「人生解毒波止場」

「人生解毒波止場」(根本敬/幻冬舎文庫)

→わたしのなかじゃ根本敬って
ふっる~いエロ本に濃い漫画を描いていた人というイメージ。
アングラ電波系エッセイストとしてもご活躍なされていることをまるで知らなかった。
なにやらインテリぶったうざったいことをいきなり書くと世界は言葉で出来ている。
どういう難しい表現も可能だが、あらゆるものが結局は言葉に還元されるわけでしょう。
あらゆる見えるもの、のみならず見えないもの(愛とか差別とか)も言葉に過ぎない。
だとしたら、新しい言葉を発明することは世界を変えることに等しい。
根本敬はこのエッセイで「因果力」という言葉を創造しているが、これがじつに新鮮だった。
ある新しい言葉が生まれることで説明できる現象が増えるという面があるのである。

たとえば、こんなふうに――。
わたしはむかし因果力が強かったが、最近めっきり弱ってきたようでさみしい。
むかしはさあ、ひんぱんに変な人からおかしなメールが舞い込んだのだよ。
自分の妻をぜひ殺してほしいとか、
おまえを警察に訴えたからそのうち逮捕されるぞ覚悟しろとか、
おれの夢はトレンディードラマを手掛けることできみもその夢に乗らないかとか、
国内のみならず国外からもいろいろおかしなメールをいただいたものである。
最近、そういうのがパタッとストップしてしまった。
いいのか悪いのか、安っぽい劇のようなものからすっかり遠ざかってしまっている。
この状態は因果力という言葉を使うとうまく腑に落ちるのである。
このところめっきり因果力が弱ってきたなあ。
本来、自分は相当な因果者のはずなのにこの谷間はいったいなにを意味するのだろう。
いや、自分が気がつかないだけで、むかしよりもいまのほうが
もっと広範にわが因果力は作用しているのかもしれないのだが、
そこはまあ自分としては気がついていないふりをあくまでもしていたいというか、ニャハ。
根本敬は本書で知り合いの仲山兄弟を因果力の強い因果者であると看破する。

「兄弟の生まれた仲山家は、由緒ある家系(まァ、筆者から見てね)で、
その昔奄美大島のサトウキビで奴隷をされていたという。
そのセイか、二人とも因果者としての筋が大変素晴らしく、
兄の正毅君(二十九歳)は精神にやや難のある看護婦さん(四十余歳)
に好意を抱かれたあげく、軽々と殺傷沙汰に巻き込まれてみたり、
出来物の治療にフラリと入った病院で治療中、突然医者が
「俺は最近、精神病院から出てきたばかりだ」
と宣(のたま)わり、おかしなことをされたり、
碑文谷公園ボート乗り場でバイトを始めたら、
平和で何事もなかった公園で、急に入水自殺者が沢山出るようになったり、
とにかく彼の引力といおうか、そういったしょうもないこと(だが、この中にお宝がある!)
と引き合う磁力は並大抵ではなかった」(P108)


古くさい仏教用語ではこの因果力や磁力のことを宿命や宿業と言ったものである。
仲山正毅君の因果力はまことに怪しげでほんものくさいところがある。
因果力の見方は、当人の説明を信用しないことだ。
入水自殺者がひとりやふたり出たというのは、まあ事実だろう。
しかし、精神不安定な看護婦に惚れられたというのは果たして事実かどうか。
このあたりでわたしは仲山正毅君自身の精神病を疑ってしまうのである。
本当は因果者の仲山正毅がおばさん看護婦に勝手に片想いをして、
殺傷沙汰を起こしたのは自分のほうからなのではないか。
実際のところ皮膚科の医者は正常極まりなく、
仲山君の精神が異常だったからどこにでもいる医者がきちがいに見えたのではないか。
バイト先で自殺者が出たというのでさえ本人の自己申告に過ぎず、
もしかしたら「自己劇化」の一種ではないかとさえ思えなくもない。
このあたりがサブカル用語の因果力にまつわるおもしろさだろう。
うさんくさいもの、怪しげなもの、インチキくさいものはたまらない珍味である。
わたしなんかも自分の因果力を信じているから、
このまま終わるわけがないという気がしている。
自分の人生でよきにつれ悪しきにつれどんなことが起こっても、ふーん、と受容できる。
むしろ起こらなかったらと思うと逆にがっかりするというか、情けなくなってしまう。
わたしは1回きりの人生でより多くの変な人と会いたいし変な事件と遭遇したい。
その支えとなるのがこれまで培ってきた因果力になろう。
宿命や宿業という言葉はどこか受動的だが、因果力は能動の香りがしてよろしい。
われわれは生まれ落ちた「星」と
持って生まれた「因果力」に左右されているだけではないか。
これが特殊漫画家である根本敬の世界観になろう。

「とにかくこの世には、人知を越えた何か得体の知れない力が緩~く働いている。
だが、目に見えず、時には大きな神秘性を印象づけるが故に、
何か畏(おそ)れ多いものと考えてしまうが、
しかし実際は決して大層なものではないのかもしれない。
少なくとも私に限っていえば、過去、沢山の奇跡、神秘体験、シンクロニシティに
遭遇したが、どれをとっても下らない奇跡だったり、
馬鹿馬鹿しい神秘体験だったり、マヌケなシンクロニシティだったりする。
よって、どう考えても「天」というか、「神」というか、
とにかく得体の知れない力ってのは堅気じゃあないと睨(にら)んでいる」(P277)


得体の知れない力が堅気ではないという指摘には、まったくそうだと思った。
おそらくたぶんかならずや人間の目には見えないが、
世界にはある種のまがまがしい得体の知れない力が働いているような気がする。
そうであってほしい。そうであってもらわなければ困る。いや、そうなのである。
その得体の知れない力は、おそらく学級委員とは正反対のベクトルを有している。
「がんばったら報われる」も「悪いことをしたら天罰がくだる」も嘘だあな。
おてんとさまはそんな堅気なやつじゃなく、
もっとヤクザめいているような気がしてならない。
怠けていたり悪いことを楽しみながらしている人に、
ごそっと財宝を与えるのが堅気ではないおてんとさまではないだろうか。
おてんとさまが見ているというが、それはあんがい皮相な善悪ではないのかもしれない。
おてんとさまは堅気どころか正反対のふざけたヤクザなやつで、
笑っちゃうくらいいいかげんにデタラメに下界の民草に禍福を振っているのではないか。
でも、そういう人間世界っておもしろいよね、おもしろがっちゃおう。
本書は堅気ではない神さま(仮名)の采配を
おもしろがる遊び根性の肝が据わっているのでいい。
どんなことでもネタとしておもしろがっちゃおう。
「因果力」や「星」を考慮に入れたら、
世界にはもっとおもしろがれる余地があるのかもしれない。
もっともっとおもしろいことを体験したいなあ。
ちょっと周囲には迷惑でもおもしろいことを引き起こしてやりたい。
わが「星」と「因果力」はいかほどか。
こんなものに自信があったってビジネスとは無縁で一般社会ではどうしようもないのだが。
けれども、似たような「星」を持つ人の「因果力」と相互作用しあって、
あるいは奇跡のようなことが起こるかもしれないと思う。
たとえそれが周囲からどれほど馬鹿馬鹿しく見えようと奇跡は奇跡である。
堅気ではないおてんとさまは、それぞれの「星」や「因果力」を見極めて、
ときおりわれわれをびっくりさせるような下品な奇跡を起こしてくれるのかもしれない。
「星」や「因果力」があるのなら明日、あなたやわたしになにが起こっても不思議ではない。

COMMENT

東方不敗 URL @
03/15 21:44
シナジー幾何学. 私は、バタフライ・エフェクトを信じる。

>けれども、似たような「星」を持つ人の「因果力」と相互作用しあって、あるいは奇跡のようなことが起こるかもしれないと思う

俺たちは、宇宙船地球号の乗組員だ。不可能はない。

何故なら、そうデザインされているから。
Yonda? URL @
03/16 11:47
東方不敗さんへ. 

酔っぱらって書きこんじゃいましたか? そうだ、おれたちゃ、宇宙船地球号の乗組員だぜ、ゴーゴー♪(当方は酔っておりません)。さて、洗濯物を取り込んでから――。








 

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