人は夫が身につけていた小さい古代印章のことを思い出して、
そのことを口に出したのは、パリに於いて夫君の仮葬がすんでからであった。
古い石のかけらが、インダス文字解明の鍵となるような貴重なものであったか、
あるいは多分に神経衰弱気味であった大乃岐光矩の
妄想が生んだ幻覚であったかは、
それが失われている現在では残念ながら知ることができない」(P177)


真実はわからないままに終わるのである。
小説家の井上靖はおそらくわからないものほどおもしろいと思っていただろう。
いまはなんでもわかった気分になってしまう時代だが、
井上靖が生きた時代はまだわかっていないものも少なくなかった。
井上靖はわからない時代を生きたおもしろい小説家だったのである。
わからないということがいかに豊かであることか。
わからないからこそ想像力を働かせて物語を創作することができるのだろう。
わからないところに想像力の翼を羽ばたかせる余地がある。
短編小説「明妃曲」には匈奴(きょうど)に憑かれた学生が登場する。

「大体、匈奴という民族は、その正体がよく判っていない。よく判っていて、
研究し尽くされていたら、恐らく私は何の関心も持たなかったに違いない。
判っていないところがあるからこそ、しかも、
それがそれを調べて判ろうというような料簡からではなく、
その反対のどうか判らないところが
いつまでも判らないでいてくれといったような気持から、
匈奴のことに関する記述を、
謂ってみれば古い壺でも手探るような調子で読んでいたのである。
学者の著書に、匈奴についてはよく判っていないが
というような文章が書かれてあるのを見ると、私はその度に、そうだろう、
そう簡単に判って貰っては困るといった気持が働いて、
ひそかに北叟(ほくそ)笑みを禁ずることができなかったのである」(P182)


「私」はおなじように匈奴に惹かれているどこか暗い男と知り合う。
ふたりはどこか似ていた。得体の知れない強い自尊心を持っているところだ。
あるいは匈奴もまたそういう民族ではなかったのかと「私」は思う。
匈奴好きの男は新資料が発見されそれを自分は読んだと言って、
「(美しい)昭君は元帝を憎み、匈奴の若者を愛した」という新説を熱心に物語る。
「私」は新資料なるものなどないことを薄々気づいていたが指摘せず、
自分とおなじように暗く匈奴が好きな男とひとつの物語を共有する。
そうであったことよりも、そうであってほしいことのなかに小説の真実はある。
歴史の真実も嘘もないのだとしたら、人を喜ばせることが真実なのである。
われわれはすぐにわかろうわかろうとしてしまうが、
わからないものをわからないままに愛するような姿勢もあっていいのだろう。
あれが本物か偽物かはわからないからこそ、わからないままであれはおもしろい。
それが本当か嘘かはわからないからこそ、わからないままでそれはおもしろい。
人はわかりあえないけれど、わからないままに人を好きになることはできるのだろう。
わかってしまったらそこで終わってしまうような関係もあるに違いない。
みんなから好かれるスターは正体がわからないからこそ輝いていられるのだろう。

COMMENT

東方不敗 URL @
03/22 21:47
Yonda?さんへ. 最初の投稿は打ち間違えです。
削除お願いします。(私もポテンシャル低いです・・・)

リクエストなんですが、

次は、へルマン・ヘッセの「シッダールタ」の読書感想が聞きたいです。
よろしくお願いします。
Yonda? URL @
03/26 11:22
東方不敗さんへ. 

結局、金と時間をどちらを取るかなんですよね人生。
金を取れば時間がなくなるし、時間を取れば金がなくなるし。
時間第一で生きてきたのをちょっと反省もしていますが、
やっぱり自由な時間は悪くないものでして、
ご推薦の本も読むことになるのかもしれないと思いますです。
東方不敗 URL @
03/26 19:39
Yonda?さんへ. いつも、ありがとうございます。

これからも、よろしくお願いします。

>金を取れば時間がなくなるし、時間を取れば金がなくなるし
もしよかったら、参考程度にどうぞ。

ダメ連の「だめ連の働かないで生きるには?! 」
ミヒャエル・エンデ 「モモ」
ヘンリー・ソロー「森の生活」
岡田 斗司夫 「超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略」
Yonda? URL @
04/09 11:59
東方不敗さんへ. 

おかしな話ですが、
なんかこうなるんじゃないかという気が、
休んでいるあいだにしていました。
いままで本当にお世話になりました。
まあ、ここでは公の目があるため書けませんが、
いろいろアレな人生を送っていて、
いまの職場で東方不敗さんに出逢えたのはまたとない僥倖でした。
ある面では救われたと言ってもいいかもしれません。
ちょっと大げさですけれども。








 

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