「神話の心理学」

「神話の心理学 現代人の生き方のヒント」(河合隼雄/大和書房)

→季刊誌「考える人」に連載された氏の最晩年のエッセイ。
文面から多忙だった晩年の河合隼雄の疲労ぶりが透けて見える。
真実は物語という形式でしか言えないということが非常に勉強になった。
対立するイデオロギーをまとめてそのままのかたちで提出できるのが物語なのか。
たとえば「Aは正しい」という考えがある。
いっぽうで「Bこそ正しい」という反対の考え方がある。
この場合、AサイドとBサイドは喧嘩や抗争を果てしなく続けることにならざるをえない。
ところが物語でなら「Aも正しいし、Bもまた正しい」という真実を表現できるのだろう。
「創価学会は正しい」「創価学会は怪しげな邪宗」これはどちらもわたしは正しいと思う。
「創価学会は正しい」というイデオロギーに拘泥すると他人と衝突してしまうのである。
どうせつまらない人生だからそういう対立もまたおもしろいのだろうが、
可能ならば「どちらも正しい」という物語を生きていたほうが豊かだろう。
物語があれば「日本は正しい」「中国は正しい」をうまく収めることができるのだろう。
たとえば戦時中、中国人を助けた日本人がいたとか、そういう物語である。
芥川賞選考委員の宮本輝の小説がつまらなくなった理由は、
おそらく氏が「創価学会は絶対に正しい」と老境に入り信心が固まったからだろう。
物語という形式でなら人は「AもBもまた正しい」ことを語ることが可能になる。
そして、物語の親分ともいうべき存在が神話である。
河合隼雄は神話をこう説明する。

「原理や原則で言い切れない、逆説に満ちた真実を表現するには、
「物語」という形は非常にぴったりである。
そして数ある物語のなかでも、
「神話」は人間や世界の成立に立ち返ってまでの語りであるために、
学ぶことが実にたくさんある」(P3)


しかし、本当は神話などには目を向けず忙しくしているのがいちばんいいのだろう。
わたしは無為でいるのが好きで、忙しくしているのが苦手だから困ってしまう。
本来は忙しくしているのがもっとも健康的で有益な生活方法なのだと思う。
朝6時に起きてすぐ会社に行き深夜の1時、2時まで働くのが人として正しい。

「人々は「忙しい」を連発して生きているが、それは少しでも暇ができて、
根元的な問いが心のなかに浮かんでくるのを防ぐために、
無理して「忙しい」状態をつくりだしているのではなかろうか。
まさに自転車操業的人生である」(P21)


多忙な河合隼雄は「忙しい」を否定しているが、
結局人間はよけいなことを考えずに「忙しい」を連発しながら、
ある日ぽっくり死ぬのがいちばん恵まれた人生のような気がする。
河合隼雄の人生がまさにそうであったように――。
河合隼雄は無為の価値をことさら強調していたが、
それはおそらく本人が多忙だったから無為なぞに理想郷を見ていたのかもしれない。
現実として成功した作家(物語創造者)はみな多忙ではないか。
どうして無為が大事などと河合隼雄は主張するのだろうか。
無為のすすめなんて怠け者になれってことじゃないか。
河合隼雄はアメリカ先住民の神話を例に出し、無為の重要性を指摘する。
男がなにもしないで煙草をすっていたら、
なぜか家ができてなかから美しい女性が出てきたという創造神話である。
男は美女と結婚して16人の子どもをもうける。
ああん、そんなことあるわけないだろう?
ニートをしていたら美女が近づいてくるなんてことあるか? 
……って、あるかもな、あはっ。神話は深いぜ。
現実と神話ってどういう関係にあるんだろう。

「この神話で特徴的なのは、積極的に行動するコラワシは失敗し、
煙草をすってばかりいた男のほうが、煙草をすうことによって間接的に、
人間の創造に貢献することである。
つまり、真の創造においては、無為でいることが必要と考えるのである。
実際にわれわれが創造行為に従事するとき、
あれこれと積極的に考えたりなどしても、失敗に終わってしまい、
むしろ、ぼうっとしているときに、創造のきっかけが生じることがある。
これは何を創造しようかということとも関係しているが、
やはりスケールが大きくなるほど、「無為」の重要性が感じられるように思う」(P59)


煙草はすわないが怠け者の当方がなんとなくわかるのは、
無為でいると自然の小さな変化、つまり他力を察知しやすくなることがある。
それから人さまが必死に働いているときに怠けていると、
忙しい人には見えないことにふと気がつくことがある。
思い込みだろうが、自分はトリックスターの元型を持っていそうで怖い。
なぜ怖いかといえば破壊者になりたくないからである。
人と違ったことを言うと集団の和が乱れるし、下手をすると村八分を喰らう。
どのようにおのれのトリックスター性をうまく御したらいいのだろうか。

「トリックスターの行為は、本人がどこまで意識しているのかは判明しないとしても、
結果的にプラスの効果を生むことがある。
みんなで真剣に考えても、なかなかいい案が浮かばないとき、
一同が苦しんでいるなかでトリックスターの発言で、
思わず笑いが起こり、そこからふと新しい考えが開けたりする。
あるいは、中学生のトリックスターの万引きが発覚したところで、
担任の教師と学級の生徒たちが真剣に話しあい、
そこに一体感が生じてきて、学級の雰囲気が急に好転する、というときもある。
要するに、トリックスターの行為を生かすも殺すも、
それを周囲の人々がどのように受けとめるかによる、ということである」(P160)


わたしだけではなくみんなトリックスター性を持っているはずである。
トリックスターが出てきたときに、うまく笑える技術のようなものも必要なのだと思う。
下世話な言い方をしたら、変な人が現れたときに排除するのではなく、
あいつおもしろいよねえとネタにして笑えるかどうかなのかもしれない。

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