「二十六人とひとり」

「二十六人とひとり」(ゴーリキイ/木村村彰一訳/「穴」百年文庫/ポプラ社)

→こんなおもしろいロシア古典小説があるとは思わなかった。
読んでから1日最高に気分がよかったくらいである。
舞台はパン工場で、そこには毎日毎日早朝から深夜まで
おなじ巻きパンをつくっている「囚人」と呼ばれる26人の最底辺労働者がいる。
いずれもほかでは通用しないだれもがもう人生が終わってしまった男たちだ。
おなじ敷地内にある白パン工場の労働者からも、
2階にある裁縫工場の女工からも「囚人」たちは差別されている。
なにより彼ら自身が自分たちのことを軽蔑している。
そんな薄汚い最底辺の労働者たちに声をかけるものはだれもいない。
ただひとりの例外を除いては――ターニャという16歳の女工である。
ターニャだけは毎朝「巻きパンをくださいな」と地下のパン工場に足を踏み入れる。
26人の男たちはみなターニャを歓迎して最高のパンをこぞってプレゼントしたものである。
毎日つまらない単純作業の繰り返しだが、
ターニャの話をするときだけは26人の男たちの目は人間らしい輝きを放っていた。
かといって、ターニャが特別にやさしかったというわけではない。
ある囚人が靴下のほつれを縫ってくれと頼んだときターニャはどんな反応を見せたか。
どうしてあたしがそんなことをやらなきゃならないの?
そういう冷たい対応にもかかわらず、いやそうだからこそさらにまして、
ターニャという16歳の汚れなき少女は26人の男たちのアイドルになっていった。
ターニャだけが26人の男たちの生きがいであった。

そんな生活に変化が訪れる。
白パン工場に兵隊あがりのイケメン労働者が入ってきたのである。
白パン工場は、囚人たちがいる巻きパン工場よりもはるかに待遇がいい。
いままで白パン工場の人が地下にある囚人たちのところに来ることはなかった。
しかし、その兵隊あがりのイケメンはそうではないのである。
気取ったところがなく、気さくに巻きパン工場の最底辺労働者にも声をかけてくれる。
イケメンがいつも話すのは、自分がいかにもてるかという自慢話である。
それでも囚人たちは、
みんなから差別された自分たちに話しかけてくれるイケメンが好きだった。
そのうち複数の女工とイケメンの兵隊あがりの噂話が地下にも聞こえてくるようになった。
26人の男たちのあいだであのターニャは大丈夫だろうかという話が持ち上がる。
われわれのターニャがあんな顔だけの優男に引っかかるわけがないじゃないか。
そうとも、ああ、そうだとも、あのわれわれのターニャにかぎってそんなことはないだろう。
清純そのものといったターニャは変わらず毎朝巻きパンをせびりにやってきている。
ある昼のことである。いつものように兵隊あがりが女にもてるという自慢をしている。
よせばいいのにある囚人がけしかけてしまうのである。
おまえさんは、ターニャという少女を知っているかい?
あの子はね、いくらおまえさんが甘いことを言おうが引っかかるはずがないな。
イケメンはターニャのことをよく知らない。
翌日、イケメンがまた来て、あんな子のどこがいいんだというようなことを言う。
囚人たちは自分たちのアイドルを愚弄されたようなものだから、
だったら落とせるものならターニャを落としてみろとイケメンに言ってしまう。
兵隊あがりの優男は「2週間でかならずターニャをものにしてみせる」と約束する。

それからの2週間、囚人たちの単調な生活がどれほど楽しくなったか。
毎日ターニャのことで話は持ちきりである。
あのターニャがかんたんに落ちるわけないじゃないか。
われわれのターニャがあんな顔だけの薄っぺらい男に引っかかるものか。
かえってあのイケメンは平手打ちを喰らうんじゃないか。
この「賭け」のおかけで単調な底辺労働がとても楽しいものとなったのである。
ターニャは毎日変わらず巻きパンをくださいと地下に来ていた。
見た目、変わったところはひとつもなかった。
毎朝、汚れなどまるで知らないような笑顔をターニャは見せてくれた。
このぶんだと「賭け」はおれたちの勝ちだと26人の男は勝ち誇るときもあった。
さあ、約束の2週間後の期限が来た。
昼休みにイケメンの兵隊あがりが地下にやって来る。
26人の男たちは興味津々である。
イケメンは中庭を覗いていたら結果がわかるぞと言うのみである。
そこで26人の男たちは地下から中庭の様子を覗く。
まずターニャがスキップをしながら現われ小さな小屋に入っていった。
つぎにイケメンが現われおなじ小屋のなかへ入っていく。
26人の男たちの顔色が変わる。いまわれわれのターニャがおもちゃにされている。
最初に出てきたのはイケメンで囚人たちに向かってこれ見よがしなウインクをする。
股間を誇らしくたたいたようにも見えた。

「それから――ターニャが出てきた。
彼女の目は……彼女の目は歓喜と幸福とに輝いていた。
唇には微笑が浮かんでいた。そして、まるで夢でも見ているように、
よろめきながら、頼りなげな足どりで歩いてきた。
おれたちは、それを平気で見すごすことができなかった。
みんないっせいに戸口へ駆けだし、中庭へとび出すと、
彼女に向かって口笛を吹き、とほうもない大声で憎さげにわめきたてた。
彼女は、おれたちを見るとびくりと身をふるわせ、
足もとの泥のなかへ釘づけにされたように立ちすくんだ。
おれたちは彼女を取り囲み、いい気味だとばかり、
卑猥(ひわい)な言葉を次から次へとあびせかけ、
面と向かって破廉恥(はれんち)なことを口走った」(P143)


ターニャ、おまえはあの兵隊あがりさんにもてあそばれていただけなんだよ。
きっとお股をおっぴろげてさぞかし恥ずかしいことをしたんだろうねえ。
お口で兵隊あがりさんにご奉仕してあげたのかな。
どんなふうにやったかいまちょっと再現してみてくれないかな。
兵隊あがりさんは、あんな女、かんたんに落ちると自慢していたよ。
まさかターニャ、あんたは自分が愛されているとか信じているんじゃないか。
ターニャ、おまえはその他大勢の女と一緒でおもちゃにされただけなんだ。
尻軽女とはおまえのことだよ、ターニャ。
ターニャはだれとでも寝る安っぽい女なんだろう?
今度おれたちとも順番にお手合わせ願いたいねえ。
いったいどこが感じるんだい?
あの兵隊あがりさんはおれたちとも親しくてねえ。
ターニャがあのときにどんなだったかを今度じっくり教えてもらうよ。
ターニャ、おまえさんの痴態はすべておれたちの知るところになるんだ。
軽々とだまされて男の慰み者になった気分はどんな感じかな、ターニャ?

突然、ターニャの目がきらりと光った。落ち着いた声で男たちに向かって言う。
「かわいそうな囚人たちだねえ!……」
ターニャが歩きはじめると囚人たちは道を開けるしかなかった。
26人の男たちの輪から出ると、ターニャは振り返りもせずこうさげすむように言った。
「なんてけがらわしい……人でなしどもだろう……」
うしろすがたからも胸を張っているのがわかり、そしてとても美しかった。
ちっとも汚れれてなどおらず、まえより一段と美しくなった気さえした。
いや、とても美しいものが囚人たちの心から消えてしまっていた。
実際のターニャよりも美しい26人のターニャがこの日消えた。

「おれたちは、中庭の泥のなかで、日の光もささない灰色の空の下で、
雨にうたれてじっと立っていた。……
やがて、おれたちも、だまってじめじめしたあの石の穴へ帰った。
まえと同じように――太陽はおれたちの窓をのぞくことはなかった。
そしてターニャも、もう二度とやってはこなかった!……」(P147)


COMMENT

こけし URL @
03/17 19:38
. これ、読んでみたくてアマゾンで注文してしまいましたが、この記事の方が本文より面白いんじゃないかと不安になりました(笑)
Yonda? URL @
03/18 12:04
こけしさんへ. 

アワワ、微妙に改作したのがばれてしまう(笑)。

おなじ作品が岩波文庫「ゴーリキー短編集」にも入っていました。先ほどブックオフオンラインから到着。パラパラ読んでみたら内容が少し違っているような。訳は間違いなく、こけしさんが注文なされたほうが新しく読みやすいです。








 

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